以前葬儀屋さんの終活相談の時に『エンディングノート』を頂きました。義理父のお手製のエンディングノートは見ましたが、出来合いのモノをじっくり見るのは、実は初めてだったグリコール・グリコです。改めて色々気付きを得ることが出来ました。
エンディングノート、自分が思っていたもの
終活相談で頂いたエンディングノートは薄い冊子でしたが表紙を開けると何故エンディングノートが必要になってきたかが書いてありました。
私はエンディングノートとは、
と雑駁に捉えていました。
実際義理父のエンディングノートには自分が死後のことについて(保険のこと、預金口座のこと、連絡先、お墓のこと等の記載)が主だったからです。
エンディングノート何故必要になってきたか
成熟社会は、『誰かに言われて、何か(習俗や習慣、しきたりなど)に従って』ということは少なくなり、自分で決めていくことこそが全ての前提であり、もっとも重視される社会なのです。
愛する家族のためのエンディングノート 田代尚嗣著より抜粋
主な社会変化の具体的な例としては
- 現代社会におけるコミュニティ(地縁・血縁・職縁)の消滅または縮小
- 自由で自立した社会システムへの変化
が挙げられます。
一昔前は大家族制の中で誰かに従って、慣習や風習の中で誰かが自分の人生を終わらせる役目を果たしてくれました。
今は『自己決定』の時代。『後はよろしく』では済まなくなってきました。
エンディングノート、末期医療や延命治療も自ら意思決定していく時代だからこそ必要
生きている間にその生をどうするか、介護、医療もある意味『自己決定し、サービスを購入する』時代になってきたのです。
現在では地方自治体もこのようなサービスに積極的に関わり出しました。
現在のエンディングノートは自分の生をどうしたいのか、そして死をどう迎えたいかを考えるツールなのです。
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エンディングノートは認知症になった時、その人を知る手がかりになる項目も用意されている
頂いたエンディングノートには、「私のこと」「私の過ぎ去りし日々」なんて項目がありました。
読み進めていくと、始めは「名前、学歴、職歴、保険証や免許証、パスポートなどを記入する欄」があり、学歴や職歴なんて書く必要あるんかいな?と思いました。(ここら辺は多分書かない)
私の過ぎ去りし日々は個人的には全く関心がないのです。(だってさ、名前の由来、愛称に始まって、小中高の思い出など根掘り葉掘り尋ねられて書く欄があるですよ)
葬儀屋さんから頂いたエンディングノートは薄い冊子ながらそこらへんのフォローがなされていてびっくりいたしました。
だから書くのかぁ。。。単なる回顧趣味ではないわけね。
エンディングノート脅し文句のように続く、いざという時のためにの項目
人は誰でも認知症やその他の病気、ケガによって、判断能力がなくなったり、コミュニケーション能力が低下する時もあります。ですからその前に自分の考えや希望を記入しておきましょう。
愛する家族のためのエンディングノートP6より抜粋
駄目押しの殺し文句がコレ。
誰かがなんとかしてくれるお任せ人生はとっくの昔に終わっていたわけです。
エンディングノート『生をどうするか』に案外ページを割いている
とにかくジワジワ攻めます。
”もしもあなたが重病になるとあなたに病名や余命宣告をするのは家族が判断するんだよ〜、
延命処置もね、家族に任せるのは大きな負担になるんだから自分の考えを書いておこうね”
的なガイドがあって『死についての考え』の項目に進んでいきます。
読み物みたいにご丁寧に献体や臓器提供の問い合わせ先まで載っていました。
エンディングノートこの冊子をモデルに自分カスタマイズする予定
参考になったので、自分なりに自分のエンディングノートをカスタマイズする予定です。(ずっと思っていてなかなか出来ないのですが)
冊子やノートにしてしまうと、時に変化が激しい電子媒体の情報(アドレス・ID・パスワード等々)は訂正や修正が何回も入ると想像されるので、固定ページと更新ページに分けようかな、、と思っています。
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エンディングノート生きていく自分が明確になる
今までエンディングノートは義理父の事案でちょっと引き気味でしたが、今回頂いたエンディングノートには生きている『生』をいかにしていくかを考えるページが結構あったので、それを考えるきっかけになりました。
そろそろ自分のコレからを見据えるにはいいツールだと思えてきました。
本日はロジックダイヤリー、ディスノート、とノート記事が続いたので今一度エンディングノートについて振り返ってみました。
来年こそは、自分のエンディングノートをカスタマイズしたいです!
本日も最後までお読みくださりありがとうございました。
終活相談に行ってきた過去記事はこちら↓
事前に赤裸々に話ができたので、いざという時に本人の希望通りになりました。
コメント
コメント一覧 (2件)
グリコさん
こんにちは。エンディングノートのこと興味深く拝見しました。
今、友人の認知症のお義母さんが点滴だけになり、思ったより長生きされていて転院先を探さなければならない状態です。点滴も延命であると初めて知ったと言ってました。私は介護中彼女に散々愚痴を聞いてもらってました。彼女が「あれだけ(私の)話を聞いてても、何もわかってなかったんだなあと思う。」と言いました。お義母さんの施設は看取りをされているので、ケアマネから施設に戻りませんかと言われたけど、点滴を抜くことはできないのでとても悩んでました。
在宅だったので母には点滴も何もしませんでした。そこでぶれなかったのは、9年半と言う年月とその間考えつくした信念があったからだと振り返ると思います。
母が亡くなって1年少し経った頃、福岡で石飛幸三先生の講演がありました。母の終末期に何度も先生の本に助けられました。講演に行き、あとで降りてこられた先生にお礼を言った時、人目もはばからず嗚咽が出るくらい号泣してしまいました。決めてはいたことだけど、母の最期に当たってこれで良かったのかと迷ったと言うと「迷うよね、みんな迷うよ。迷わない人なんていないよ。」と腕をさすりながら言って下さいました。先生の温かさ、今思い出しても胸が熱くなります。
母が亡くなった後、この時初めて泣きました。つくづくと、家族が最後を決めると言うのはこれほどまでに負担だったのだと実感しました。私は一人で決断しましたが、これが兄弟がいたりすると意見が割れてもっと大変だと思います。
これだけは絶対にエンディングノートに記して頂きたいと世のシニアにお願いしたいです。
こんばんわ、もず様。
時間を経たからこそ、こうやって書くことが出来る事柄だと思います。
ずっと胸にしまっていた思いを吐き出してくださってありがとうございます。
義理母は以前からいよいよとなったら積極的医療介入はしないでと公言していましたが、
いざ”事実上手立てが無い”か・ら・の、今後についてDr.からDNAR(心配蘇生法を行わないこと)の説明書を受け
それにひとりで同意サインをした夫の心中を今更ながら思い返しました。
死はどうしても避けられないことだけれども、家族がその判断を下す、のはボディブローのように後々まで響くモノですよね。
夫シンジさんはこころの内を語らないけれど、色々な葛藤は抱えていると思います。
わたしも実父に対して選択した医療の是非を考えると正直あれで良かったのか、自分が逃げたかっただけではないかと、
後戻りはできないのに思いを馳せることがあります。
もず様が身内ではなく石飛幸三先生を前にして思いっきり泣け、張り詰めていたものがほどけて良かったです。
読んでいてわたしもじわっと来てしまいました。
わたしたち(と書かせてください)が経験したことは善悪で計れない人間の「生」のなかで受け取った一コマ。
きっともず様の今後を形成するうえで礎になっていくと思います。
読んでいてエアでもず様の背中をさすっていたわたしです。。