遺品整理、悩ましい問題ですね。私も両親の遺品整理をしましたが、それは他の人と意見のすり合わせが無かった『打ち切り世帯』だから出来たのだと思います。4回目の放送(5/15)録画を観て、もしも夫シンジさんの遺品だったらこんな展開になるのか、、?と思いを馳せたグリコール・グリコです。
ウチ、断捨離しました!にとうとう『遺品整理』が登場。それも夫との予期せぬ遠方でのお別れ、、手が付かないのも分かる気がする、、
今回は『遺品整理』。それも退職後、息つく暇なく遠距離介護のために単身山口に行かれそこで急死された夫様の持ち物です。
急死してから四年と言う時間が経ったものの、心のけじめがついたお別れでは無かったため、遺品にはなかなか手がつけられなかったそうです。
そんな状況ならなおさらですね、分かる気がします、、(泣)。
人生100年時代の負の側面も垣間見える遠距離介護
『住まいは東京』にありながらそれぞれの両親を介護をする為に、山口と福島へと遠距離介護していたご夫婦。
(遠距離介護をされていたもず様も本当に疲れたと思います。。)
やましたひでこさんは言う、”人間は始末をつけて逝きたいもの”
やましたひでこさんは急死された相談者の夫様の遺品を拝見しながら、
とおっしゃっていました。
そうそう、そうなんです!
親の遺品整理で学んだ自分の最期の後始末をするんだ、と言う決意。
お別れはいつだって突然だから。。。
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やましたひでこさんは言う、遺品を”捨て”るのではなく『供養する』
とおっしゃっていました。
故人と会話しながら残すものを選ぶのが『供養』でもあると。
捨てるのではなく「供養」!と行為の意味合いを変えると故人のモノを手放す罪悪感が薄められる。さすがですね。
確かに供養だよ、と言われれば気持ちがすごく軽くなりますよね。
やましたひでこさんは言う、人は想いをモノに貼り付ける
ここでゲストの安藤和津さんが実母の最期までつけていた酸素マスクをいまだに捨てられないでとってある、、とトークが入ります。
ここでもやましたさんは『なんでそんなものとっておくの?』なんて野暮なことは言いません。
”その酸素マスク、飾ったっていい!”と肯定します。
これ、北風と太陽の話みたいだな〜と思いました。
『捨てでしょ?』と言われると意固地になって『絶対捨てられない!』としがみつきますが『お母様の命を繋いでいた象徴なんだから飾ったっていいくらい!』と言われると、安藤和津さんの顔がパァ〜と明るくなりました。
自分の気持ちを肯定してもらってすごく嬉しそう。
自分の気持ちを否定せず受け取ってもらう事って結構重要なんだな〜。
認めてもらうと案外執着って外れやすくなりそう。
多分その通り飾ったとしても何年かしたら『あれ?なんでこんなに執着してたのかな?』と言う日が近々来るのではないか、、とトークを聞いて思いました。
安藤和津さん、いつかそう言う日が来るといいっすね!
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遺品、妻にとってはつらい、悲しいと言う象徴、でも子供にとっては愛しい象徴
遺品整理、相談者さんはザックリ『供養』と言う形に変換できたので過激に進み始めます。
”お父さんのモノがいつまでもあったらお父さんが成仏できない、供養よ、供養!”
しかしいざ始めると娘がストッパーとなって仕切り直しに。フゥ、、
娘さんは遺品コーナー、遺品部屋のようなもの部屋の一角に作りたいと切望します。
ありがとうも言っていないお別れだったから、、と。お父さんを感じたいんだな〜
(複数で遺品整理をすると意見をすり合わせるのが大変だ〜)
最後はこの温度差を亡きお父さんを中心に置きながら二人で対話してすり合わせることが出来ました。
空間が生まれれば心に余裕ができる。そして相手を受け入れていける。
byやましたひでこ
遺品を再活用して新しい命を吹き込む
ラストでは相談者さんは娘さんの気持ちも理解し、ネクタイを再活用してテーブルセンターを作ろうと取り掛かり始めました。モノをとっておくだけでなく、再活用することで再び命を吹き込む、アリですね。
私ごとですが、私も実母が作ってくれた刺繍のバックを再活用して使っています。
小学生の時使っていたサブバックをミトンに変身。だいぶ汚れてきたし、そろそろお別れしてもいいかな。ここまですると使い切った感が出てきます。
あと、このブログのアイコンのお家。
実母が作った針刺しの刺繍からトリミングして現在活躍中です。
(我が家は夫シンジさんのご愛用品はカメラくらいなので衣類であれこれは無さそう〜)
やましたひでこさんは言う、捨てるより選びぬく
やましたさんは言葉の変換の名人だな、とつくづく思います。
『捨て』だと『もったいない世代は動かない』。
ならばポジティブな言葉で変換したらどうなる?→『選びぬく。』
これなら素敵な響きだし、主体が自分の『選択・決定』だから達成感が湧きますね。
また毎日小さな積み重ねでも、自分が選びぬくと言うことを繰り返していくとモノでどうしたらいいかわからない状態にはならないはずです。
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自己選択・自己決定は大きな人生の選択場面でも活きる力
私はこれからの時代に絶対不可欠なのが『自己選択・自己決定』の力だと思っています。
何故ならこの『自己選択・自己決定』はこれからの自分の生き方&死に方に関わってくるからです。
家長制度が消滅して核家族へと移り、誰かが自分のことをなんとかする時代は終わりを迎えようとしています。
自分のいざという時のこと(介護・看病・延命措置の有無、死後)は幸か不幸か自分で決めていく時代となりました。
そんな時代になったからこそ、混沌から脱出したい人たちが断捨離®️と言う考え方に注目するんだな、とも思います。
ウチ、断捨離しました!は再放送もしているので見逃した方も、録画し忘れた方も再チャレンジできますよ!
コメント
コメント一覧 (2件)
グリコさん
こんにちは。山口への遠距離介護って言葉を見てドキッとしました(汗)。
そうなんですよね、それぞれの親をそれぞれが見る時代ですよね。
そして兄弟が何人いても、一人に負担がかかるケースが多い気がします。(うまく振り分けられている場合もありますが、それは稀な気が・・・。)
安藤和津さんの本、読みました。最初、お母様が認知症ってわからなくて、怒ったり憎んだりしたというその自責が酸素マスクなのかなーと思ったりします。私も、その自責の念はわかります。認知症に関しては多かれ少なかれ、子供はそういう気持ちを持つのかなと思います。すぐ気が付かないものだから・・。
最近知り合った方が、お母様が60そこそこで亡くなられて、やはりなかなか整理ができないとおっしゃってました。癌が見つかって残りはひと月と言われたけど半年もたれて亡くなられたそうです。5年経って、少し整理できるようになりましたと。なんかグリコさんが書かれている断捨離の番組をミックスしたような感じですが、人の死と家族の思いはそれぞれなんだろうなと思いました。その方に、私もその状況だったら簡単には整理できないから、無理しなくていいよと伝えました。
それからうちは夫婦そろって加齢臭なのでコロンを使ってるんですよ(爆)。
こんにちは、もず様。人生100年時代という罰ゲームに飲み込まれていく自分を感じます。。。
そう、兄弟がいても看る人間は一人が多くなりましたね。それはそれで大変ですが兄弟が交代で、というのも押し付け合いみたいでなかなかうまくいかないようです。
義理母は婚家の義理親の介護をじいじの弟妹からトップダウンで『分担制で病院付き添い』を言い渡されたそうです。じいじは長男なのに。
”今日は〇〇さんの分担の日なのに来てない”とか言われて嫌だったと言っていました。兄弟で助け合うって実はなかなか難しいと思います。もちろんうまく言っているところはあるとは思いますが。。
死別は時間薬が一番ですね。その時間は人それぞれ。自分の心のさざ波が凪いだ頃、整理すればいいと思います。そういう時はいつかきっと来るから。
コロン、素敵な上品なもの紹介ありがとうございました。サンタマリアノヴェラッタゲットしましたぜ。とってもいい匂いで長続きしてサイコーです!ありがとうございまーす♪