コロナ禍の時はyoutubeのヨガを見よう見まねでやっていました。インストラクターの先生に実際ついてヨガを学ぶとわたしがやっていたのは本当にかたちの真似事だけ。実際はもっと奥深いものでした。
本当はヨガをちょっと疑心暗鬼でみていた
動きが少ないのでシニアがハマるヨガ。
わたしもコロナ禍ではyoutubeの動画で真似事をやっていましたが、本当はちょっと怖さもありました。
何が怖いってポーズの名前からしてハラーサナとかシャヴァーサナとかなんでも『サナ』がついてなんか胡散臭い。(ごめんなさい、ディスってません)
地下鉄サリン事件を起こしたあの新興宗教も入り口はヨガで人を集めたとも聞きます。
だからリアルヨガに近づくのはちょっとビビっていて(汗)フィットネスクラブにいってもあえてヨガの講座は外したりしてました。
無駄に慎重派。
人疲れした時期があって少人数のヨガ講座を選択
フィットネスクラブで人気の講座ばかりとっていた時期があり、やや人疲れした時期がありました。
そんな時、少人数予約制のヨガの講座があったのです。
コロナ禍の人数制限以上に参加人数が絞られる、それだけでかなりホッとしたのです。
インストラクターの先生はみな同じようなことを言う
何人かのインストラクターさんの講座を受けましたがみなさん同じようなことをおっしゃいます。
- 手放す
- 自分の内側を観察する
- 今この瞬間を感じる
- 人と比べない
- ゆるめる
- ジャッジしない
- 呼吸に意識を向ける
などです。(他にもあったかと思うけど忘れました、、汗)
わたしの中で腑に落ちたのは3つ。
その3つを挙げてみます。
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ゆるめる
そうなんだ〜と一番刺さったインストラクターさんの言葉がまずこれ。
と言う言葉でした。
確かに!
人間って何か始めると頑張ってしまうんですよね〜。
それが過ぎると『〜ねばならない』の自分へのノルマになってしまいがちです。
少なくともわたしはルーチンではなくノルマ達成のための行動のしかたが多かったです。
それが無意識に自分を苦しめていました。
で、それを結果的に『手放す』方向にシフトしていきました。
皆さんにわかりやすい事例だと「ブログ」を毎日更新することを手放しました。
目の問題を抱えているのが一番の理由ですが、『〜ねばならない』でブログを書くことが苦痛にもなってきたのです。
今まで諸般の事情で時間が押し、ブログが書けない日があると”あ〜どうしよう今日更新できなかった、、私の時間返せ〜”とイラつくことがありました。
しかし『緩める』ことを頭の隅に入れると書けない日があっても
間があいてもま、いいか。
と、自分を許せるようになりました。
掃除にしても当初は”〇〇時までに掃除を終わらせる”という目標を設定していました。
にかわりました。
そうやって自分を縛っていた諸々をひとつひとつ外して行くことにしたのです。
するとガチガチだった肩こりも軽減、気分も穏やかになっていきました。
ジャッジしない
この言葉の深いところはまだよくわからないのですが、良い・悪いで振り分けるのを止める、と言う感じでしょうか。
何かが起きても正しい解はどれか、ではなく起きていることを『そうなんですねぇ、、』とただ受け止め、あげく受け流す感じ?
自分が正しいと思う解の振り分けることをやめると
こころの中にさざなみが立ちにくいというか、思い込みの歪みも流れて行くというか。。。
相変わらず「寝坊ぎみ」で夫が出勤する20分前にくらいに起きるわたしです。
当初は起きられない自分にダメ出しをしていましたがこの頃は「ん〜よく寝た。。」で終わっています。
今、自分に超優しい。
あ、これは開き直りですね。あはは。
呼吸に意識を向ける
普段息をするって無意識にやっていることなので、改めて『呼吸』に意識を向けると結構普段の呼吸って浅いんだなぁ、、と分かりました。
最初『呼吸に意識を向ける』と言われても、スーハーしながら今日の夕飯どうしようかな、、と雑念が湧きまくりでしたが、この頃はちょっとだけそれが少なくなりました。
また、入眠前に深呼吸をしていると段々からだの緊張がゆるくなって寝落ちしやすくなりましたよん。
ヨガのポーズに関しては相変わらず出来ないポーズも多いです。
しかしインストラクターの先生から”人と比べず自分が出来るところまででOK”とお達しが出ているので見栄を張らず等身大の自分を受け入れることが出来ます。
ありがたし。
ヨガの深みにはまらず一生「シャヴァーサナ(しかばねのポーズ)」で良いくらいに思っています。(まだちょっとその精神世界がこわいのよ)
しかーしあの断捨離®のやましたひでこ大先生もそもそもはヨガからの発想であのメソッド体系を構築されたので程よいところまで理解できると良いなぁ。
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ヨガを学ぶことで分かったほどほど加減
向上心・好奇心ってすごく大切なことなんだけれど、自分に負荷をかけることも時に必要なんだけれど、、ほどほど加減って実はすごく大切なんだなぁと思います。
昔のわたしはなんでも突き詰めることが好きでしたし、相手に対しても逃げ口を塞いでおいつめるようなそんな生き方をしていました。
最近になって余白を残すというか、深追いはせず、起こったことを”そうなんだ〜”とへうへうと受け取れるようになってきました。
これがシニアの本懐というか、、通過点のひとつなのかなぁ。
(もちろん更に時間が経てば前頭前野が誤作動をおこして思い込み炸裂&キレる時期に入るかも、、ということも承知しています、汗。)
本日はヨガを通して変化していった心持ちや学んだことを書いてみたグリコです。
今年はカラダ作り中心の暮らしになりそう。
今日も最後までお読みくださりありがとうございました〜。
ハッとする学びや気づきって思わぬところから得られるもんですね。
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