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ウチ、断捨離しました”超絶・ゴミ屋敷!?母と娘の冷たい戦争”を観て。凄すぎて絶句

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BS朝日の”ウチ、断捨離しました!”の3/4日放送分の録画を観たグリコール・グリコです。今回はわかりやすい感想が述べられるかどうか、、ちょっと近年まれに見る汚屋敷状況に視聴するのが正直辛かったです。

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目次

ウチ、断捨離しました!感想をかけない回もあった

BS朝日の”ウチ、断捨離しました!”は終活に向かう自分の気持ちに『喝を入れる』ためにも私の中では結構重要なポイントを占める番組です。

しかしリアルタイムで視聴できないので、いつも録画して隙間産業で視聴するのが常です。

大体が共感出来る箇所があったり、心の中で応援しながら観るドキュメンタリーがほとんどでした。

そして、つい、感想を書きたくなってしまうのですが、いくつかはコレは書けないな、というモノもありました。

観ていて、他の人にすぐ手伝ってもらおうとする人はちょっと苦手でした。

今回の『汚屋敷』、色々な意味で何回録画を止めようと思ったことか。(問題のスケールが壮大すぎて、、絶句)

そして視聴し終わった後も実は爽快感はあまりなかったです。

(お家は結構キレイになりましたよ!)

今回もスルーかな、、と思ったのですがしかし、『お・や・か・た』にも通じるモノがあるので、どうして『汚屋敷』になったのかも推測しながら私なりの感想を書こうと思いました。。

視点は”セルフネグレクト”という視点で書かせてください。

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親の家に10年以上行った事がない相談者さん。もちろん理由は汚屋敷だから。

相談者さんの実母様と向き合う頑なな表情には嫌悪感まで現れていました。

相変わらずで、うんざり。口を聞くのも嫌。

とは言わないけれど、全身から拒絶感が漂っています。

私も玄関の状態からいくらスペシャル2時間とはいえ、コレ大丈夫かな?と思いました。

汚屋敷はセルフネグレクトに通じる

セルフネグレクトの定義は

1、個人の、あるいは環境の衛生を継続的に怠る

2、QOL(生活の質)を高めるために当然必要とされる幾つか、あるいは全てのサービスを繰り返し拒否する

3、明らかに危険な行為により、自身が危険にさらされる

ゴミ屋敷に棲む人々よりP 23より抜粋 マリア・P・パブロウの定義

相談者さんのお家はこの1番に近く、尚更危機感を感じで番組に申し込んだのだと思います。

やましたひでこが乗り込んだ時も、課題を抱えるお母様に

大変な有様だよ、そこを助けに来たと思って。

というと、相談者さんのお母様も”いっぱいありすぎる”と事実は認めます。

しかしやましたひでこさんが

いっぱいありすぎると言うよりもある物がゴミだもの

とうっかり言ってしまうと、『ゴミじゃないんですけど』と否定します。

「ゴミ屋敷に棲む人々」の本には、人には「愚行権」というものがあると書かれています。

愚行権とは、たとえ他の人から愚かな行為だと評価・判断されても、個人の領域に関する限り、邪魔されない自由のことです。

ゴミ屋敷に棲む人々P 132より抜粋

相談者さんのお母様は明らかに愚行権を行使している感じでした。

長年にわたる娘からの否定ですっかり『愚行権』を発動することで自分の身を守っているようでした。

特に娘さんとの関係性が硬直しており、溜め込むのがよくないことと分かってはいるものの『娘はうるさい』と、頑なに支援の手を拒んでいる様子が見て取れました。

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準セルフネグレクトの相談者さんの実母様、そうなった背景を考える

元々看護師という仕事と家庭の両立は難しかった?

元々看護師として働いていた頃は仕事と家庭の事で手一杯で片付けに手が回らなかった、というのは推測できます。

老いが来て元々判断を保留しがちなところがさらに弱くなる

やろうという気持ちはあるけれど、なんとなく気が萎えて後回しにしてしまった蓄積が今。

いつの間にか親と子の立場が変わる

守っていたはずの子供が大人になり、いつの間にか『対等且つそれ以上』になって理屈で責めてくる&実力行使される。

自分の領域が侵略される危機感が募ってガードがさらに硬くなったのではないか?

自分に一家言申すものは敵。『モノ』は自分を守る牙城。

お父さんはそれを察して諍いより、無関心に徹するようになる。

ひょっとすると、夫婦の会話もなくなっていたのかもしれません。

寂しさを埋めるためについついあっても困るモノではないからと、買い物をしていた可能性もあります。(実際日用品が多かった)

だとしたらモノを溜め込むのはコミュニケーションの代替えだったのかもしれません。

やましたひでこさん「まずはやってみせ」を小さな洗面所で実践

やましたひでこさんはお母さんと会話をしながら『楽しい雰囲気』を醸し自分が動きながらお手本を見せます。

お母さんも明るく接していますが、やましたひでこさんの話はうつむきながら聞いていて

『本心は不本意ながら、高名な先生がやってくださったのだからやるとしかいえない』感じでした。

ここでも相談者さんのお母様の評価は低く、”まだまだですね、、”と硬いモノでした。

ここで一旦褒めると変わるんだけど、それが出来ない二人の人間関係の溝は深い。。。

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セルフネグレクトを切り崩す難しさ、決定権はモノの所有者が有している

愚行権を発動いているのは本人です。

多分、本人もこれではいけないと薄々は感じているものの、頭から否定をされると手放すことに抵抗を感じで拒否します。

片付けを進めていく中でも、孫が理屈でカンカン言い出した場面では

私イヤになっちゃった、みんなにそうやって責められて、イヤだイヤだ、もうイヤだ、イヤになった

言う方は良かれと思ってのアドバイスですが、言われる方は自分を全否定されたように感じるので、言い方って大切だな〜と思いました。

私も結構言葉がきついので。。。(汗)

逆に上手いなぁと思ったのが相談者さんの友達が手伝いに来た時に

『お母さん、いらない傘の選別だけしてくれる?後は(出すのは)私がやるからさ』

と言う声かけは、所有者の決定権を尊重しての誘導なので、お母様も手放す決断がとてもスムーズでした。

リビングのテーブルの片付けは意に介さないように涼しい顔をしていたお母様でしたが、、

虫が湧いていたタッパーを他人に発見された時は心の中では恥ずかしい思いがいっぱいだったのではないかと思います。。。。

(自分だったらそこは放送しないで〜と言っていたと思います)

問題だった服が塚を超えて地層になったリビングですが、服が溢れたのは『しまうところがなくなったから、、』と服を出しっぱなしにしていた理由を初めて語った相談者さんのお母様。

いろいろな人が片付けに参戦してくれる中で、モノを減らしながら、何が原因かもちょっと気付いたようでした。

相談者さんが軟化していくとお母様も軟化

片付けの後半では相談者さんも口調がやや柔らかくなり、不要と見える衣類に対して

私がコーデネイトしてあげるからさ、

と会話が出来る様になってきました。

そして開かずの間になっていた日本間の押し入れの片付けに二人で取り組み、後は助っ人が着て人海戦術で埋もれていた部屋に空間が戻りました。

もので埋め尽くされた空間の圧迫感が半端なく、もう、ここまで観るのにすごく勇気が入りました!

溜め込むにも訳がある。頭ごなしに否定せず気持ちに添いながらモノが活きる方法も提示

ラストは相談者さんが営むカフェでお母様の持ち物がバザー品として出され、お母様の顔も安堵と嬉しさで輝いていました。

モノをとって置いた理由も、何かお役に立つかも、、と取っておいたと言います。(お母様クリスチャンだそうです)

今回は機転をきかせた相談者さんがバザーといういい形で提示し、それを実際見せられたことはお母様にいい影響を与えたのでは?と思いました。

セルフネグレクトを起こさないためにも本人を尊重するコミュニケーションスキルは大切

今回は家族間の歯車がうまく噛み合わず、ズレが蓄積された形で起こった汚屋敷のセルフネグレクト。

キレイになった部屋を維持するためにも、これからも相談者さんがトップダウンではないコミュニケーションで、お母様の気持ちが上がるような声かけをしていければいいのではないかな?と思いました。

例えばキレイになった和室で『うちのスペースは限られているので、ここでパーティをさせてもらえると嬉しいなぁ』などと提案する、などです。

関係性が良くなれば

敵から身を守るために城壁を作る

から

娘と友好関係を保つためにはどうすればいいかな?→掃除をしないとね

と、自然と発想が転換するのではないかな〜と思うのですが、どうでしょう?

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これから『おやかた 』をする人へ

とはいえ、私も渦中にいる時は自分の正義を振りかざして実親と衝突を繰り返しました。

距離が近い分、イヤなところが目についてしまいます。(泣)

そして特に実父の時は老化で(今思うと認知症のせん妄だったかもしれないのですが)感情のブレーキが効かなくなり、急に烈火の如く起こったかと思えば、そんなことはなかったかのようにしれっとしていたことも有りました。

私も受け流すどころではなく、一挙主一行動にブチギレて、大泣きしたことも有りました。

今思うと、本当に必要だったのは『まずは自分の家の分の片付け』でしたね。

それを棚に上げて正義の大ナタを振るおうとしていたのですからダメダメなことをやっていました。(滝汗)

まだ親が存命で、そろそろ『おやかた 』をと考えている方。

”その課題が誰のものか?”を一番に考えながら、上手なコミュニケーションをとって進められるといいな、と思っています。

とにかく親子間の片付けは難しいです。

コニュニケーションスキルも永遠の課題ですね、、。

BS朝日”ウチ、断捨離しました!”でも親子間の片付けは領域の越境が起きがちです。(汗)

いつも再放送をしているので気になった方はチェックを。ここのところスペシャル版が続いていますよ。

⭐︎3/30より、月曜夜8時に番組が移動するそうです。予約設定を変えておかなければ、、、

さ、参加してたりします。。

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コメント

コメント一覧 (6件)

  • グリコさん

    こんにちは。すごい回でしたね。うちもおやかたしながら、大量の洋服に、母の心の寂しさを見ました。うちはこれプラス両親の不仲がありましたが、母娘の葛藤と言い、割とあるケースなんじゃないかと思いました。

    私は父には番組のお孫さんレベルで言ってました(汗)。夫もお孫さんに対して「キツイなー」と言いましたが、私としては孫の立場でこれだけ協力することが既に素晴らしいし、本当におじいちゃんおばあちゃんが好きなんだなと思いました。まだ若いし。
    お母様も、多分依頼者と同じように一人で何でも決めてやっていくタイプだったのではないかと、夫と推察していました。

    実家がゴミ屋敷だった友人もお母様のことを「セルフネグレクト」と言ってました。彼女は遠距離でしたが、よくあるようにやはりお母様と葛藤がありました。お母様が認知症で入所した後、彼女は一人で通って片づけました。(すぐ近所に兄弟がいても何もしなかったです。)

    私も母とは葛藤がひどかった人間なので今回の番組は胸に刺さりました。
    母は認知症になって本当にかわいくなりました。そして、私が小さい頃の大好きなお母さんになって旅立ちました。友人もお母様にそういう気持ちになっていました。
    依頼者とお母様に残された時間が、これでよかったと思える時間になるように頑張れ!と最後に思いました。一人でおやかたをした人は、同志に感じるようになりました(爆)。

    • こんにちは、もず様。今回はもず様の後押しがあったから書けたのですが、、(ありがとうございます!)もう試聴するのが辛かったです。
      今回、寝室は出てきませんでしたがどうやって寝てるのかな?と一抹の不安が。。
      もし、自分が高齢になってあの状態になったらやっぱりたとえ理屈では自分の作り出している状況がダメでも、やはり『責められている』気持ちになると思います。
      そして自分の持ち物が『ゴミ』と言われる悲しさ。
      そういう思いを自分がしないためにもこれからも持ちもの精査続けていきます。
      どんな事例でも反面教師ですよね。
      そうそう、ひとりで『おやかた』をした人は私も同志感覚ですよ!

  • おやかた。。。私も10数年前、主人の両親が二人とも介護が必要になり、実家に引っ越して同居していました。義母は末期の癌。義父は認知症があり、まだらボケ状態でした。

    家の納戸には物が積み上げられていて、母が入院するときは、それをかき分けて入院に必要な寝間着やなんかを探しました。。。
    義父がデイに行っている間に、孤軍奮闘で納戸の整理をしていました。ほこりが凄いので、それこそマスクをして。。来る日も来る日も。。。
    もう、本当に大変でした。

    手術も虚しく、義母が1年後に他界して、3年後に後を追うように義父も逝きました。
    約5年間の介護生活でした。

    その時、やっぱり私も自分の子供たちにこんな大変な片付けはさせてはならないと思いました。築50年の主人の実家を解体したときに、何もかも捨てました。
    今は同じ土地に新築して住んでいます。
    なるべく物をこれ以上増やさないで暮らしていきたいです。

    そろそろ私の両親もまた弱ってきています。あそこも物が溢れています。。
    また、おやかたが始まりそうです。。。

    • コンバンワ、ミロク様。返信が遅くなってすみません。
      介護経験からのおやかた、ミロク様も体験なさったのですね。本当の大変だったでしょう、、そしてご苦労様でした。。
      そうそう、親と自分は別人格ですからスッキリなさったのは悪いことでは無いですよ。
      代替わりの証拠でもありますよね。だから私も何も残したく無いです。今住んでいる土地も特に執着がないし。
      私はブログでご存知のとおりラスボスが控えております。(笑)お互い自分のことも含めて老いの後始末(まずは自分の事から)整理していけるといいですね!
      そしてコミュニケーションスキルをお互いに磨きましょうV

  • こんにちは。いつも楽しく拝見しています。
    下記の言葉に新たな気付きを得ました、ありがとうございます。

    >自分に一家言申すものは敵。『モノ』は自分を守る牙城。
    >だとしたらモノを溜め込むのはコミュニケーションの代替えだったのかもしれません。

    知人に”察してちゃん”タイプの女性がおり、「捨てさせません勝つまでは」というスローガンを挙げているのかと思う程、物を処分するのが嫌いな人でした。
    でもこちらの記事を拝見し、もしかすると彼女は「物を捨てない」という表現技法(?)で自己主張をしていたのかもしれないと思いました。
    またモノは自分を守ってくれる盾であり仲間だと考えていて、分離不安があるのかもしれません。

    いずれにしても、ゴミ屋敷を作る方の視点で見れば「一人孤独な中でモノと共に、自分に歯向かう敵や家族と戦っている」という状況なのかもしれないと感じました。
    示唆に富む考察をありがとうございました。

    • えっと、こんにちは『とくめい』様。こちらこそ2度目のコメントありがとうございます。
      私も過去に準ゴミ屋敷潜入は数件経験しています。。。
      そうですね、ある種自己表現でもあるし、コミュニケーション手段でもあるし、身を守る城壁でもあるし、、リミッターを越えると制御不能な城にもなるようです。。。
      分離不安に陥る厄介案件は動物の多頭飼いっすかね、、印象的だったのは野良猫の保護活動をしている方。
      やっていることは悪いことではないのですが。。とどのつまりは『猫』をコミュニケーション手段として使っているんだな、、と納得しました。
      どうこころに沿えばいいか、いや、自分が介入すべき問題なのか足踏みします。
      もし友達・知人なら尚更相手がヘルプの信号を出すまでは『見守る』しかないかな、、と。
      この問題はブログで紹介した本にもスッキリした解決策は書かれていないのです。(それほど愚行権を発動する人は闇深いんだな、と思います、、汗)
      私は心理のプロではないのでこんな気持ちかな?と推測しかできませんが、、感じたことを書かせて貰いました。
      こちらこそ読んで下さりありがとうございました♡

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