親の家は片付いた1 片付けのきっかけ、それは親の死。

お・や・か・た

こんにちは、親の家を片付けたグリコール・グリコです。

自分の実家と夫の実家双方の処分をした体験をこれから数回に分けて紹介したいと思います。
ただ、処分して7年は経っているので、まぁ、こんな風に心が変化していったよ、、という記録でもあります。
今後、そういったことが控えている方がいれば、この人はこんなふうにしていったのかぁ、、と読んでいただけたら嬉しいです。

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片付けのきっかけ、それは親の死

初めからの二世帯ではなく、親の夫婦仲が悪化してテコ入れとしての同居であったため、一つの家に無理やり二世帯のモノが入ることになり、どの家電も二つある中からのスタート。
実家は『どこも取り敢えずモノが置いてある』状態で混沌としていた。
しかし日中フルタイムで働いていた事もあり片付いていない家でもほぼ寝るだけだったので「ま、しょうがないか」と放置していた。
雑然が度を過ぎると人間、感覚が麻痺してくる。
又、綺麗好きで整っていた実母の部屋も、老いが迫り介護の手が入るようになると、片付かなくなり手狭になっていった。
掘りコタツの横に介護ベット、要介護が重くなるにしたがって痰の吸引の機械、サイドテーブル、取り敢えず置いたものが所狭しと置かれるようになった。

なんとか支援してくれる人が動きやすいように片付けようと試みるも、、

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『私が居る間はそのままにしておいて頂戴。私が居なくなったらあんたが勝手にすればいい。だけど今はそのままにしておいて。』

実母の体調が下降線を辿り、ベットで寝たきり近くなってきてさらに苛立ちも多くなった。
色々と語録はあるのだけれど『モノ』に関してはこの言葉が印象的に残っている。

モノに対しての執着というよりは、目の前でガタガタ移動されるのがうっとおしい、という言葉であった。
当然実母が生きて居る間は何一つ動かせず、色々なものが溢れるママそのままであった。そして迎えた実母の死。

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実母が亡くなってから最初に取り掛かったところは「台所」

実母が台所仕事が出来なくなってからの其の場所は私に代替わりされたが、「親が死んでも飯の時間は絶対に来る」訳で、区切りを迎えることなくしばらくそのまま現状を維持しながら生活を続けた。

流しの下に乱雑に入れられた鍋、たくさん買い置きされた「上白糖」。
ストッカー内のいつ買ったかわからない調味料類。
バザーが好きで、いっては買い集めていたカップ類。趣味で集めていた骨董品の器。。。

自分の家のものは、自分一人で片付けたかったので、ゴミ出しのカレンダーを見ては表面だけ少しづつ片付けた。
最初に捨てたのは鍋類だ。
未だ十分使えるオレンジ色の花柄のホーローの鍋を捨てた時はしばらく罪悪感すらつきまとったのを覚えている。

実母が亡くなった当時(今からもう14年前)は「断捨離」や「おやかた」等の造語もなかったし、「片付け・整理術」など、なぜかその方面の情報に全然目が向いていなかった。

何よりまだ「勿体無い」の気持ちの方が大半を占めていたからである。

けれど半ば連れ戻されたような状態の二世帯同居の家はモノが多く、物理的にもなんとかしなければいけない状態であった。

モノが減らないママ、四十九日の時に親しい人が集まった時にささやかな形見分けをした。

その時に合わせて実母の寝室の押入れを少しだけ片付けた。
私が母の日にプレゼントしたブラウスやスカートが出てきた時”なんでもっと早く出てこなかったんだよー”と悔やんだ。

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途方にくれる片付けの始まり

この時点でまだ昭和の安物の引き出し箪笥1、押入れ箪笥2、着物箪笥は現存であり、中身も入っていた。
実母は刺繍を趣味にしていて、そういった類の道具類、途中の作品などがあちこちに仕舞われて(突っ込んで)あり、そのような昔の作品、途中の作品を見るたび心が痛くなり、また仕舞い直していた。

実際何からどう手をつけていいか、途方にくれていた。その時はまだ働いていたので片付けに時間を取る余裕も無かった。
また、当時私も胸を悪くしたり実母の葬儀間際に左足を骨折したりと踏んだり蹴ったりだったので「おやかた」はかたつむりの歩みのようであった。

そして2年後の父の死

人によってモノに対する価値観はそれぞれだとおもう。
貴金属が重要と思う人もいれば、人から見ればゴミ?としか思えない趣味の物がとてつもなく大切、という場合もあるし。
実父の場合は紛れもなく「本」だった。
実母が亡くなってからの2年間は片付けの際に実父と私は何回も衝突し、下のセリフが出るほど対立した。
(まぁ、今思えば生きて居る人のテリトリーを荒らすような蛮行をしようとしたからなんですけど、、)

「百科事典は絶対に処分しない。要るものは居るんだっ!

実父は「本が全て」位の本好き、「本」が一番大切だった。
衣類や食事には無頓着。
時間があると本を読んでいた。
我が家には2種類の百科事典があって図書館に行かなくても家に百科事典があれば世界の情報は全て手に入る、、と思えるくらい実父の宝物であった。
実際よく辞書を引いていたし、ドストエフスキーの全集もあってドストエフスキーに傾倒していた。
(私は文庫本でちょっとしか読んでいないけれど、、汗)かなり浮世ばなれしていた実父であった。
そんな実父が実母が亡くなって2年後に亡くなった。本格的な実家の片付けがやっと始まった。。

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父の部屋を片付け

本は後でまとめて、、ということで実父の文机周辺から片付けをスタートした。
住んでいる所の火葬場では眼鏡は棺に入れられず、父の時計・眼鏡など身につけていたものが残っていた。眼鏡の処分の仕方がわからず、「ごめんね」と言いながら不燃ごみで処分した。
その後これまた四十九日の日に腕時計など形見分けをして実際私の手元に残ってる実父のものは殆ど無い。
実父と私は性格が似ていたせいか確執もあり、”全部処分したるわいっ”位の勢いもあった。
実際実父の持ち物は少なく、換金に値するものはゼロ。
あれほど実父が執着していた百科事典を処分した時(資源ごみに出した)は”やってやったぜV”位の気持ちであった。
(残したものは少しの本、書き残しのノート、芹沢光治良のシリーズ本くらい。)

やっと重い腰をあげ、「おやかた」の始まり

両親が亡くなり、病気の再発もあった為早期退職、時間ができた私はやっと本格的な「おやかた」をし始める。

が、未だ「もったいない」を引きずっていたため、もっぱら

・換金できそうなものはそういった店に運ぶ(殆ど本の事)
・無料で引き取ってもらえそうなものは手を尽くして持っていってもらう
・日中一人での片付けの為、業者に引き取りにきてもらう

の3点でモノを片付けた。

大物の家具類の行方

1、実父のベット→廃棄処分

2、実母の電動ベット→福祉施設に寄付

3、昭和の安物引き出し箪笥、押入れ箪笥2→廃品回収業者を呼んで処分

4、箪笥の中の持ち主のない衣類→衣類ごみで処分

5、実家の冷蔵庫→廃品回収業者を呼んで処分

6、その他のもの→市の大型ゴミのチケットを買っては小出し

※この段階ではまだ、市のリサイクルセンターに自力で持ち込み、ということは頭をよぎっていなかった。
実父の死後も自分の家のものは家族の誰にも手伝って欲しくない、”一人で向き合いたい”そんな気持ちが強かったからである。

なので廃品回収業者が主な戦力となった。
この頃は「複数の業者の見積もり」など心の余裕もなかったので、チラシが入って来た業者に頼んだ。
布団などちょっとしか使っていなかったものあったので”どこかで使ってくれるところはないかしら?”なんて尋ねると”今、布団はどこも引き取り手はないです、全部ゴミです”と言われた。(泣)
廃品回収業者は結構ぼるので、交渉が必須であった。

モノを所有するためにお金を使い、モノを処分するために又お金を使うという二重苦

を改めて痛感した「おやかた」であった。

そして少しずつ大型のモノが退き、だいぶ部屋は空いて来たがまだまだ根絶とまでいかないモノの状態であった。

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改めて暮らしを考えるようになった『トイレ掃除』

その頃出会ったブログから「トイレ掃除」を学ぶ。
お恥ずかしい話だが、働いていた頃は本当にササっと掃除で済ませていたトイレである。
ササっとなんてもんじゃない。ブルーレット置くだけ、を置いていただけ。

その甲斐あって、1Fのトイレはいつの間にか尿石がこびりついて茶色になっていた。
モノが減ると汚いところが目につくようになり、その方にメールを送ってトイレ掃除のやり方を学ぶことにした。
トイレの水の中に素手を突っ込み、言われた通りサンポールをかけながら金属のヘラでゴリゴリと尿石を落とす。
初めはすぐに取れなかったが何回も繰り返すうちに尿石がゴリっと取れた
。更に耐水ペーパーで磨いていくと、長年の尿石が全て取れ、元の綺麗なトイレに戻った爽快感は忘れない。。
掃除ってなんだか凄い。気持ちまで晴れる!

そのあたりから

「気持ちよく暮らしたいな。」とうっすら生活の目標のようなものが見え始めた。

「おやかた」をしながらちょっとずつ生活を整え、”これからは自分たちだけの暮らしだ”と広くなってしまった実家に3人で暮らす事の開放感も覚え、しばらくのびのび暮らしていた。
その「開放感」もつかの間、新たな局面、「東日本大震災」&「義理父の衰え」に遭遇することになるのである。

続きます。

コメント

  1. ほおじろ より:

    こんばんはぁ。

    グリコさんのブログがの終わるのかと、ドキッとしましたが・・。
    よかった~♬

    新しいブログでスタートですねぇ。
    「50からのコンパクトな暮らし」

    我が家も物の少ない家ですが、
    どうしても片付けができない、品がいくつもあり いまだに悩んでる。
    それが、天井裏の物置や・納戸に居座っています。
    しまい込んでしまうと、もう片付けられない・・・。

    グリコさんの体験記・・。
    これには、驚きました。両家のお宅の片づけとは・・・。
    私は、義母のお世話と家の片づけだけで、
    私の両親は、途中同居でしたので、
    遺品も少なかったなぁ・・。

    なるほど・・
    経験からコンパクトな暮らしを学ばれたのですねぇ。
    続編楽しみにしています。

    • グリコール・グリコグリコール・グリコ より:

      こんにちは、ほおじろ様。新装開店のこのブログに早速お越しいただき、ありがとうございます。これからは一つの記事をじっくり書いていこうと思っています。
      未だ悩んでいるモノたち、きっと残された方の思いに対しての『後ろ髪を惹かれる感じ』が決断を鈍くさせるのかな?とも思います。ほおじろ様のところは色々由緒正しいものがあるようなので。。。今の自分と過去の人たちの思いを天秤にかけて置いておくか否かを決めていくといいのかな?と、思います。歴史的なものはいっそ博物館などに寄贈する方が将来も残って行きます。じっくり考えてぼちぼち行動できるといいですね♡

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