いきなり「終活」、と言うとなんか暗い感じになりがちですが、今日は「今までこのような過去モノを処分して来ました」と言う振り返りと、「終活は老いてからではなく自立し始めたらやり始めてもおかしくない」と言う提案をしたいと思うグリコール・グリコです。
片付け、自分の持ち物で、思い切るまでが大変だったものは?
片付けをして、自分の持ち物で思い切るまでが大変だったもの、それはズバリ、
人の思いがつまったもの。
頂き物を処分出来なかったです。下さった方(親も含めて)相手の気持ちを優先させていました。
- 雛人形、色紙、結納品など時が止まったまま引越しの度にそのまま連れていっていました。
↑の記事で私がした処分方法も書いてありますので、時間があったら目を通してみて下さい。
ここで体感したのは、
と言う事でした。
- 心の拠り所にしていた過去の思い出の証拠品(自分が生まれてから結婚するまでのアルバムなど)
両親の気持ちがこもっていたアルバムはなかなか手放せませんでした。けれど昔のアルバムは重いし、デジタル化に踏み切りました。
この時は、両親も亡くなって時間も経ったと言うこともあり、今思うと改めて『真の親からの独立宣言』の一つではなかったんじゃないかな?
と感じています。
他のアルバムは単に『黒歴史の抹殺』ですね(苦笑)。
なんせ我が家は『打ち切り世帯』、後継なしなので自分がソロの頃のモノが残っていると後始末が大変です。
このタイミングで自分が納得して手放せたのは本当に良かったと思っています。
- 両親の、特に母の残した骨董や手仕事のモノ(滝汗)
コレはかな〜り時間が掛かりましたが断捨離®️を進めていくうちに薄皮が剥がれるようにポロポロと取れていきました。
骨董品はコレまた時間がかかりましたが大物はほぼ処分出来ました。
実母のやりかけで止まっていた刺繍は何としてでも完成させておきたくて、ポジャギの先生の手をお借りてまで完成させたという曰く付きの品もあります。↓
何故、実母が刺繍が出来なくなったか今ではわかります。
加齢性黄斑変性で眼にダメージを受けたというトリガーの元、”根気・やる気・元気がだんだん無くなってきた”から。
この実母の手仕事手芸用品を手放したのをきっかけに、私もストップした手仕事類はさっさと手放し、ついこの間、最後の手仕事類も全部処分し終わりました。
親の残置物(あえて使いたい残置物という言葉)から学べることもあります。
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終活は人生の節目でプチリセットしていくのがいいなと思った。
人生の節目とはどんな場面か?
1、親元を離れた時・独立した時
殆どの方が、何かしら自分のモノを実家に残したまま親元を離れると思います。
もちろん帰省する時に自分の居場所だったところのモノが丸々なかったら寂しいと思います。
自分の体験で言うと、そのままにして置いて、同居や実家の処分の時に後々のツケになって回って来ました。
ご実家の自分の私物がまだ残っている方は実家に戻る都度に少しずつ片付けをして置いたほうが後々楽になると思います。
2、引っ越しをした時
私は何回も引越しをしていたにも関わらず、片付けに目がいっていなかったので、引越しダンボールに不要なものを入れてそのまま保留にしていた過去の失敗経験があります。
移り住む場所の容量に合わせてものを減らせる大チャンスです。
3、病に襲われた時
凹む事柄と思いますが病気をするって今までと違う生き方をせよ、というお知らせでもあると 私は感じて居ます。
がむしゃらに全力疾走して居た方であれば、ふと立ち止まって今までの事をリセットするいいチャンスではないかと。
4、両親やパートナーとの死別
死別はとてもツライことですが自分のコレからを考える大きなきっかけになります。
思い出の中でそのまま暮らしていくことや、今までの暮らしを維持して行くのは想像以上に大変です(経済的にも)。
また自分の時間は無限ではないことも改めて気づかされます。
50からのコレから、変化を恐れず今とコレからに眼を向けることが必要だとアレコレ体験して思います。
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片付けは若い時から人生の節目節目で意識して行くだけでも違う
私は上記の節目に気が付かずに、親の死をきっかけに終活に目が向き始めたのですが、日頃からミニマム・シンプル志向意識が高い方はきっと改めて終活をするまでもないだろうな、とも感じて居ます。
人生は変化をして行くもの
人生は拡散・収束の繰り返しです。場面に応じて必要な物事は変わっていきます。
それを意識して過去に自分の錨を下ろしたままにしないことがすんごく大切だな、と今までのことを清算して思います。
それが私からの提案です。
コメント
コメント一覧 (2件)
グリコさん
こんばんは!実家に関するコメント、本当にその通りだと納得します。
ツケになって回ってきました(涙)。先延ばしにしてもいいことはないですね。
最近中国茶を習い始めました。中国茶、独特の道具が必要なんです。
確かにお猪口みたいなお茶碗で何煎もの変化を楽しむものと言うのはよくわかります。
香りや味の変化は面白いです。
が、別に家で飲む分には、いつも使っている小さい急須というかポットでざっくり入れて、マグカップで飲むという、変化が全く分からない(でもおいしい。)飲み方で私は十分だと思いました。邪道ではありますが、こういう楽しみ方が50代から気楽に始めるにはあってるかなと思いました。深く知りたくなったら、その時はその時で考えようと思います。
40代だったら道具を増やしたと思います(爆)。
おひさです、もず様。ほんとブーメランのように自分に戻ってきましたね、実家の残置物。オヨヨ、でございます。
お、中国茶趣深いですね!料理といい、もず様いい趣味を捜すなぁ〜。さすがだ。。
中国茶の淹れ方も独特ですよね〜茶器も小さくて可愛いし。うん、私も揃えたくなります〜(ウズウズ)
家で飲む分には、、というくだり、確かに。
三十年前に中国に行った古ーい思い出がありますが現地の皆さん『マイカップに茶葉を入れっぱなし』でお湯を継ぎ足して飲んでいました。(笑)
とりあえず現状はそれでいいと思いますぅ〜そそ、お茶の奥深くまで潜入してしまったらその時はハマりにハマってコレクションしちゃってください!