大人のオサレはいかに自分を知るか、自分を自由にさせるか、自分を自在に演出させるか、中心は全て自分ですがちょっと素敵なブログ記事やツイッターのつぶやきがあったのでいつもとは違う記事かもしれませんが、紹介したいな〜と思ったグリコール・グリコです。
大人のオサレは深い
大人女史になって人生の後半生を過ごすようになりました。
素敵だな、と思う先輩マダムはどこか”社会のこうあるべき”という鎧のようなものを一旦はずして自分の好きを極めに行っている人が多いです。
そしてここで取り上げた本のようなマダムになれたらいいな、と言う妄想もあります。

オサレマダムには程遠いわたしですが憧れのマダムは何人かいます。
上記の記事でも書いたのですが、師匠と仰いでいるマダムに”親族でもないオバハン、結婚式におよばれしたものの何を着たらいいか悩む、、”と愚痴めいた話をしたら
と言われた時の衝撃は未だ忘れられません。
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おしゃれ、自分の好きをグイグイ押すだけがオサレではない
大人女史は制服も会社の決まりも卒業した位置にいるので何者にも縛られない自由があります。
自分をよく知って自分の好きをいかに表現するかがオサレマダムの近道だろうな、と思います。
けれど自分の好きだけをグイグイ押すだけがオサレではないことを改めて認識することができました。
おとなのオサレ、場に合わせた装いが出来る
丁度まるたけ様のブログで地元のオーケストラの演奏会に行って来た様子が書かれてあり、そこで
”演奏者に敬意を表して。絹でまとめてみました。”(ドヴォルザーク 交響曲第8番の記事より引用抜粋)
という言葉に出会いました。
コンサートという場面に合わせた&演奏者に敬意、この心意気にズキューン!
まるたけ様、着物を解いては自分の服をサクッと作ってしまう魔法の手をお持ちなんですが、自分の好きを邁進するものの、さすがのマダムです。
場の雰囲気を考えてのオサレをしてらっしゃる。
独りよがりなオサレで終わらないというのがやはり大人マダムのオサレなんだなぁ。。。
といたく感じ入ってしまいました。
はじめに紹介したマダムの言葉と重なるところがあります。
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おとなのオサレ、相手のことを思った装いが出来る
先ほどスマホをあけたらビッグブロガーのさよのシンプルライフのさよ様のTwitterにも素敵な言葉がありました。
母が喜んでくれるよう明るい色の服を着ていこうと思います
原田さよ様のツイッターより引用抜粋
わたしは今まで装いに関して”相手が喜んでくれるかな?”と言う発想が全くなかったのでかなり衝撃を受けました。
言葉で伝えなくても装いから”わたしは元気ですよ、お母さん”ということも伝わりますものね。
さりげない心くばりが素敵♡
これを書いている時、実母が最後の入院をしている時にわたしの姿を見てかけてもらった言葉が蘇って来ました。
”素敵なブラウス着てるわね”
そう言われたブラウスはわたしには哀しすぎてその後一切袖を通すことが出来ませんでしたが、、
病床に伏していても目から入る情報でこころが和んだ、と変換すれば良かったんですね。。。
わたしは装いの力ということを今の今まで全く理解していなかった、ということをお二人のブログやツイッターから気がつくことが出来ました。
まるたけ様・原田さよ様ありがとうございます。
今、1/8ほど人間になったような、、気がします(笑)。
自分が前に出るだけの装いとは違う装いが出来るのが大人女史のオサレなんだな〜と妙に感じ入った今日のわたしでした。
皆さんも装い(オサレ)で気をつけていることがありましたら是非指南して下さいな♡
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