新型コロナウイルスに翻弄され続けて一年強。介護関係ではショートステイ を利用しないという時間が続いています。現在全力で走るような暮らしはお休みして60%~70%の力でゆるゆる生きています。今日はやめたこと&続けていることの2つのお話です。
頑張るってそれでいいの?
40~50前半はまだ体力があったので”わたしが!”という前のめりなところがありました。
頑張るとか一生懸命とか。
気がつくと介護も10年目に突入、わたしも確実に老いました。
『グリコの乱』勃発 家族にできないことはできないと伝えた
2~3月頃が体力的にも体調的にもメンタル的にも辛かったです。
ある夕餉の片付け時になんだかもう疲れがマックスで
わるいけれど、あれもコレも、もう三人分のお世話は出来ないです。
と泣き喚くわけでもなく静かにアルカイックスマイルで、でもはっきり伝えました。
訴えってしず〜かに言うのが良いですね。(笑)
その日は確かすべてをうっちゃって義理母の入浴もせずその場から退出&寝逃げ。
家族は凍りついたと思います。
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家族でも言わないとわからない、伝わらない事がある
コロナで一日中いつも誰かと一緒の密着感。
逆に外と繋がれない閉塞感。
その二つにもどうにも耐えられなくなっていた頃でした。
基本引きこもりなんですが、日中の家庭内人口密度の高さにギブアップ。
今思えば給水なしゴールなしのマラソンをひたすら全力で走っていた感じがします。
気持ちも塞ぎ、ディの職員さんと顔を合わすのも嫌になりました。
ケアマネさんとの月一の面談もコロナの影響で電話でOKな状態だったので会うこともやめてしまいました。
結構危険水域にいたと思います。
うちの家族は『お察し』が出来ない家族なのではっきりいうことで改めて色々なことをシェア出来るようになりました。
夫シンジさんの変化1 配膳と後片付けをするように
週末は以前から料理を作る夫シンジさんですが、平日は配膳や片付けはしませんでした。
夕食は出てくるのが当然、片付けも流し近くまではもっていくものの、洗い物はしなかったです。
しないという行為、威張っている・そういうものだ、というより単純に『気がつかない』『こころがそこまで配れない』という感じです。
しかし『出来ない宣言』以降は夕飯の時間にいれば、配膳や片付け、洗い物もするようになりました。
これはかなり意識してやっているのが伝わります。(笑)
夫シンジさんの変化2 義理母入浴後のキャッチ&リリースを担うように
これも想像が追いつかなかった事柄なのか「入浴介助」とその後のキャッチ&リリース。
義理母つうさん、もう一人では入浴ができません。
だからいつも一緒の入浴です。
お風呂から出てからだを拭き、体重を測り、髪を乾かし、全身にクリームを塗ってパジャマを着る補助をします。
転倒リスク高なので、パジャマを着終わった義理母つうさんをリビングまでナビします。
恥ずかしいお話ですが、リビングに連れて行くまでずっとわたしは裸族のままお世話。
しかしそういう現場を見ていないので入浴介助の大変さの想像がつかない。
更に裸族のままリビングに義理母を連れて行っていることも知らない。
知ろうとしないのが正しいのかな。
もう誰の親なんだかわからない感じです。おいおい。
この距離感は継母だからなのか、単にやっぱり想像できないのか謎です。
とにかく現状を言わないとわからないのだ、ということは分かりました。
ただ『グリコの乱』以降はとにかく入浴後のキャッチ&リリースは家族にお任せできるようになりました。
(これは娘が居る時間は自主的に娘が下に降りてきて義理母を受け取ってくれているので夫の実働は半分くらい)
その他やめたこと1 夫と共に起きること
昔から『早起きは三文の徳』と言われていますが、実はわたし、冬場からずっと朝早く起きられなくなっています。
寝てて良いと言われればきっと10時頃まで寝ているのではないでしょうか。
今までは夫シンジさんと一緒に起きていましたがそれをやめました。
前の日にサラダだけ家族分作って冷蔵庫に入れておき、あとは適当に自分たち(夫・娘それぞれ各自)で朝食をとってもらっています。
みんな大人なんだから任せれば良いのでした。。
義理母つうさんは七時半過ぎに起きてくるのでそれまでに起きて準備しておけばOKです。
それだけでもずいぶんからだが楽になりました。
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やめたこと2 お弁当作り
自分が仕事を辞めてからトップダウンで”弁当を作るように”と言われていましたがやめました。
ワンポケットになって節約の意味も兼ねていたのでしょうが、今のわたしは「無理なく生きる」ことが最優先なのですっぱりやめました。
体力温存、体力温存。。。
やめたこと3 『わたしが!』と抱える気持ち
やはり一番大きいのが『わたしが!』という気持ちを手放したこと
これは長年無意識に課題の越境をしていたわたしにも問題があります。
すごい疲労もあれもこれも抱えて勝手に手を出して我慢していたからなんですよね。
今回の「グリコの乱」はからだのほうが危険を察知してこの『わたしが!』を止めてくれました。
コレからは大いに家族に助けてもらおう。
”わたしが!”と抱える気持ちを手放すって大切ですね。
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うっすら意識して続けていること 口角をあげる
”頑張る”とちがう”顔晴る”は自分にも周りにも良い影響があるので『口角を上げて微妙な笑顔作り』は続けています。(笑)
イラストはいささかオーバーですが、口角が上がるだけでかなり気持ちが緩むので(不思議と)省エネな取り組みなのでうっすら続けています。
笑顔(微妙な薄ら笑い)で静かにモノを申すってかなり怖いみたいです。
効きます。
コロナワクチン接種が済むまでショートスティを使えそうもないので、そういう意味でもがんばらない
コロナウイルスでは死にたくないと公言している義理母つうさん。
コロナワクチン接種が済むまではショートステイ を使ってレスパイトの恩恵を受けるのはまだ先でしょう。。
それまで自分が煮詰まらないように『あれもコレも抱えない』『頑張らない』のが現時点でのわたしの目標です。
てか、本当に頑張れなくなってきたので。。
無理なく生きる。ほどほどでやめる。家族の協力を得る。
そういうことが分かってきたグリコール・グリコなのでした。なはは。
コメント
コメント一覧 (2件)
グリコさん
お疲れ様です。本当にしんどくていらっしゃるのですね。
介護とか家事って細々したことまで、経験ないと想像つきませんよね。
母の入浴介助のことを思い出しました。
以前いとこの娘夫婦の家に行った時、とても驚いたことがありました。
いとこの娘がキッチンで料理しながら私たちと話す間、彼女の夫は洗濯物をたたんでました。
マメな性格と聞いてたのでそれは驚かなかったのですが、洗濯物をしまい、キッチンで水を飲み、妻の横でコップを洗い、そこに干してあった牛乳パックをさっと取ってハサミで切って
保存すべき場所にしまってました。指示されずとも、さっと流れるようにしてました。
素晴らしいと思いました。時代は変わったと思いました。
悪気はないけど、私たち世代の夫はその流れが読めない。だからいちいち言わないといけない。私も日々夫に感じてイラってます(汗)。そのいちいち言うのが面倒で抱え込んでしまうのかなとグリコさんのブログを拝見して感じました。
まさに新しい生活様式を、家庭内でも模索する時期なのかもしれないですね。
体も気持ちも少しでも快適になられますように。
隙間産業でこんばんわ。もず様。今は大丈夫ですよーV
いとこの娘さん夫婦、素晴らしいさすが男女共同参画時代の申し子世代。
我が家は亭主関白でもなんでもないのですがま、気が利かないというか想像力が欠如しているって感じです。
そそ、悪気はありません。
言うとわたしは『否定から入る言い方』になりがちなのでそういう事を色々考えていたら押し黙る方が多くなってしまいました。
息抜きのカルチャーがコロナでダメになったのでガス抜きが難しくなったのは事実ですね。
はやくショートにいかれるようにならないかな〜と思いますが、施設側も大変だろうな、、と思うと色々複雑な思いがあります。
今は大丈夫なのでご心配なくVありがとうございます。