シニアの二人と1匹暮らし、穏やかに過ごしています。遅れてきた夫婦だけの時間、しあわせ、という言葉はこそばゆくてあまり使わないわたしですが、今が一番幸せなのかもしれないです。
穏やかなる日常、平凡な日をかみしめる夏至の日
夏至の日は、暑かったものの風も爽やかで、日中窓を開けて過ごすことができました。
特別なことはなく、いつも通り掃除をして部屋をリセット。
それだけで部屋の空気感がピシッと引き締まるのを感じられるのが嬉しい。
洗濯物も外干し出来てさっぱりしたし、暑くても窓を開けて、昼間の間、空気の入れ替えができました。
そんな小さな事柄も、穏やかな日常を噛み締められたひとつの要因だったのかもしれません。
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循環する暮らし:不要品整理も定着した自分に「よしよし」
この頃は自分の適量がよく分かってきたので、引き出しの中を整理し、増えてきたジム用の衣類を仕分けしました。
新しいものを入れたら、あまり着なくなったものを出す。
そんな循環サイクルが定着した自分も成長したな〜とセルフよしよしをしてしまいます。(笑)
そして着なくなったモノを抜いていくと、たしかにお気に入りだけになっていくので、本当に少ないモノでも満足するようになってきました。
夫と歩む道:ほどよい距離が心地よい二人と1匹暮らし
板についてきた二人と1匹暮らし。
この頃はお休みの日でも夫に気兼ねなく、自分のしたいことをするようなりました。
夫も自分のしたいことが色々出てきたので、お互いに予定を告知しあってそれぞれ動けるようになりました。
最初の頃は
「〇〇に行って良い?」
なんて伺いを立てていたのですが、そこまで気を使う必要がないこともだんだん分かってきました。
もちろん二人でお茶をする時間もありますが、最近はお互いに干渉しすぎず、それぞれの時間を尊重しながら共に暮らす心地よさが分かってきた感じです。

この頃に比べ↑段々二人暮らしのコツもつかみつつあるみたい♪
期待を捨てたら、心がすうっと楽になった
二人暮らしになって、
期待って結局、
という、相手をコントロールしようとする「欲」なんだと、殊更分かるようになりました。
期待してる時って、大抵その通りにはなりませんよね?
そして
そんな自分の思考回路がわかってくるから

腹が立つのは全て自分の心のなせる技。
だと気づきます。
そう思うと、
”人が他人をコントロールしようとすること自体がそもそも間違いだ”
ということも合点がいくようになりました。
認知の歪みが矯正されていくことで、相手も変化していくのでそこそこ穏やかな二人暮らしが実現されつつあります。
要は夫婦間のやりとりは、送り手のボールの投げ具合でいかようにも変化成長できる。
この数年の二人暮らしで実感できる自分の変化はまさに「自分の思考回路の矯正」かもしれません。
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ニャンコがくれるとっておきの安らぎ
ニャンコと過ごす空間を確保出来るようになって、ニャンコと夜一緒に寝る時が一番の幸福タイムになりました。
ニャンコもシニアになって腎臓も少しずつ悪くなっているので(泣)、一緒にいられるのはあと数年かなぁ、、と思います。
けれどその時がくるまで「ケアするからね、安心してね、いつもありがとう、」と言いながら寝りにつきます。
ニャンコの暖かさや聞こえる鼻息が、本当に至福の時です。
あっという間の60年:ようやく「自分のターン」がきた
子育て、仕事、親の介護、そして「おやかた」と、多くの人が経験するであろうことを、わたしも拙いながら経験することができました。
そして今、拙い歩みの中、与えられた役割や責任から解放され、やっと「自分のターン」に戻ってきた感があります。
バリバリ突き抜けていったやり手ではないけれど、それなりの解放感を今、感じているところです。
次の介護(夫の、滝汗)が来るまで、束の間の余韻を存分に味わおうと思っています。(笑)

だから今は何をしても楽しい♪
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凪いでいるような日々こそ「極上タイム」かも
これからたぶん派手なことは起こらず、人生は緩やかにすぼんでいくのだと思います。
ビビットカラーな刺激的な毎日ではなく、日本の古典色のような地味色の日々ですが、「かさねの色目」のように移ろいゆく日を味わっています。
変哲もない時間こそ極上タイムなのかもしれませんね。
毎日それなりに充実しています。って書けるようになったわたし、成長した!
本日は二人と一匹暮らしの近況を書いてみたグリコです。
派手なことは起こらないけれど、毎日それなりに充実しています。って書けるようになったわたし、成長した♪
今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
今日はフィットネスジムを休んで残りの梅仕事をやっつける予定で〜す。
二人と1匹シリーズはこちら↓


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