ものの捉え方や考え方がかなり偏ってバランスが悪かったのは父親似だから、、と今までずっと父親のせいにして済ませてました。が、この数年で色々自分を探り、こころの中の傾いた天秤を少しずつですが補正しはじめています。父もまた、ある時心境の変化が起きたようです。
人のこころはいつだって変化自在、たどり着いた境地はシンプルで素直なものだった
父の書き残したノートはあらかた処分してしまいましたがこの文章は実父の心の変化と共に過去の歪なフィルターを外して掴んだ核心を物語っているのであえて公開します。
以下が実父の文章です。これは葬儀の時にもプリントして配布しました。
記しておかなければならない大切なことは、人生の対する考え方が、素直に肯定的になったことである。
狷介(けんかい)で、防衛的で、しかも悲壮に否定的であったものが、五年のうちにゆっくりと転回してまったく逆になっている。
否定していくことは純粋で強烈だ。
と私は思っていたが、しかし穏健に肯定していくことこそ、より強い精神を必要とするのである。
そこには対象を包含し、暖かく眺め、いたわって行かうとする、素朴で寛容な感情が潤沢に用意されている。何事に対してもである。
そして他との調和を愛し、それでいて同時に率直になる。
否定的な生き方は、狭量で、自己を時には暴力を以てても守ろうとする弱さに通じるが、肯定的な生き方は、是を是とし、非を非とする識別力を高め、且つその見解をはっきりと提示していく勇気につながっているのである。
悲しければ嘆くし、嬉しければ素直に喜ぶが、しかしその根底に、感情に流されることのない、きびしく貫いたものは持っているといふことである。
つきあいにくい禁欲主義者にみられるような、どこかに棘のある冷たい姿勢を脱皮してゆくということ、そこにこそ平凡に生きる価値があると、それが自然に胸の中で氷の解けるように解って来たのである。
実父の遺稿より
私はこのノートの存在を知らなかったので、ここまで心情が変化しているとは気がつきませんでした。
(これを見つけた時、”この5年”と言うその5年がいつ頃だったのかが知りたくなりました。何故なら晩年はかなり強烈だったから、、汗、)
実父はとにかく頭に浮かんだ事柄をノートに書いていました。
時に寄稿文も頼まれたりしていたので、日記とは一線を画す、文章のネタ、と言うか思いつきノートだったようです。
これが老境と言うものなのか、そういった言葉で一括りするのは違うような、とにかくいつでも人間のこころもちというのは、気づきを得た時にガランと変わるんだな、素直でシンプルなところにたどり着くのだな、と感じました。
(スポンサーリンク)
実父の言葉で改めてわかった「今ココ」の大切さ。堅い思い込みのフィルターを外すと言うこと
自分も、いくつも歪んだフィルターをかけて世の中を見ているような気がします。
例えば、本当は起きてもいない事を”きっと〇〇に違いない”とか”〇〇したらどうしよう”と勝手に妄想して時にイライラ、時にドキドキ。
そんなことばかりしていたような気がします。
でもそれは起きている事実とは違う、自分が作り出した思い込みの中の感情なんですよね。
この自分が作り出した思い込みの中の感情は、「昔被った過去の原因に遡って予防線を張って自分を守っている」という、因果律や結果論に縛られて無駄な鎧を勝手に背負っていた考え方の癖でした。
実父ももしかしたらそのような経過をたどっていったのでは、、と思います。
生前実父は”先暗示はするな”とよく言いました。
若かった頃はその意味がわかりませんでしたが、今は6割、7割方その意味がわかってきました。
ということなんだ、と。
(スポンサーリンク)
こころの時間軸はいつも「今ココ」に
原因を探すことも大切ですが、原因を知ったからといって例えば、「だから私の親は毒親だったの、いまでもそれが原因でひどい目に遭っている」では前に進みません。
目的は「そう言うことも確かにあったけれど、それを糧に私はより良い人間関係を築くために努力をすること、それが自分の成長&ミッションである」と思った方がいいな、と思っています。
なんて偉そうなことを言っていますが、もちろん、そこに至るまで沢山の失敗もしてきました。
特に家族との関わりは、どこまで関わるべきか&考えるべきかその課題の分離が最難関で、フツーのことが出来ない私はかなりもんどりを打ちながら修正・補正を加えることになりました。
家族との関わりなどは、またいずれどこかで書くと思います。
今回はこの辺で。グリコール・グリコでした。
コメント