人は、自分が死後なお残したいものってなんでしょう?
こんにちは、グリコール・グリコです。
私は残したいものより残しておきたくないものの方が気になります。
生前の黒歴史にまつわるあれこれを今も見直しては処分して居ます。
義理父の残したものは自分が輝いてた時代のものでした。
まさにゴールデンタイムのものです。
シリーズ”親の家は片付いた”の今回はそんな義理父が残したモノの話です。
残ったものはその人のゴールデンタイムのモノ
新居に移って数ヶ月まさかの義理父の急死。
遺言状などなかったので相続など協議書を作成し、四十九日が終わって新盆を迎える頃に義理父の負の遺産(残したモノ)の整理に入った。
義理母は義理父のジャケット1枚を残して衣類は処分した。
他のものは主に夫が整理を担当した。
この時あっさり処分したのが義理父の旅行記である。
この旅行記は日程、車の走行距離、地図、写真が網羅されており、旅行に行くと必ず〇〇旅行記を作成して私にも見せてくれた。
しかし製作者本人がいなくなると「無用」のジャンルに。
まとめて「紙ゴミ」直行。せつねー。涙。
その他あっさり処分となったのが
印象深かったのがやはり「仕事のもの」。
社史、社員バッチ、名刺。
義理父は良き時代のサラリーマンだったので、会社を愛していた。
それらは夫も捨てられず義理父を偲ぶのに残してある。
私がとっておいてもらったのが義理父が書き残した「俳句集」である。
こういった「作品群」に弱い。
(いつか編集して一冊にまとめられたら、、と思うものの、気力がなくなったら義理兄に押し付けちゃおう。)
特筆すべき、義理父が新居まで持ち込んだ昔の思い出は、、「小学校時代のもの」。
ギャフン。
夏休み帳、成績表、
弟の誕生会に叔父らとしたためた寄せ書き。(●雄は叔父の名前、時代を感じる、、)
多分小学校の時期とサラリーマン時代の一番いい時期が義理父のゴールデンタイムだったのだと思う。
(そう思うと、私の実母が最後まで持っていたのが働いていた時の社員名簿だったし、実父は、、あ、本だ、、汗。)
そうか、人は自分が一番輝いていた頃のモノを大切に残すのかもっと気が付いた。
ならば私のゴールデンタイムはいつだったのだろうか、何を最期に残すのか、、
自分が大切なものでも他人にとってはなんの価値も見出せないことがままある
夫の作業を見て、自分が好きなものでも処分されてしまうのなら、いっそ自分の手で処分した方が良いっ!という考えに至った。
モノを残して「残された人に迷惑をかけるから片付ける」という気持ちより、「私のモノは私が責任を持って処分したい」という気持ちがますます強くなった。(あくまでも自分中心)
あと、惰性で所有していたものの中に”え〜〜グリちゃんったらこんなもの取っておいたのーーー(笑)”と笑い者になるのもチト痛い。
こうして親の家を方付け終え、自分の身辺へとシフトチェンジして行くのであった。
次は親の家を片付け終えたまとめへと続きます。。
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