2018/9/10に旧ブログを完全に消去しました。旧ブログよ、いままでほんとうにありがとう。
又1からコツコツブログを作って行こう、と気持ちを切り替えたグリコール・グリコです。
ここを改めて見にきてくれる方、どうぞよろしく。
ものの捉え方や考え方がかなり偏ってバランスが悪かったのは父親似だから、、と今までずっと父親のせいにして済ませてました。
が、この数年で色々自分を探り、こころの中の傾いた天秤を少しずつですが補正しはじめています。
父もまた、ある時心境の変化が起きたようです。
父の書き残したノートはあらかた処分してしまいましたがこの文章は実父の心の変化と共に過去の歪なフィルターを外して掴んだ核心を物語っているのであえて公開します。
人のこころはいつだって変化自在、たどり着いた境地はシンプルで素直なものだった
以下が実父の文章です。これは葬儀の時にもプリントして配布しました。
記しておかなければならない大切なことは、人生の対する考え方が、素直に肯定的になったことである。
狷介(けんかい)で、防衛的で、しかも悲壮に否定的であったものが、五年のうちにゆっくりと転回してまったく逆になっている。
否定していくことは純粋で強烈だ。
と私は思っていたが、しかし穏健に肯定していくことこそ、より強い精神を必要とするのである。
そこには対象を包含し、暖かく眺め、いたわって行かうとする、素朴で寛容な感情が潤沢に用意されている。何事に対してもである。
そして他との調和を愛し、それでいて同時に率直になる。
否定的な生き方は、狭量で、自己を時には暴力を以てても守ろうとする弱さに通じるが、肯定的な生き方は、是を是とし、非を非とする識別力を高め、且つその見解をはっきりと提示していく勇気につながっているのである。
悲しければ嘆くし、嬉しければ素直に喜ぶが、しかしその根底に、感情に流されることのない、きびしく貫いたものは持っているといふことである。
つきあいにくい禁欲主義者にみられるような、どこかに棘のある冷たい姿勢を脱皮してゆくということ、そこにこそ平凡に生きる価値があると、それが自然に胸の中で氷の解けるように解って来たのである。
実父の遺稿より
私はこのノートの存在を知らなかったので、ここまで心情が変化しているとは気がつきませんでした。
(これを見つけた時、”この5年”と言うその5年がいつ頃だったのかが知りたくなりました。何故なら晩年はかなり強烈だったから、、汗、)
実父はとにかく頭に浮かんだ事柄をノートに書いていました。
時に寄稿文も頼まれたりしていたので、日記とは一線を画す、文章のネタ、と言うか思いつきノートだったようです。
これが老境と言うものなのか、そういった言葉で一括りするのは違うような、とにかくいつでも人間のこころもちというのは、気づきを得た時にガランと変わるんだな、素直でシンプルなところにたどり着くのだな、と感じました。
実父の言葉で改めてわかった「今ココ」の大切さ。堅い思い込みのフィルターを外すと言うこと
自分も、いくつも歪んだフィルターをかけて世の中を見ているような気がします。
そんなことばかりしていたような気がします。
この自分が作り出した思い込みの中の感情は、「昔被った過去の原因に遡って予防線を張って自分を守っている」という、因果律や結果論に縛られて無駄な鎧を勝手に背負っていた考え方の癖でした。
しかし「自分は過去にあった諸々のせいではなく今ココにある目的に従って行動を決定するのだ」と発想の転換をし、では、どのようにすべきか、どうあるべきかを探っていくと歪んだ考え方の癖が少しずつ補正出来るようになりました。
実父ももしかしたらそのような経過をたどっていったのでは、、と思います。
生前実父は”先暗示はするな”とよく言いました。
若かった頃はその意味がわかりませんでしたが、今は6割、7割方その意味がわかってきました。
”お前のその思い・考えは「今ここ」を生きていない未定の時間軸にあるんだぞ、今に軸足をつけろ。”
ということなんだ、と。
こころの時間軸はいつも「今ココ」に
原因を探すことも大切ですが、原因を知ったからといって例えば、「だから私の親は毒親だったの、いまでもそれが原因でひどい目に遭っている」では前に進みません。
目的は「そう言うことも確かにあったけれど、それを糧に私はより良い人間関係を築くために努力をすること、それが自分の成長&ミッションである」と思った方がいいな、と思っています。
なんて偉そうなことを言っていますが、もちろん、そこに至るまで沢山の失敗もしてきました。
特に家族との関わりは、どこまで関わるべきか&考えるべきかその課題の分離が最難関で、フツーのことが出来ない私はかなりもんどりを打ちながら修正・補正を加えることになりました。
家族との関わりなどは、またいずれどこかで書くと思います。
今回はこの辺で。
コメント
今日のグリコさんの記事、何度も読ませて頂きました。
私も半分程度でしょうが分かって来た気がします。
お父様の考えられた事、生きると言う事、自分が今存在する『ここ』にこそ焦点を当てて
経験や信念を生かして行かねばならない大切さ。
女性差別など毛頭ありませんが、なかなか女と言う生き物は余分なことも考えてしまう気がします。
それだけ深いのだとも思ったりしますが。
生意気ですが、生き方に揺れるような事がある時は今日の記事を再び読ませて頂き、
心に喝を入れたいと思います。
追伸:コメント欄が記事に遡らないでアクセス出来たら嬉しいです。
皆様のコメントやグリコさんのコメントから気づきや学びが非常にあります。
おはようございます、ブラン様。
実父の文章、言葉を、全然分かっていなかったな〜とこの頃になって改めて気が付きました。あはは。(汗)
整理して書くって、頭の中も整理できるので思わぬ再発見も有り、助かります。
そしてこうやってコメントを頂けることも。
色々片付けをしていく体験の中で「今ココ」という感覚がからだで分かってきた気がします。
で〜もまだまだ修行が足りないで〜す。(汗)
追伸のオーダーの件
すみません、文章がよく読み込めなくて、”コメント欄が記事に遡らずにアクセスできたら良い”というのは、ブログの構造上でのことをおっしゃっているのでしょうか?
1、下までスクロールして探すのが結構めんどい
2、サイドバーに書き込めるコメント欄があった方が良い
3、上がったコメント欄がサイドバーに表示される方がいい。
ブログを見やすく改良したいので、そこのところ具体的にアドバイス頂けますか?
わかりにくいお願いでスミマセンでした。
まさに、ほぼ3のことです。
スクロールは何の問題も無く、サイドバーにコメント欄は思いつきもしなくて。
コメントの有無が何処かで分かれば・・・だけでしたが、分かりにくい書き方でした。
と言っても私個人のワガママなお願いなのでお許しください☆
自分が読ませて頂いた後の他の方々のコメントが、これまでもとても心惹かれる内容でした。
勝手に『そうなんだ、そうなのか・・・』と共感したりして記事に更なる広がりを感じていました。
有無だけで十分です。
お返事ありがとうございます。ブラン様。
もう少しわかりやすいコメント欄作れるかな〜?その力量がないのでどうなるかわかりませんが見やすいブログ改良に努めます。
ホントね、忌憚ないご意見をいただくほうが嬉しいです。
なんせ孤独な作業とセンスがないのでとにかく見やすく、伝えやすいを心がけたいです。
又何かありましたらメールでも結構ですのでご意見くださいね。いつもありがとうです♡
グリコさん
お父様、素晴らしいですね。やはり年を重ねることで腑に落ちることはたくさんあると思うのですが、それをこんなにわかりやすく、かつ格調高く書かれるのはさすがに只者ではないとお見受けしました。
以前のブログでお父様のことが強烈な印象に残っています。
お父様の一言で、グリコさんが号泣され、ご主人が飛んでこられたこと。
うちと一緒だと思い、あまりにリアルに感じられました。
私は納得しませんが、周りからは父そっくりと言われるので、そのあたりも同じ状況かもしれません。
年寄りとの生活が長くなると、本当に今ここのことしか考えられなくなります。自分たちのことに関しても。それはそれでいいのかなと思ったりしています。
もず様、おはようございます。9月14日の今日はこちら秋雨が降っています。
旧ブログでの実父の発言読んでくれていたんですね、、そう迷言”コロッケはみんなで作ってみんなで食べるものです!”はもう、”ハァ〜?”でした。
今冷静に思えばもしかしたら認知症が出かかっていたのかも。
そして前頭葉が萎縮していたのかも。
COPDだったので脳に酸素が行き渡っていなかったのかも。
そのためキャラが変容したのかも。
と色々考えられるのですが、当時は心がパツパツで全部真に受けて正面対決していました。
アホですね、、、
亡くなってから主治医のドクターにお礼を言いに行った時、
”Tさんは難しい方でしたが、『それが老いというものです』”という言葉に救われました。
そうかそういうことか。。
老いゆえの脳の器質異常が起こっていたとすれば全てが納得出来ました。
もず様もお父さん似ですか。納得しない、という気持ちも分かります(同じ感じ、あはっ、汗)。
ちょっと前まで「今が大切」って言葉では理解していたものの、自分の中にしっかり落とし込んでいなかったように思います。
この頃はようやく実感できるようになりました。
理解力弱っ!
グリコさん
こんにちは。私も当時ぱっつんぱっつんでした。
介護のことって後になればわかることが多いのでしょうか。
そのひとことで破裂させられること、ありますよね。
ところで、私は最近署名を集めていました。私とは全く関係がないのですが、熊本市民病院の小児循環器存続のための署名です。熊本は数人の友人がいますが、友人の友人のお子さん(赤ちゃん)が地震の時に福岡の病院に搬送されたのちに亡くなられました。お父さんは息子さんの最期に間に合わなかったそうです。先天性心疾患の子供は必ずいるのだから、地元で治療できる体制を維持してほしいと患者さんたちが活動されてます。
私は友達が少ないので、署名を集めるなんてできないと思ったのですが、マンションの方たちや通っている病院で集めました。
いつになく本気で動いたのですが、それはグリコさんが旅立ちセットに書かれているように「マジ大変だったから。」です。8年半の遠距離介護で、介護にかかわる移動がどれだけ大変か、身にしみました。レスパイトサービスの必要性もよくわかりました。
署名を集めている間、これも母の遺産だなと思いました。で、母の集めていた人形を少し持ってきていたのですが、まだ段ボールの中だし、人形供養に出そうと決めました(笑)。
もず様こんにちは。
他の人に声をかけての署名運動、小さなきっかけから少しでも自分の行動がだれかに還元されるお手伝いができるっていいですね。
1枚でも2枚でも署名が埋まると小さな達成感が生まれますよね。
活動している方も嬉しいですが、集めた自分がニンマリ。ボランティアもそうですが、人のためにしていることが実は自分のためになって戻ってくる、
それが人が動く原動力なのかな?とおもいます。
お母様も色々活動されていたのでしょうか。人を思う、人に寄り添う、そういったこころを受け継いでいきている、それでいいんだな、と思います。
グリコさん
おはようございます。
たびたびすみません。
うちは母が社会活動をしていたんではなくて、母の遺産とは、遠距離介護が大変だと身をもって教えてくれたことです(爆)。
くたくたで、夜自宅に戻り、呼び出しで始発で実家と言うことも何度もありました。(またこういう時に、父の無神経な発言にブチ切れました。)
寿命を迎えた親でこの大変さなら、乳児や幼児を抱えたご家族の遠くの病院への通院の負担は計り知れないと感じました。だから何かしたかったです。
グリコさんがおっしゃるように、署名が集まると嬉しかったです。不愛想な人の意外な親切な部分を知ったりして、心温まる感じでした。
父の遺産は近居の大変さを身にしみて教えてくれることだと思います(爆)。
でも、近居よりさらに大変な同居をされているグリコさんには本当に頭が下がります。うちは同居になると、事件が起こると思います。実家に帰っていた時それは実感しています。
お掃除できて良かったですね。うちも夫が出かけてほっとしてます(汗)。
藪入り、ゆっくりなさってくださいね。私の藪入り(料理教室)は土曜日なので、それまでに今週は3回の通院に付き添わなくてはいけません。がんばります!
コンバンワ、もず様。リコメがすごーく遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
しばしPCから離れておりました。遠距離介護、長い時間をかけての移動大変でしたね。何往復もされて気力&体力削がれますよね、、
できるうちが華かな〜と最近思っています。これが自分が70代になって親の介護にでもなったらもう体力貯金の底つき状態なので、、
我々は早めに体験できて良かった、ということにしましょう♡
土曜日の料理教室楽しみですね。今回のお題は秋の料理なのでしょうかね。
うんと刺激を受けてきてください♡