実両親と死別して今年で母18年、父16年になります。父のものは本当に残すものが少なく、本の精査だけでほぼ済みました。が。母のモノはなんだかんだ後ろ髪を引かれ、『自分にとっての宝物』までに絞り込むのにはやっぱり時間薬が必要でした。今日は一旦これで最後にしていた『思い出の宝物』をさらにふるいにかけたグリコール・グリコです。
母の思い出のトリガーとして存在するあれこれ
片付けは一気に出来るものと、出来ないものがあると私は感じています。
もしかしたら『思い出の品』は一気に片付けたほうがいいのかもしれません。
まぁとにかくさっさと片付けて処分できたものもあれば、ずっと引っかかっていて処分できなかったもの、そして宝物へ昇華していったものなど母の思い出トリガー品を手放すにはえらく時間がかかったのです。
↑ここで思い出の品が自分のお宝となった、終わった終わったと思ったのですが、またひとつ私の中で思いが変わりました。
思い出の証拠品の手放し、自分と実母が重なっていたものを手放そう
今回思い切って手放そうと思ったモノの一つは金継ぎをして蘇らせようとしていた湯呑みです。
なんてことない湯呑みですが実母が戦争がひどくなり次々銀座のお店が閉まっていく中で買った湯呑みだったそうです。(わたしは実母が40代の時の子です)
ちょっと着物の帯みたいで、戦争で色が無くなっていく時、この赤に惹かれたんだろうなと想像します。
”ヒビが入って水が漏れる、けど捨てがたいのよね、、”と引っ越しをするたびに連れてきた湯呑みです。
いっそスッキリ割れてくれたほうが継ぎやすいと思うのですがヒビが中途半端に入っています。
わたしも一回簡単金継ぎが出来るところに持っていきましたが”これはできない”と言われました。
今まで”お母さんが無念と思っていたことをわたしがやってスッキリさせるぜ!”と実母を自分に重ねていましたがなんだか今、それももうどうでも良くなってきました。
そしてお金をかけて直したとしても自分が使うかどうかも考えてみました。
この湯呑み、色柄は嫌いじゃないけれどやや大ぶりで私の手には余る大きさなんです。
そして今も私が使っている湯呑みも実母が使っていたものです。(滝汗)
先人のものを大切に使う気持ちってとても素敵だと思います。
けれど、いつまでも実母の持っていたものをありがたがったり、義理母が使っていた調理道具を気を使いながら使う己の姿が何故だかとっても滑稽で自分が生きていない気がしてきました。
そしてつい自分と親を重ねてしまったり、同じ立ち位置で共鳴共感してしまう自分はやはりある意味課題の越境をやっていたんだな〜とも思えてきました。
それが見えてきたら
お母さんは無念で心残りだったかもしれないけれど、わたしもベストは尽くした。もうこれ以上はしない。この湯呑みの寿命はもうとっくの昔に終わっていてたんだ
と、初めてそういう気持ちになりました。
そして60年以上の時を経てやっとお別れすることができたのです。
いいんだ。これで。
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母の思い出の品ではないが母が買ってくれたマグカップ
実はいつか使おうと思いつつ、あっという間に20年位経ってしまった未使用のマグカップがあります。
私が職場で使っていたマグカップを割ってしまった、、という話をしたら実母がこれを買ってきてくれたんですよね。
母と自分の関係は時に共依存でもあり、その愛情をちょっと暑苦しく感じていたこともありました。
その時職場で使うからいっか〜とタッチの差でテキトーなカップを買ってしまっていたわたし。
ミントン絶対割るタイプじゃん〜だめだめいつか使おう、それまで大切にしまっておこう。。が積もり積もって20年強ですよ!
これも片付けアルアル、
これはいつものNPOショップに寄付します。
絶対買うご婦人居るでしょう♪
もうわたしも時間がたっぷりあるようで無いシニアの時間帯に入ってきました。
こうやって気持ちが剥がれる時に見直しては減らすようにしたいと思います。
改めて母の思い出の品(わたしの宝物)は
となりました。
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時間薬が時にモノに映った人間関係も見直すきっかけになる
時間が経過するとモノへの見方も変化します。
そしてその時の人間関係に改めて気付いたり。
だから『捨ては善、捨てよ乙女!』のような『世間のものさし』に振り回されず時間をかけたければ納得するまで時間をかければいいと思います。
特に遺品系はそれにまつわる自分の思いや持っていた人の気持ちを十分味わい尽くす時間薬も必要なんだなって自分は振り返って思います。
なので『ねばならない世間の片付けの圧』に駆られて無理をしなくても良いと個人的には思っていますよ。(ブラン様沢山頑張ったものね〜)
まぁ自分が死んじゃえば究極全部ゴミですから。
わっはっは。
今、時々母のことを思い出しています。
けれど人間って自分の都合がいいように記憶も改竄していくので、どこまでが事実でどこからが都合のいいストーリーになったか自分でもわからなくなってます。(苦笑)
まぁ人への思いは自己都合で色々変わるし、都合のいいストーリーが乗っかったモノのほうが見ていても使っていても楽しいしね。
今日はなんかゴソッと自分を覆っていたものが外れてまた一歩自分の足で、自分の力で前に歩けた気分になりました。
親は親、わたしはわたし。
重なるようで重ならないのが良いのです。
本日は久しぶりのおやかた&終活活動のお話になりました。
いやぁ〜親子関係闇深いよ。。(大汗、滝汗)
本日も最後までお読みいただきありがとうございました〜。
コメント
コメント一覧 (4件)
ミントンの同じカップ我が家にも2つあります(あー!)。
実家を3年も手を付けられなかったけど最後は服類書類は私の手で、他諸々は業者さんに依頼してバサッと片付けしたことを思い出しました。
私の場合は、もう残ったものはお金を掛けて処分してくれて構わないから・・・の気持ち。
(その分は残さないといけないですね。)
モノの中にある『こころ』みたいなものは全部持っていくから、残っているのは単なるモノとして扱ってもらって良いと覚悟しています。
今日ショッピングモールのキャッチコピーを見てハッとしました。
その通りじゃ無いのだけど、
『いつもより浮かれた色を着よう、いつもより浮かれた自分になろう』
みたいなことが書かれていて、そうだそうだと言う気分になりました。
とは言うものの浮かれた色じゃない色のコート買っちゃったけど・・・。
心は浮かれました。
こんばんわ、リコメが遅くなってごめんなさい、ブラン様。そして突然の名指しですんません。
おそろだったんですね〜カップ。
>残っているのは単なるモノとして扱ってもらって良いと覚悟しています。
この気持ち今頃になってわかりみ〜。
わたしは片付けを始めた最初の頃は『これとこれは大切だから!』って娘に言っていたのです。
今はそんな束縛の気持ちも0%になり、”捨てるならサクッと捨ててねほととぎす♪”となりました。
どちらかというと30分で終わる遺品整理を目指している毎日です。
そうですねぇ、いつもより浮かれまくりたいです。るん♪
いつか見せてくださいね、コート♡
う~ん、しみじみと読ませて頂きました。びんびん響きますね、心に。
お母さまの湯飲み茶わん。ホント着物の帯みたいですね。
着物のセンスも良い方だったのでは・・
父の形見の腕時計、「頂戴頂戴!」とねだってもらった割には
その存在さえ忘れていたテキトーな私(笑)
もらったという事実だけで満足していたのかもしれません。
「父の時計は父のもの、父の時を刻んでいたもの」
と思っています。
こんばんわ、まるたけ様。しみじみ読んでくださってありがとうございます。
わたしはまるたけ様のブログから元気をいただいています。
わたしも好きな事に熱中したいな〜お茶・着物素敵だなぁといつも思っています。
>「父の時計は父のもの、父の時を刻んでいたもの」
刺さりました〜。
そうなんですよね、自分を重ねることはないと今だからわかる感じです。
この線引きが難しいんですけどね。えへへ。