人生100年時代と言うものの、、その1

介護

人生100年時代”と言われるようになってきました。偶然夫も私も晩婚夫婦から生まれた子供なので親世代が90代です。両家の親で生き残っているのが義理母のみですが実は本人もお迎えが来ないこの状態に正直なところ困惑気味です。

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からだは耐用年数を超えている。けれど、、医療が進んで否応無しに寿命が延びる今。

義理母は3回あの世に逝きかけて3回生還しています。

1回目が九年前の晩夏に熱中症、多分この時がある意味順当な『お迎え』だったと思います。足元に尼僧が居た、綺麗なお花畑を見た、と言うのですがら臨死体験もしています。けれど九死に一生を得ました。

2回目が四年ほど前の脳梗塞です。持病を抑えるための薬の副作用で赤血球が減少、急遽輸血のため入院した途端脳梗塞。

昔ならグッバイ、でしょう。けれど集中治療室に入り血管にステントを入れて詰まりを除去してまた生還。

退院後も訪問リハなど考えられるあらゆるカードを出してQOLを元に近い状態まで引き上げる事が出来ました。複数の支援者の力を得てできた事です。

3回目が今年の心臓です。意識を失ってバタンと倒れ、検査入院、寿命宣告もされました。本人同席で、今後の事をDrと話し合いました。ペースメーカーを入れるという選択を主に息子(夫)がし、本人も同意しました。

老いてからの命の危機回避は、医療が進んで高度な治療が老人でも受けられるようになったからです。(しかも保険適用内で)

現在脳梗塞の影響で右に若干麻痺が残るものの、ペースメーカーを入れたので息切れもなくなり、ありがたいことにQOL(生活の質)も著しく低下することなく生活しています。

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これ以上長生きするのも大変だ、、と困惑気味に言う義理母

まだ口からモノも食べられるしボケてもいないので介護認定もさほど高くありません。(要介護2)本人も私達との暮らしもすっかり慣れ、一緒にお出かけするリハ友もできました。

けれどポソッと言うのです。

これ以上長く生きるのは結構大変なことね。

昔のボディイメージどうりにからだが動かない、動かせない事の失望感や疲労感。

朝起きて慣れない左手で歯磨きをし終わると『疲れタァ、、』と小さな声でつぶやいています。

そしてやはり他人の中で生きているせいもあってすごく気を遣っているのが伝わります。これ以上迷惑はかけたくないという遠慮や漠然とした不安も抱えているようです。

どうなっちゃうのかしらね?嫌んなっちゃうわね。

が口癖です。

私には、まるで長生きが罰ゲームのように見えてしまう時があるのです。

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今後次に何か起こったときに義理母にとって最善なが選択できるのか?

次に何か起こるとすれば、脆くなった血管がボン!となるときだと思います。

これ以上の延命治療はしないでいいわよ。

とは言っているものの、本心は如何なのでしょう?ピンピンコロリを目指しているのか、生への執着が強いのか、真面目なのかリハビリ特化型のディサービスへ半日通所を週3日続けています。

私はといえば、今後何か起こった時は多分救急車を呼んでしまうと思うし、これ以上の延命治療はしないで、という本人の意思を本当に汲む事ができるのかちょっと自信がありません。

命の引き際をどこで迎えるか、どのように迎えるか。

改めて考える老衰死という死に方

昭和中頃まであった自宅で天寿を全うする形から今も続いている病院での終わり方。しかし多死社会へ変換する中で再び看取りが自宅へと移行しつつあります。

そこで再び注目されだしたのが「老衰死」です。

最後まで徹底した治療を行うよりも自然な死を受け入れる、それが老衰死。

老衰死がフォーカスされる背景

2025年には団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になります。2025年以降は、4人に1人が75歳以上という超高齢社会が到来します。

団塊の世代が一気に高齢化し、医療費も跳ね上がる。膨れ上がる医療費にストップをかけるという思惑もあるのではないかと勘ぐる気持ちも湧きます。

NHKが行なった医師へのアンケートで、『老衰死とする年齢』は80歳が30%、85歳が30%90歳が32%と3つのパターンに意見が分かれました。

医師も概ね80歳からはそろそろ徹底した治療から撤退してもいいのではないだろうか?と感じ始めた答えがこれなのかな、と思います。

そして10年前と比べれば7割の医師が医療の撤退や差し控えを経験しているとの結果も出ました。

しかしながら医療現場では義理母のように90でも100でも体が耐えうる状態で自己選択自己決定ができればベターな治療を選択してしまうことも事実です。

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老衰死という選択を知る、覚悟も考える

多くの人が自分の“最期”の迎え方を真剣に考える時代になりました。医療技術の発達によって、命を延ばすさまざまな延命治療法が生まれ、そのことが、逆に家族や本人を悩ませることになっているのではと感じています。私たちは人生の終末期をどのように迎えればいいのか迷い道に入ってしまったのかもしれません。

NHKスペシャル 老衰死より世田谷区立特別養護老人ホーム 芦花ホーム 医師 石飛幸三さんメッセージより抜粋

特養の医師でもある石飛さんはこうも語ります。

自然な最期がこんなに穏やかだとは知らなかった

施設に来るまで、40年以上外科医として、徹底した治療を続けてきました。“死”を遠ざけていたのは、医師である私自身だったのです。

NHKスペシャル 老衰死より世田谷区立特別養護老人ホーム 芦花ホーム 医師 石飛幸三さんメッセージより抜粋

老いの先にある死は遠ざけるもの、抗うものではなく受け入れる、引き受けるものなのかもしれません。

頭では理解しても、本人と家族が話し合い(いや、話し合いができるのか)老衰死を見守っていけるのか、見届ける事ができるのか?

それが介護の延長線上にあったら私は出来るのか、覚悟はあるのか。

自分自身に問うばかりです。

次回は老衰死とは、自然な最期とは具体的にどんなものなのか、そして自分の身に起きるとしたら如何してもらいたいかなど考えてみたいと思います。

続きます。

老人との暮らし、ユマニチュードがしっかり達成できていると胸を張って言い切れないグリコール・グリコです。

コメント

  1. もず より:

    グリコさん

    こんにちは。父もよく生きているのがしんどいと言ってました。お前もこの年になるとわかるって。でも生きる気満々でしたが。私のイタリア語の先生のお義父様は父と同い年でしたが、先生が日本語で「体調どうですか?」と聞くと「いいことはない。」と言うのがお決まりだったそうです。そしてそういう表現がイタリア語にもあるんです。(この表現を習う時にこの話になりました。)

    石飛先生の本、私のバイブルです。母を自宅で看取れたのは大井先生や、石飛先生が老衰死について詳しく本を書いてくださったからだと思います。
    が、うちは認知症からなだらかに衰弱していきました。母が下顎呼吸から息を引き取った翌朝、ケアマネさんが「よく救急車を呼ばなかったね。」とねぎらってくださいました。
    しかし、例えば血管が切れるとか、突発的だと救急車を呼ばない自信は私も無いです。
    父は膀胱癌からの尿閉塞でしたが、本人が病院に行くと言いました。

    突発的かつ意識がない。これはおそらく家族の決断が一番難しいのではないでしょうか。
    でもグリコさんはずっとおつうさまと一緒に過ごされてきたから、お世話されてきたから、最後の時はおつうさまが呼ばなくていいと教えてくださると思います。

    年金破綻を政府も認めたし、長生きが本当に罰ゲームですよね。在宅強化って、私も実は国の思惑を感じてます。父の診療明細見て思いました。(加算のあらし。)

    • グリコール・グリコグリコール・グリコ より:

      こんにちは、もず様。コメントありがとうございます。『いいことはない』はイタリア語でなんというのでしょう?カタカナで教えてほしい〜(笑)義理母に教えたら早速使いそうだから、、(笑)
      下顎呼吸からの絶命、実父が没するとき呼吸が停止してからも頚動脈がドクドク数回波打ち、そして止まったあの瞬間は今でも忘れられません。
      人の順当な死に方というものをもっと知るべきだと思うし、そこからのフィードバックが必ずあるように思います。
      明日この続きをアップするのですが、もず様の見ていた景色がやっと理解できた感じです。
      そそ!お国の見え見えの思惑勘弁してほしいです。
      あれもこれもみんなやれってか???

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