新潟県中越地震の日に実母を偲ぶ

記憶

実母が亡くなって17年。あっという間の17年でした。実母が亡くなったのは10/21なのですがなんだか覚えられなくて、、。いつも新潟県中越地震の日だよというトピックが上がってからああ、その二日前が命日だ、、と思い出すわたしです。

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ポルターガイスト?家が揺れたその瞬間

葬儀一式が終わって骨壷を抱えて実家のドアに手をかけたその時に、、家が揺れました。

咄嗟に思ったのが

え?!やだお母さんソッコー帰って来てコレ?すごい、、ってか怖!

でした。(滝汗)

家に入って程なく新潟に地震が起こったと分かりホッとしてはいけないんだけど、”良かった、お母さんじゃなかった〜”と思ったこと今でも強烈に覚えています。

菅原道真の祟りを恐れて神社を作っちゃうくらいのむか〜しだったらきっとわたしも”母の魂よ鎮まりたまえ、、”なんて神社を建立したかもしれません。

そのくらい情熱と信念の人だったので死んでもなおかつ家を揺らすくらい出来ると思ったからです。(笑)

物凄く一直線で人情に篤い人でした。

それがうざくもあり、成人してからはどこか『お母さんの愛情は愛情ではなく愛着』と冷めた目でみるわたしも居ました。

母を偲ぶ 強い精神力さえあれば何事も克服できるという根性論、苦手だった

人間ですからもちろんついていかれない面もありました。

とくに精神論や信念で物事を突破していこうとする力技はかなり苦手でした。

実母は『同じ人間、他の人に出来て自分に出来ないはずはない!』

という信念で道を切り拓いて来たタイプ。

それ故家庭に入っても我が強く実父とはうまく折り合いをつけることが出来なかったイタイ面もありました。

この『人にできて自分に出来ないはずはない』という言葉、わたしは早い段階でこころのなかで見切りをつけていました。

あなたはそうかもしれないけれど『人間は能力の差ってもんがあるの!』

もちろんそう思っていても母が怖くて言い返すことなどできるはずもなく。。。

出来ないことについては母の精神論に毒されることもなく諦めが早かったです(今もね、笑)。

わっはっは。

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実母が生前幾度も言った言葉どうりに海洋葬に

実母は生前幾度も”私は何も残さない、名前も刻まなくていい、私は血が残ればいいんだ、あとは海に撒くなり好きにしてOK”とカラッと言っていました。

その言葉どうりに素直に受け取りました、わたし。

みごと海洋葬にてお見送りしました。

手元に残した母を想起させるモノたちは時間薬でじっくり厳選しながら少数精鋭の、今です。

実母とお別れをして17年も経つと引きちぎられたような感傷的な気持ちも失せ、そういうこともありましたね、、(笑)程度のこころもちになりました。

これが老成するということか、、なんて思います。

ただ、変わっていく街並を目の当たりにすると、今でも”〇〇にあった▲▲が無くなっちゃったよー”とこころの中で実母に『交信』します。

こういうのって、、わたしだけかな?

命日スルー。仏壇もない、もう写真も飾っていないのでこころのなかで思う&思い出話をするのみ

幸い我が家は引き継ぐ仏壇もなく、檀家制度に足を踏み入れなかったニュータイプ。

亡くなって数年はエア仏壇に小さな写真を飾って好物を供えたりしましたが今はエア仏壇もないです。

実母は生前”生きている人間の方が大切。だから時間も生きている人間の方を優先せよ”とも言っていました。

だからとつなげて正解なのか、命日スルーも結構あります。

こう書いているとわたしってすごく罰当たりで情もない人ですね。

あはっ。

凹凸の激しい両親でしたが嫌いかと言えばNOで、いまでも凹部分も含め、愛しい人たちだったな、、と思います。

実母を亡くして17年、実父を亡くして15年になりました。

感情の荒波に飲み込まれることもなくふんわり思い出す、そのくらいのほの暖かさが今の自分には丁度いいです。

気持ちを形に現さなくても密やかにこころの中で思う、思い出話のひとつ二つするで十分です。

わたしもそんな年齢になりました。

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今は受け継いだ命を粛々と生きることに専念

還暦になると60年を一節(ひとふし)にして生まれ直すというか生き直す感じです。

両親も実家もとおに無いけれど、うっかり頂いた命はありがたく使わせていただこうと思っています。

この身が世のためになれば一番いいのですが、どう動いたらいいのか今の私にはうまい答えが出ません。

このブログも誰かのお役に立てば、、という思いで始めたもの。

わたしが生きて来て、ちょっとコレはいいわい!&この話、誰か受け取ってくれると嬉しい♡

なんて気持ちで書いています。

今日は命日スルーながらも本日のトピック『新潟県中越地震』から実母のことを思い出してまとまりなく書いてみました。

まぁこんなライトな人も居るんだくらいに思ってもらえればと思います。

本日はマジぐたぐたした内容でしたが、最後まで読んでくださった方いたらありがとうです。

見事に実母の命日スルーをしたグリコール・グリコでした〜。(滝汗)

コメント

  1. Kaorun より:

    こんにちは。
    喪中はがきを書こうとして「命日いつだったっけ」と分からなくなり、命日なしで文面を作った超ライトな私です。

    いつかは自分も死ぬんだし。
    そう遠くもないだろうし。
    せっせと現世でのお勤めを果たさないと、やり残して行っちゃうことになりかねないし。
    亡くなった人はそのお勤めの間に時々思い出してあげればいい、って思ってます。私も。

    そういう年になるまで親が元気だったというのは幸運以外の何物でもないですね。
    まだまだ相談したいことなどたくさんおありだったであろう時期にご両親を相次いで亡くされた…。その喪失感はいかばかりかと。
    むしろライトになられて良かった♪です。

    私が一番グリコさんのブログの恩恵を受けているやも。笑
    いつもありがとうございます♪
    あ。
    ちなみにKにハッカーは無理です。お兄ちゃんはゲームが好きでプログラミングに興味を持っているので「ホワイトハッカー目指せ!」と言ったら「やだ」と即答されました。あはは。

    • グリコール・グリコグリコール・グリコ より:

      返信がおくれました。ごめんなさいkaorun様。
      10代、20代での親との別れだともっと、もっととなるところですが40代で迎えたお別れは喪失感というほどでもないかと。
      ただ母の介護や送り出しは初めてなことばかりで慣れていなくてああすれば良かったかな、こうすれば良かったかな、、と思うことはあるものの、、もう後の祭りです(笑)。
      ブログを書いていてこうしてコメントを頂くことはわたしの財産にもなっています。
      人のお役に立ちたいと思いつつ逆にこうして励まされたりして育てていただいております。
      あざっすでございます。
      うーんK君ハッカーになってくれないのか、、じゃやっぱりyoutyuberか?もう少しするとまた違ったプラットフォームが出現しそうですね。
      その時K君はなにをめざすのかな???
      楽しみです♡

  2. もず より:

    グリコさん

    おはようございます。ブログしみじみしながら拝見しました。やだお母さんって(笑)。
    中越地震から17年。救出された男の子も大きくなられたでしょうね。私も命日スルー派ですが一応エア仏壇に手を合わせます(笑)。
    私も両親と話をしたいと思うことはあるのですが、帰って来られると困るかな。おそらく人生と言うものがそういうものかもしれません。完璧な人はいないんだと会えなくなって実感します。うちも衝突が多かったけどやはり大好きでした。

    それにしてもブログを拝見しながら思いました。うちの父は命日が阪神淡路大震災の日でした。だから自動的に思い出せます。そして母は熊本地震の一月後に亡くなりました。伯母は東日本大震災の年の3月末。これに加えグリコさんのお母様は中越地震。
    命日をしのぶよすがが、全部地震って日本って地震列島なんだなあと改めて感じました。

    • グリコール・グリコグリコール・グリコ より:

      返信おそくなってごめんなさい、そしていつもありがとうございます、もず様。
      本当にその日はえ〜!お母さんそこまでするんだ???と一瞬恐怖に慄きました。あはは。
      >命日をしのぶよすがが、全部地震、、本当ですね。
      ちなみに実父の命日は文化の日の前の日って本当に祝日満喫できないー!(笑)
      実はチョコの誕生日は阪神淡路大震災の日です。その日はロスアンジェルスも大地震があり、さらに湾岸戦争勃発の日でもあります。なんか特異日なのよね。(汗)
      うんうん帰ってこられるとちょっと困る気もする、、私は夢で実父に「ここに居るだろう!」と一喝されたことがあります。とほほ。
      なんかいなくなってあっという間の十何年になりました。わたしもババアになるわけです。あはは。

  3. ブラン より:

    〉とくに精神論や信念で物事を突破していこうとする力技

    グリコさんには親子ゆえ重かったと思いますが、私はこういうバイタリティのある人に出会うと元気を貰えるタイプです。
    多分私自身があるところではとても単純(周りの人からは素直と言ってもらえることもありますが)、
    精神論はともかく信念の強さに裏打ちされたブレないものに心から敬意を感じるからと思います。

    ただやはり身内だと厳しいかもしれませんね。

    お母さんとの交信的なこと、私も何かあると心の中で母に語りかけてしまいます。
    そして不思議なことに声やワードがフワッと脳裏に浮かび上がったりするのです。
    モヤモヤと悩んでいるような時は『放っておきなさい』が圧倒的に多いです。
    そして迷っている時は『大丈夫!』の声も。

    勝手に私が望んでいる言葉が言霊のように浮かんでいるのかもしれませんが。

    グリコさんのブログ、たくさんの人たちの役に立っています。
    読んでいていつもそう思います。

    ちなみについ最近、サーモスのスープジャー買いました。
    これにあったかスープ入れておにぎり持って冬の散歩に備えたいと思います☆
    これもブログのお陰です!

    • グリコール・グリコグリコール・グリコ より:

      ブラン様コメントありがとうございます。
      うん、親故松岡修造的な母の圧はひえ〜でした。(汗)
      実父は信念を持たないのが信念、、というひねくれ老人でしたよ。(笑)
      硬い信念って割れちゃうともろいから柔軟性が大切って言いたかったのかな〜とも思います。
      『交信』、ブラン様は繋がっているんですね。素敵♡
      >勝手に私が望んでいる言葉が言霊のように浮かんでいるのかもしれませんが。
      そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
      でも繋がっているんじゃないでしょうか。
      善い母上様だ〜。
      ブログ、お役に立ちたいと思いながら逆にこうしてコメントを頂いて逆に励まされることの方が多いかも、です。
      救われているのはきっと書き手ですね。
      日々みなさんから素敵なギフトを頂いております。
      こちらこそいつもありがとうございます。
      冬鳥のウォッチにサーモス♡本格的でエコなお散歩ですV