まだまだと思っていた夫シンジさんとの退職後の暮らしが薄っすら近づいてきました。
夫シンジさんとの退職後の暮らしを考えると現状のコミニュケーションに一抹の不安がよぎるグリコール・グリコです。
理想とする夫婦像私の場合
私の理想とする夫婦像は『お互いを労わり、慈しむ事ができる夫婦』です。
夫婦仲が悪かった両親をみているだけに理想像は大きく膨らみます。
大変な時は”大丈夫か?”の声掛けがあったり”良く頑張っているな”とか、
互いに感謝の言葉を伝え合う夫婦。(もちろん互いに尊敬も)
そんなものを勝手に理想としていました。(TVドラマの刷り込みですね)
理想の夫婦像とのズレ、越え越えられない壁?があることに気付く
夫が無口だということは分かっていたけれど、この数年気持ちや伝え方のズレがあぶり出されるようになってきました。
大概はその場で話し合って解決するのですが
モノの捉え方の差異でどうしても引っかかってしまう事があります。
そんな時、ノートに引っかかってしまう事を書いて吐き出すようにしました。
デスノートならぬディスノートに気持ちを書く

そもそも話し合いにまでもつれ込まない言葉のすれ違いが起きた時、若い頃ならそこで『怒』だったのですが、この頃は真っ黒な表紙のノートに
××といったら”ふーん”とそれだけだった
とか
〇〇といったら”〜だったらフツーそうでしょ?”という返事
と書いています。
どういう状況でそういう会話になったのか記述して、出来るだけ自分のマイナス感情は書かないようにします。
そうしないとただの愚痴ノートになってしまうからです。
ちょっと離れて会話を見ると、傾向がわかります。

私が躓くのはここの部分。
例えば、『チョコ(娘)がインフルで高熱を出してるよ』と情報を発信していると、受け手の夫シンジさんは『そりゃ、インフルエンザだったら熱も出るでしょ』という返事。
こういう場面で私が期待してしまう夫婦としてのやりとりは『状況に対して心情的な共感ができる事』です。
この場合だと、”高熱が出ているのか、大変だな”とか”医者に行ったのか?”などといった”状況に共感し、他者を心配する気持ち”を期待します。
共同体の夫婦だけに。
しかし、それがない。
私は”インフルだったら熱は出るでしょ”という一般論は聞きたくないのです。
この時私は”なんでも一般論で片付けないで。どうして一言心配する言葉が出ないかな、、”と言ってしまいました。
私の情報発信の仕方が悪いのでしょうか?
他者の課題に踏み込まない事と状況を共有・共感できない事とはちょっと違うような気もしてモヤモヤする、、ということもディスノートに書く
『一緒に苦しめ』と言っているわけでも『過度に心配してアレコレ病人の部屋に差し入れをしろ』と言っているわけではない。
ただ心情的なものが表出されず『一般論』で終わることに対してあれ?と思ってしまうのも事実です。
これも私の『夫婦ってこうだったら良い』という理想の一方的な押し付けなのか。。ううむ。。ってこともディスノートに書きました。
でもそのあと3〜4日して娘チョコと顔を合わせた夫シンジさんも、”こういう状況の時は何か気の利いた事を言わないといけない”と感じたらしく、”もう熱は下がったんですか?”と尋ねていました。(超不自然ではある)
こういう対応は『私が不機嫌になる』という自分の対応のまずさを経験則から学んでいるようです。
気持ちではなくパターンの修正でしょうか。
夫シンジさんなりに努力はしているようです。(すまんねっ)
ディスノートを書いているうちに気付く、脳の理解の方法が違う、、らしい

ディスノートを書いていると『自分の他者への期待』の気付きの他、課題の分離や理想の押し付け以前に、『脳の理解の方法』が違うのかも、というところにたどり着いていきました。
私は一つの出来事がアレコレ紐づいていく『i cloud型』なのに対して夫シンジさんは『それはそれ、これはこれ』と物事が結びついていかない『stand alone型』。
それに加えて元々婚家は大ゲンカもない代わりに、どうも慢性的に伝え合うスキルが不足。(黙して語らず、多くを語らず)
モヤモヤの原因は脳の理解の違いと伝達スキルが弱いことなのか。
そう考えると、夫シンジさんを一方的に責めるのもスジが違う気もしてきたぞ。。
こりゃ、この違いを理解した上でお互いコミュニケーション能力をブラッシュアップ、いや鍛え直す努力が必要かも。あくまでもお互いに。
ディスノート、怒りを溜め込まないようにするツール
ディスノートは怒りを溜め込まないようにするツールです。
毎日書いているわけではないので、たまに開くと、同じような場面で躓いている自分を再確認できます。
”あ、半年くらいの周期で怒りが湧いてる”とか、
”あ、ここで私は共感して欲しかったのか”とか。
”あ、明らかにこれは自己満足したいがための課題の越境じゃん”とか。

書いている時は『怒』でも、『怒り』の本当の原点はなんなのか、分析したりするので書いているうちにだんだん落ち着いていきます。(笑)
追記ディスノートをやめる(2021年)
・モノの捉え方の違いが分かった
・今後もコミュニケーションスキルを身につける(伝え方や言い方)
・しかし答え合わせのような夫婦カウンセリングには行きたい
ディスノートをつけていて結局上記の3点に尽きることが分かった時点でディスノートを終了し、封印いたしました。
ディスノートが終了出来たのは、
・歳を重ねて自分自身の『怒り』そのもののパワーが無くなった
・自分自身が自分の感情に振り回されなくなった
のも大きな理由です。
と思いましたが、これは単なる老化で忘れる速度が早くなったんだろうなと感じています。(笑)
老後はなるべく仲の良い夫婦でいたいから
躓くこのと多い私です。すぐキレがちな私です。
でもできれば老後はなるべく仲の良い夫婦で居たい願望は相変わらず持ち続けています。
なので違いをどう尊重して受け入れていくか、が焦点になりそうです。
人に変われと言っても変わるわけがないので、一方的な押し付けではなく、自分の視点を変換していくことがまず必要だ、、というところまでなんとかキマシタ。
コミュニケーションスキルという大きな課題に対しては、いつか夫婦でカウンセリングなど積極的に利用してチューニングのズレを合わせられたら良いな、、と思っています。
夫が定年退職するにはまだちょっとだけ時間があるのでコレからも押したり引いたりしながら程よいバランスを取れるようになったら良いなと思っています。
たぶん私次第なんだろうな、、、
迷走しながらも人生の軌道修正は続けていこうと思っています。
コメント
ご無沙汰しています。
偉い・・!!
怒りを 記録しながら分析されたんだ・・!!
ご主人と、グリコさんはものの考え方が違っていたんですか、
確かに、誰もが同じ・価値観や考え方はちがいますが、
長年一緒に暮らしている 夫婦ならある程度同じだと思っていましたが
ぶつかり合うときは、考え方が少し違っているからなんですねぇ。
我が家も、主人をじっくり観察し分析してみないと。
多分 あと20年は一緒に過ごすだろうし・・
イライラばかりでは、とても耐えられない、
笑って楽しく過ごすには、夫を分析し理解することは
自分を知ることにも、繋がっているのねぇ。
我が家も、衝突することがありますので
書き出してみると、良く見えてくるかも・・・。
ありがとう。
コンバンワ、ほおじろ様。お茶のお稽古と着物復活、素敵ですV
記録、、と言ってもほぼ殴り書きに近いです。(汗)、分析、というほどのものではないです(滝汗)
この頃ぶつかり合うのが面倒になってきたので(本音)、ああではないか?こうなのか?と足りない頭で考えてますぅ〜
その先に見えるのは諦めかもしれませんが、、(笑)
怒りに任せてブチギレる事はこれでも少なくなってきました。。やっと土俵が違う事に気が付いたって感じ?
まだまだですぅ〜こちらこそありがとうございます。