大人のオサレはいかに自分を知るか、自分を自由にさせるか、自分を自在に演出させるか、中心は全て自分ですが時に一歩引いて考えることも必要だな〜と思った事を今日は書いてみます。
大人のオサレは深い
大人女史になって人生の後半生を過ごすようになりました。
素敵だな、と思う先輩マダムはどこか”社会のこうあるべき”という鎧のようなものを一旦はずして自分の好きを極めに行っている人が多いです。
そしてここ↓で取り上げた本のようなマダムになれたらいいな、と言う妄想もあります。
オサレマダムには程遠いわたしですが憧れのマダムは何人かいます。
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おしゃれ、自分の好きをグイグイ押すだけがオサレではない
大人女史は制服も会社の決まりも卒業した位置にいるので、何者にも縛られない自由があります。
自分をよく知って自分の好きをいかに表現するかがオサレマダムの近道だろうな、と思います。
けれど自分の好きだけをグイグイ押すだけがオサレではないことを憧れのマダムに諭されたことがありました。
師匠と仰いでいるマダムに”親族でもないオバハン、結婚式におよばれしたものの何を着たらいいか悩む、、”と愚痴めいた話をしたら
と言われた時の衝撃は未だ忘れられません。
それ以来ドヤ顔をキメるだけではないオサレも頭の片隅に入れるようになりました。
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場に合わせた装いが出来るか
まだ暑かった9月の会合。
ドレスコードは明記されていませんでしたが着物を着て出かけました。
旧仕事がらみでしたが、ご一緒した方々は共に過ごした頃とは違い格段に立派になっていました。
昔のノリのままラフカジュアルでいったら多分場違い&勘違いオバハンだったと思います。(汗)
結果的に皆さんに敬意を表す装いとなりました。
羽織りも着ていったしね。
独りよがりなオサレをしないで良かった〜、暑いからとラフで脱力しまくらなくて良かった〜と胸をなでおろしています。
「きちんと」という言葉は苦手ですが、場面に応じた装いを心がける気持ちを持つって大切だな、と改めてわかりました。
相手のことを思った装いが出来るか
今叔父が脳梗塞で入院中です。
退院したら会いに行きたいと思っています。
左麻痺が残っているのですが、とにかくポジティブで明るい人で、リハビリも頑張っているそうです。
ただ季節が秋から冬に移行し、ともすると衣類も暗い色目になりがち。
暗めの格好だと相手も気分が滅入るので、会いに行く時は気持ちがパァと明るくなるような明るめの格好にしようと今から考えています。
退院のお祝いで行くなら、目から入る情報は和む方がいいですよね。
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装いの力は奥深い
わたしはマダムに指摘されるまで
装いで場に敬意を払う
とか
装いで相手に喜んでもらう
という発想を全く持っていませんでした。
しかし年齢を重ねて少し周りのことも考えられるようになって来たこの頃、、(と言い切れるかやや疑問ですが、、、)
少しずつ対面する場や人の事を考えてオサレもしていけたらいいな、と思い始めています。(今頃。。。)
老婆は1日にして成らず
自分が前に出るだけの装いとは違う装いが出来るよう精進していこうと思ったグリコです。
本日も最後までお読み下さりありがとうございました。
皆さんも装い(オサレ)で気をつけていることがありましたら是非指南して下さいな♡
コメント
コメント一覧 (2件)
父が亡くなってから、母に会いに行くときは母の好きな色の服を着るようになりました。自然と…。靴やスカーフも母が好みそうなものを選んで。グリコさん、前にこんなふうなに書いた私のTwitterに、コメントをくださったことがあったように思います。あのときは嬉しかったです、ありがとうございます。
お見舞いでの装いも気をつけないといけないマナーがあり難しいですが、グリコさんの気遣いを叔父様はきっと喜ばれると思います。
原田様、お忙しい中コメントありがとうございます。
マナーだと外側の形式ばかりが気になりますが相手を慮る行動はこころの内側から湧き出るものなんですね。
ということを今頃自分の中に落とし込むことができました。ありがとうございます。
それが出来るさよ様はやはり素敵な方なんだと思います。
オジサンは転院をし、年内に自宅に戻れるか?というところなのですが、明るい気持ちで会いたいと思っています。