今年はずっと懸案事項だったモノをひとつ一つケリをつけていくような年でした。(今年はまだ終わってないけど)
終活、還暦リセットを目指して
伸びゆく20.30代。充実する40代。ひたすら拡散を繰り返し、それぞれがベストとはいかなくても納得した選択をしてきたのではないかと思います。
そして50代前半はまだ気が付かなかったけれど、50代後半になるとふとこころの底で小さな引っ掛かりがあることに気がつきました。
それは今までの来し方、これで良かったのか、このままでいいのか?というような漠然としたもやもや。
さらに還暦のゲートが近づくにつれて

ところてんだよ、人生は。

と感じるようになりました。
両親・義理父もお見送りし、収束に向かうこれから『今から自分の始末は出来るだけ自分でつけておきたい』と言う気持ちが強くなり片付けをずっと続けて来ました。
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終活、最初で最後の子孝行
なんせ我が家は後継なしの『打ち切り世帯』。(私の造語です)
娘チョコがひとりで片付けをする事を考えると娘にとって負担でしかないものはいまから出来るだけ処分しておかないと後が大変です。
最初で最後の子孝行。(笑)
そのかわり私は娘にはお金も残そうとは思いません。
冷たいようですが、あなたの人生はあなたがケリをつけてね。と思っています。
そしてところてんの残りの人生を誰に遠慮することもなく自由に使い切りたい!
その為にも


旅立ちセットまで早々につくりましたから。

片付け、実母のモノは選び抜くまで時間がかかった
実母とのつながりは良きにつけ悪きにつけそれなりに濃厚であったため、手放すのに時間がかかりました。
心の中に横たわる大きなノイズでもありました。
それでも今の自分に本当に必要なのか、未練なのか、執着なのかをじっくり考えながらひとつ、また一つと手放して行きました。
1F折戸隅に置きっぱなしだったガラスの瓶を手放した時、これで終わりだ、、と思いました。
こころの底に横たわるノイズとは?
私の中でこころに横たわるノイズとは

『棚上げして保留にしっぱなしの案件』
がそれにあたります。
最初はノイズそのものに気がつきませんでした。
終活を意識し始めて片付けを始めると、後回しにしていたあれこれがこころのノイズとして四六時中頭の底のほうで鳴っている事に気が付きました。
そして自分の人生の堆積物をかき分けてかき分けて少なくしていくと、更に微弱なノイズが見つかる、という感じです。
まるでPCの中のウイルス除去のためにスキャンをかけているようなそんな感覚です。
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今年片付けた懸案事項の小さなノイズ3つ
今年はまだやり残しの『これ、どうしたものでしょう』というノイズを3つ削除しました。
1.最初は自分の棺桶に入れてもらおうと思ったぬいぐるみ
葬儀の時って絶対余裕が無くなるから、あとから”あー”となりそうだったので寒川神社へ人形供養にもっていき解決。
人ってどうでもいいようなことを結構引きずるな、、と思いましたぜ。
むしろ御供養して手放せたので未練0%、こころスッキリ200%V
2.若い時に買った絵画
これは買ったきり一度も部屋に飾る事なくウン十年と持っていたので今年手放せて本当に良かった。
後悔全くなし。
3.螺鈿のチェスト

夫シンジさんが帰宅して開口一番『!チェストが無い!』って驚いていましたが引き取ってもらうことができて私自身は満足です。
寝室の入り口に置いてあったのですが、二階のドアってほとんどが内開きなんです。
大きな地震が来た時これが倒れてドアを塞いだら、開けられないなーといつもこころに小さなノイズが発生していました。
まだチェストがあった場所のがらーんに慣れませんが、後悔はありません。
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こころのノイズが無くなると今の暮らしに集中出来る
今、こころの奥底で『あれ、どうしようかな、、』というものは無いです。
これからは単純に『今要るか、要らないか』の判断だけ。
要らない、となればさっさと手放せばいいので簡単です。

暮らしが循環していくサイクルが滞らなければ大丈夫。
やっとノイズが無くなってそんな気分になれましたV
あとは循環の礎、『掃除』を怠りなく実行しよう。
本日も浴室の特別清掃が終わりました。
暮らしって本当は単純な営みなんですよね。
からだが動かなくなっても『ノイズ』に悩まされないよう毎日を充実して生きようっと!
わがまま婆さんを目指すグリコール・グリコでした。
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