本の為の本部屋、、本がずらっと並んでる様は小さな私設図書館で我が家のすごく好きな場所です。今まで何回も本の精査をしているんですが、本に関しては査定が甘めなわたしでした。最近「選抜筋」を鍛え直しているのでここでまた『もういい』というものを抜きました。
実父の形見の本を手放したらこころに開放感が広がる
もう、本の精査は何回もやってはいるものの”要るものは要る!”って頑ななところがあり、ここのところこう着状態でした。
しかし夫シンジさんの”10年振りのおやかた”から我が身を振り返りもう一度本の整理を始めたのです。
たとえば芹沢光治良の本。
実父の形見のような本ですが自分が実際に手に取ってしみじみ読むかと言えばそうではない本でした。
実際にその本を手に取って眺めながら”読みたいと思ったら図書館行けばいい、”と思ったらスルッと手放せたのが前回。
元々わたしの本ではなかったし、この本に実父を見ていたのかもしれないです。
これを出したらなんとも言えない解放感がこころに広がりました。
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10年読まないものは今後も読まない、昭和の漫画を思い切って抜く!
漫画好きのわたし、引っ越しの時に選抜して残した1軍の少女漫画が本部屋の一番奥に入れてありました。
昭和の少女漫画は”娘にも読んでもらいたいな〜”と残して置いたのです。
(漫画の英才教育?笑)
しかしお薦めしたものの、娘から”こういうの、、無理〜”と言われて玉砕。
ちょっと残念でしたが好みの違いは致し方なし。
10年読まないものは今後も読まない、、のでした。
もう読まないのであれば処分です。
ただ頭の中には入っていますよ。
ベルサイユのばらはビニールカバーがかかっている頃のコミックスで定価が230円だったかな?
オスカルのラストのセリフ「自由・平等・博愛、、フ、ランス、、ばん、ざ、い、、、」と未だに言えるもんね〜(笑)
これを残しておいたのはフランスの歴史が分かりやすかったから。
大島弓子先生はおおやちき先生がモブキャラとかちょこちょこ描いてある『罪と罰』だけ残しました。
巴里夫先生は物語の作りが本当に上手。戦争の話の単行本だけ一冊手元に残しました。
すごく大切に残していたものの、、これらを改めて本棚から出したら、本当にお疲れちゃんの後ろ姿でああ、もういいよ〜ありがとうね〜って言えました。
確実に自分の漫画大好き少女時代は終わりを迎えたな、、。
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これがないと生きてけないほど好きな本はあるのか?
本の選抜基準、『10年経って読まないものは今後も読まない』は第一関門。
更に選抜筋を鍛えると
自分の蔵書(と言っても大したことはない)の中で、『この本がないと生きていけないほど好きな本があるか?』
と問うと残す基準がかなり厳しくなります。
という結果になりました。
そう思ったら抜ける抜ける。。。
売りに行く気力はとうになく、これらも縛って次の古紙回収に出します。(もう寄付のために人を呼ぶのも面倒になりました。。)
今、本部屋はすごい勢いでわたしのカラーが減り、娘チョコのカラーに変わり始めています。
確実に世代交代を感じました。
留まらず・見直し、循環させるこれからの暮らし
やっぱり興味の方向は時間の経過と共に変わっていきますね。
好きがブレない方も多いとは思います。
わたしは濃い偏愛期が終わると解脱したようにそこから興味関心が剥がれるので、そのタイミングをうまく使ってモノを留まらせず・見直しをし、うま〜く循環させていきたいと思います。
今まで本はちょっと査定甘目で滞留時間が長かったですが、これからは「棺桶に入れてもらいたい本はどれだ?」くらいの意気込みでふるいにかけていこうと思います。
それにしても、棺桶に入れて欲しい本が無かったことにショック!
わたしの本への想いは、ただの所有欲だったのかぁ〜と化けの皮が剥がれた気分です。。。(しょぼん)
強いて言えば、これ?↓
これからは”この本がわたしの背骨”というものを見極めていくつもりです。
本日も暑い中最後までお読みくださりありがとうございました。
漫画ヲタのグリコール・グリコでした♪
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