家族、という単位で暮らしている私は主婦という名前より『暮らしの管理者』なんだな、と思います。繰り返しの毎日の中で無意識に自分の事を後回し。正体不明のモヤモヤに気付けないことがあります。
無意識に自分を後回しにしている『暮らしの管理者』
高齢の年寄りと暮らしている事もあり、どうしても『暮らし』の中心が手の掛かる年寄りに偏って来ます。
『暮らしの管理者』、業務が多岐にわたっています。
暮らしの基本内容(掃除・洗濯・食事作り)に加え、介護のあれこれ。
身体の世話に限らずサービスを受けるにあたっての交渉、契約の締結、スケジュール管理、ディやショートの送り出し&受け取り。
その間に服のリフォーム要求があったり、払込の代行をしたり。
毎日なにかしら横からボン!と入ってくるので現在残念ながらじっくり自分の時間を使う余白がほぼ作り出せない状態です。
いつのまにか自分のことが後回し
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自分の事が後回しになると、『どうせ、しょうがない』と自己肯定感が低くなる
ぶっちゃけ言うと『暮らしの管理者』、管理者としての業務が多すぎて時に『どうせ私はお女中ですよ』『稼いでいるわけじゃないからしょうがない、、』と陰気でネガティブな気持ちに支配される事があります。
全部を受け止めきれなくなるというか、どんどん自分の中のコップの容量がちいさくなっていくのが自分でもわかります。
すると段々自分に対するセンサーが落ちて来て『どうせわたしなんか』『これくらいでいいや』の妥協が積み重なって、引っかかっているモヤモヤが何かも分からなくなって来ます。
小さな事だけど気付いてあげたい自分の事
今回は箸とハンカチです。
マイ箸は塗りが剥げて来たので処分したものの、次を買いに行けず。
実家から持って来て保留にしておいた箸の中から『とりあえず』『これでいいや』と使っていました。
最初は一番下の箸を使っていましたが、保管年数が無駄に長すぎてあっという間に持ち手先の塗りがポロッと取れてしまいました。
そして残りの箸も実は好みじゃない。
そう嫌いなんです、この箸。
でも実母が予備に買っておいた箸だったので捨てきれずにとりあえず連れて来ていたんですよね。
実母と私の関係性は実のところ色々根深いモノがあり、色々大物は処分したもののこういうところでまだ躓いたりしています。
17年前も前に亡くなった親の顔をまだ伺っている自分が居ました。
うわ、嫌だ、もう好きに生きるんでしょ!
毎日の食事のたびにちょっと残念な気分になるなら自分が納得したものを使いな!!!
そう自分にはっぱを掛けてたかが箸、されど箸を新しく購入することにしました。
沢山ある箸専門店だと情報が多すぎて迷うので、敢えての中川政七商店で「削り・四角・八角の太・細」という丁度良い情報量の中で実際に持ってみて私が選んだのは削りの太。
【在庫限りで終了です!】 [ネコポスOK] 中川政七商店 拭き漆のお箸【 漆 おしゃれ 日本製 】
嫌いだった箸を全捨てしてうーん!スッキリ!
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ぼろくなったハンカチも入れ替える
ハンカチは削りに削って現在稼働中なのは四枚です。(慶弔用のハンカチは別に三枚)
その中でタオルハンカチを2つ入れ替えて1つを新しく迎えることにしました。
出したタオルハンカチは一つは景品、一つはお下がりのモノ。
これも中川政七商店で購入しました。
冷静であろうとするのか、ハンカチは全てブルー系になりました。
妥協の産物がなくなってこちらもスッキリです。
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モヤモヤの元は何か自分のこころに中を探って自分で自分の機嫌をとる
自分のことは自分で解決する、自分の機嫌は自分で取る。
全てが望み通りになる訳では無いけれど、モヤモヤの元を自分で解明していくって大切だな、と思いました。
本当に小さなことですが、使用頻度の高いモノこそ、自分で選んだモノを使いたい。
これ、やましたひでこさんがよく仰る、『モノと向き合う』と言うことですね。
モノとの関係性から自分が今、自分をどのように扱っているかが分かって来ます。
色々あるけれど、小さなモヤモヤも自分センサーに引っかかるように感度をあげていこう。
そして自分を労ろう。
”セルフよしよし”をして『暮らしの管理者』本日も活動中のグリコール・グリコでした。
家族のものを買ったりすることは確実に減ったけれど
家族に対する忖度や死んだ人に対する気持ちはまだうっすら引きずっているんだな、、自由になろうっと。
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