私の実家は特に帰依している仏教がなかったので神道形式で今まで年祭(法要)をやって参りました。今年で実母没後20年、実父没後18年。今年で気持ちの区切りをつけることにしました。弔い上げ(年忌法要じまい)です。
法事 まぁいいかと流すより心の中で区切りをつけたい派
本来なら仏事なら年忌法要は33回忌で弔い上げが一般的だそうです。
ただ昔と違って親族が集まって年忌法要を行うということは現実問題なかなかむつかしくなりました。
特に私の方の親戚はイトコであっても後期高齢者がほとんどで、集まることはかなりきびしいです。
実際母と二週間違いで亡くなった母の姉の法要は、次は23回忌、その次は33回忌となります。
企画側が皆後期高齢者でいつあの世に行ってもおかしくないメンツになったので、もう出来ないと言っていました。
自分達が老いて「もう出来ないから、、」と流すより、わたしは自分の責任で区切りをつけるほうがスッキリする派。
そんな自分の気持ち優先で今回も神道形式で20年祭をし、これで一旦区切りをつけることにしました。
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実両親の思い出話が出来た会食
実父と懇意だったご夫婦の奥様は体調が回復され、今回是非、ということで20年祭後我々家族と思い出話の会食をしました。
その時奥様が手作りの肉まんを持参してくださりびっくり!
実は実母は「手作り肉まん」が上手ですごく美味しかったのです。
奥様持参の肉まんも実母の作ってくれた肉まんとそっくりで2度びっくり。
実母の肉まんの話はしていなかったので奥様もすごく驚いていました。
20年という月日の中で全くの赤の他人ながら、今でも両親のことを覚えていてお話をしてくださる方がいるありがたさ。
これでおしまいと言わずこれからはウチをふるさとと思って遊びに来てください
なんて言われてうるっとしそうになりました。
改めてこのような方々に引き合わせてくれた両親に感謝し、ありがとうねと手を合わせたのでした。
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弔い上げ、責任を果たしてほっとした
帰宅してどっとからだのちからが抜けました。
やっと区切りがついた、自分の責任は果たした、という安堵の気持ちが強かったです。
これも終活のひとつ。
こうやって自分絡みのことを一つひとつ終わらせていく。
打ち切り世帯ならではですね。
今後は年祭(年忌法要)めいたイベントは行うつもりはありませんが、ふとした時に樹木墓に足を伸ばし、また海に行き、故人を偲ぶことは自然と行うと思います。
そのくらいのゆるさで生きていきたい。
現時点で自分達は海洋葬を希望しているので娘にはそう伝えてあります。
死後も多様性の時代!
一方、婚家は今後2028年に義理父17回忌、義理母7回忌があります。
(こちらはそろそろ義理兄がしっかり管理運営してほしいところ。)
ホッとしたのも束の間、新しい案件が発生し、11月には夫の実母実家の墓参りに行くことになりました。(実は夫も行ったことがないという、、)
南フランス在住だった叔母が亡くなってお骨が日本に帰ってきたからです。
生きているといろいろな事案に遭遇しますが、一つひとつ丁寧に対応していこうと思っています。
生きている間はやれることはやる。
あとは野となれ山となれ。(開き直り)
本日は実家両親の弔い上げをした話、肩の荷が少し軽くなったグリコでした。
本日も最後までお読みくださりありがとうございました。
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