今日は卒業式らしく、花を持って歩く親子の姿にあちこちで出会いました。3月は別れの季節でもありますね。どんな時もお別れは寂しいものですが、実際人が生きていく中でどれだけの人数の人と出会うんでしょう?調べてみました!
人が生きていく時間の中でどれだけの人と出会うのか?
人が生きていく時間の中でどれだけの人と出会うのでしょう?
「弱い絆」という概念
社会学者のマーク・グラノヴェッターによる「弱い絆」(1973年に発表した論文「The Strength of Weak Ties」)という概念に基づくと、
人生の中で最も多くの人と出会うのは10代から30代までで、その後は減少する傾向にあるとされています。
この出会いは圧倒的に同年代の出会いです。
例えば「クラス」で編成された中学・高校という時間の出会い、部活動での出会いなど。
論文発表が1970年代であること、単純に日本とアメリカとは違う、個々の状況によっても異なるとは思います。
そんな誤差があるにせよ、日本の平均寿命(平成22年簡易生命表によると、男の平均寿命は79.64年、女の平均寿命は86.39年)を考えると、、
多く見積もって
意外と多いと考える人もいれば、いやいやもっと少ないのでは?と思う人もいると思います。
現代はネットの中だけでの『知り合い』もありますのでマーク・グラノヴェッターの算出は単純にあてはまらないかもしれません。
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人間が安定的な社会関係を維持できる認知的な上限数
人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な数をダンバー数と言うそうです。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
その数またしても150人。
ダンバー数とは、知り合いであり、かつ、社会的接触を保持している関係の人の数のことである。社会的交流が途絶えた知人についてはその数に含まれず、また、知っているが持続的社会関係を欠く相手も含まれない。このような知人の数は、ダンバー数よりも遥かに大きな数になるのが普通であり、それは長期記憶容量の大きさに関係するであろう。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダンバー数の境界部分には、高校時代の友人など、もし再会すればすぐに交友関係が結ばれるであろう過去の同僚が含まれるそうです。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
人との出会いは、結びつきの強弱や元々脳の処理能力の上限、、なんてものも関係してくるんですね。
マーク・グラノヴェッターやダンバーといった学者さんが実際「出会い」について考察していることに単純に驚きます。
実際自分の人生の中で顔も名前も覚えていて尚且つ、社会的交流が続く150人の名前を挙げられる人はどのくらいいるのかな〜?と思います。
皆さんはいかがでしょう?
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大人になると出会いは減少しかし「弱い絆帯」でも情報は得られる
シニアになると社会的接触を意識して作っていかない限り、出会いも少なく、つながりも「その場限り」のものが多くなります。
それがいけないことではなく、それは自然のことなんだろうな、と思います。
フィットネスで同じ講座の時間を共有しても、それは「顔を知っている」だけであり、名前すら知らない人が多いです。
時代が匿名性を強くしているのも背景にあります。
ただ「弱い絆」のほうがちょっとした情報をくれたりするのはマーク・グラノヴェッターのいう「弱い紐帯の強み」通りだとおもます。
たとえばどこどこのプールは滑りやすいとか、プール後、体を包むラップタオルは〇〇で買ったとか、〇〇先生はこわいわよ、とか(笑)
ご近所のゴミ出しでの薄い顔合わせでも思わぬ情報は得られます。
情ではなく情報に重きを置けば、薄いつながりでもそれなりに人生渡っていけそうです。
シニアはあちこちに「弱い絆」を持っている方がいいかも
私に限った事を言えば、歳を重ねて「濃い付き合い」が面倒になりました。
正直な事を言えば、「大人になってまで友情云々で傷つきたくない自分」がいます。
割とチキンです。(汗)
ただシニアには「きょういく」(きょういくところ)は結構重要になると思っています。
ちょっと挨拶、ちょっと他愛無い会話でもガス抜きになるので。
いよいよ年金暮らしとなったら敢えて家から離れた活動拠点を数カ所もっているほうが心の健康のためにも良いと感じています。
本日は「人生の中で出会いってどのくらいあるのか?」と気になって調べてみた話。
おウチ大好き人間なので人間関係スッカスカなのですが、これからのこともちょっと考え始めたグリコです。
なんだかお堅い話になってしまいましたが、色々期待せず淡く人と交われればそれでいいかな〜なんて思っています。
本日も最後までお読みくださりありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (4件)
グリコさん
こんばんは。私も今日、うっすらと、幅広い付き合いのある人ってどれほどのエネルギーなんだろうかと考えてたところなので、なるほど!と思いました。
私が長めの散歩をした時にお手洗いを借りる雑貨屋さんがあります。2階にカフェが併設されていてそこを通ってお手洗いに行くので、何度かに一度はお茶します(笑)。このカフェが常連がいるような店でもなく、チェーン店ほどドライでもない。ケーキなどが目指して来られるほどおいしいわけではない。中途半端と言えばそうですが、グリコさんが書かれた薄い感じに近いのかなと思います。なぜか最近になって居心地がいいと思うようになりました。実際一人で来る高齢の男性もいらっしゃるようです。人の気配はして挨拶とかするけど、過度のおしゃべりはしない。その感じがいいです。
グリコさんの記事で色々謎が解けました。ありがとうございます。
こんにちは、もず様。
あの説明で謎が解けたのならうれしいです。ありがとうございます。
だんだん歳を重ねると薄い距離感のある付き合いが心に負担がないなぁ、、と感じます。
家庭の事情は置いておいて、「共通の何か」が話のメインだと嬉しいな。
死生観、映画の話とか、本の話など。
世ずれてますかね?汗。
150人ですか。。。
私にはどう考えてもそんなにいないなぁ。笑
おかげさまで最近楽しくおしゃべりできる知り合いが増えました。
私が午前中しか時間がないので時々モーニングコーヒーで盛り上がります。
もういい年なので気の合う人と残りの人生過ごしたいですね~。
というわけで最近めっきり同窓会参加への情熱が薄れました (-_-;)
こんにちは、kaorun様。
データが日本ではないので日本だとちょっと変わってくるのかな?とも感じます。
まぁわたしも150人なんてだいたい覚えていられないです。笑。
楽しくおしゃべりができる知り合いが出来たとのこと、ようございました。
残りの人生、出来るだけストレスのないものにしていきたいですね、お互いに♡