シングルや子どもがいない世代が増えています。一家に一基お墓というカタチを作ること、持つことって今の時代結構キツいんじゃないかな、、と思うこの頃です。今日は打ち切り世帯に向けてのお墓の話です。
跡継ぎが居る方、先祖代々のお墓を守っていく固い決意のある方はこの記事はスルーしてくださいな。そしてこういう考えもあるんだな、と容認してくれるとこころが軽くなります。。
そもそもお墓のルーツとは
死んだらお墓に入る、それが常識、、と思っていました。けれどそもそもお墓ってなんだったのでしょうか?ルールから考えてみたいと思います。
支配者の権力の象徴としての古墳がお墓のルーツ
海外だとピラミッドですかね。支配者の権力の象徴としての墓です。
今は当たり前のようにお墓を作っていますが、お墓のルーツは日本では古墳。
けれど古墳、もういいよ〜と行った天皇が幾人かいます。一番古いところで元明天皇。葬儀の簡略化を実行した女帝でした。
”朕は万物の生命には必ず終わりがあると聞いている。これはすなわち天地の道理である。どうして悲しむべきであろうか。葬儀を盛大にして人民の生業を破壊し、服喪の規定を重んじて現にいきているものの生活を損なうことは、朕の最もやりたくないことである”。とはっきり言っています。(※歴オタ夫シンジ談)
他には嵯峨&淳和天皇がいます。淳和天皇は遺詔で748年の元正天皇以来の火葬を復活を希望、「墓はいらないよ〜。遺骨は 山中に散骨OK」と薄葬を指示し、兄の嵯峨も「僕も大げさだし、墓はいらない〜。サクッと穴を掘って棺を埋めるだけでいい。そしてそのあとは草が生えるまま自然にしといて〜」と遺詔したと記録があるそうです。
もちろんその頃の庶民は野ざらし、良くて土盛りですね。。
今の形のようなお墓が建てられ始めたのは、江戸中頃あたり
もちろんすべての庶民がお墓を建てられたわけではなく、丸っこい石が置かれてあったりするのを古いお寺で見かけることがあります。
いわゆる我々が『お墓』と呼ぶような石に名前が刻まれているものは、豊かな一部の層のお墓で、一般の庶民にはまだ高嶺の花だったようです。
お墓は昭和の高度経済成長期にお寺から『霊園』のへと形態が変わる
第二次世界大戦が終わり高度経済成長を迎え、地方から都市部に移住した人たちが、家督〜檀家制度から離れて『宗派不問』の『霊園』に自由を感じでお墓を作ったのは核家族が始まる時代背景もあったように思います。
この頃は、まだ人口が減少するとか全く想像もしていなかったわけです。
ところが多死社会になり、継いでくれるはずの若者が所帯を持たない、所帯を持っても子どもを持たない世代が増えてきました。
これは想定範囲外の出来事です。
これからの打ち切り世帯、お墓、どうする?
シングルで一生を終える人や子どもがいない世帯も増加してきました。
後継のいない打ち切り世帯です。
大きな墓石を作ったところで霊園の管理代や永代使用料が滞ればお墓も放浪してしまう。
打ち切り世帯の我々は、一家に一基、墓を持たなければいけないのでしょうか?
これからは自分のスタイルにあったお墓を
時代背景や考え方でお墓も変わっていきます。
権力の象徴や偉業を残すものから故人が生きた印の為のもの。
又は自分と繋がる先祖を敬うもの。
そして今日はまた原点に戻って自然に還るスタイルへ。
遠い昔の時代にも、お墓なんて必要ないからね!死ぬのは天地の道理だよと言っていた天皇もいるくらいですので、『形』に囚われなくてもいいのではないかと思います。
ゼロ葬という究極形態もあります。
いいな、ゼロ葬。

思いを寄せるのはカタチが無くても。気持ちがあれば。
誤解してほしくないんですが、決してご先祖様をないがしろにしているわけでも、軽んじているわけでもありません。
カタチが無くても故人を偲ぶ気持ちさえ持ち続ければお墓を作らないことは、決して罰当たりでもなんでもないと思うのです。
なんせ『所帯』自体が小さい方向に進んでいますから、従来通りの弔い方では将来日本は無縁墓だらけになってしまうのではないかと薄ら寒い恐怖を感じます。。
カタチがないものは無理!という打ち切り世帯でも『納骨堂』や『合祀』の選択を積極的にしてもいいのではないかな、とも思うのです。
『合祀』のような集団墓がもっと普及すれば誰でもそこにお参り出来るし心の拠り所にもなります。
勇気を持って小さい声で言う、
自分の最期は小さく終わらせたい、、墓要らない、、そんな願望があるグリコール・グリコです。
打ち切り世帯の方は、お盆のこの時期だからこそ、自分の最期をどうするかチョット想いを馳せてみてもいいかもしれません。
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