昨日ビタミン・タウリン様から非常に興味深いコメントを頂き、コメントをしたものの、ちょっと視点がズレているな、と思い改めて書いてみようと思ったグリコール・グリコです。
お・や・か・たに遭遇した時、人は何を思うのか
ビタミン・タウリン様から聞かれたのはこんなコメントでした。
グリコールグリコさんは、最初に片付けを始める場所をどう決めましたか?
2020/2/29 コメントより抜粋
どう片付けたのか、何から始めたのか、ではなく、はじめに片付ける場所をどう決めたか。
すごく興味深い視点でした。ありがとうございます。
『お・や・か・た』ってざっくり分けると二通りあると思います。
1、親が存命の場合
2、親と死別した場合
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1『おやかた 発動』親が存命の場合は多くは生命の危機からの、、介入
親が存命の場合は多分にして子どもの視線からの課題越境、又は生命の危機を感じての強制介入だと思います。
親が高齢になると、ある時点から『家がフリーズ』します。
モノは入るが出口が無くなったような異空間に変身。一見片付いているように見えて堆積物が多くなります。
これは婚家の実家でも体験しました。
我が家は義理父の心境が震災後に変化し、老老でやっていけるのかという不安を抱き始めたタイミングもあり同居を決めました。
けれど実際家を建て始める前に婚家で同居をすると、かなり戸惑いを見せたのがこれまた義理父でした。
(義理母つうさんは利便性が向上することに期待感が大だったので途中の混乱は結構耐えられた感じ)
親存命の場合の『おやかた 』は、頭では分かっていても『変化』に対応できないモヤモヤが親側に残ってしまいがちです。
子どもから見て『一番危険』と思うところから手をつければいいかな?と思います。
どこから片付けた?使用頻度が低い部屋から
同居するにあたって自分たちが入る部屋を確保しなければならないので、使っていない部屋のスペースを開けてまずは自分たちが生存する場所を作りました。
引っ越し当日から暮らしは続いていくので、まずは毎日の食べることを優先させながら、小さく区切って行いました。
当時はもう生活の基盤を1Fに移していた義理両親。片付けは2Fの納戸から進めました。
キッチンは生活しながらでしたので中盤〜後半。外の物置は後半でした。。
(『sos』を発信した離婚の危機を迎えた実両親との同居の話は長くなるので別に語りたいと思います。。)
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2『おやかた 発動』親との死別
ここからが本題になります。死別からの『おやかた 』。
ここでもパターンが分かれます。
a、同居していた場合
b、離れて暮らし、空き家になった場合
同居の親が死別、「おやかた 」を始める場所をどう決めたか?
実母が亡くなった時、悲しみと寂しさでいっぱいになったものの、私を支配していた人がいなくなった開放感も実は味わったのです。
今冷静に考えると
というのが私個人の回答になります。
なので場所はキッチン
ひとりで片付けたかったのです。
一番最初に捨てたオレンジの花柄のホーローの鍋は今でも脳裏に焼き付いています。そして沢山買い置きしてあった上白糖。。。
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離れて暮らし、空き家になった時「おやかた 」を始める場所をどう決めたか?
これは経験がないのでイメージしました。
まず誰もいなくなった実家に『ただいま』といって入る。雨戸を開け、換気をする。
ボッチ感がドワッと押し寄せ、あるじが居なくなった家をぐるりと見渡した後、、現実に引き戻されて始めるのは多分、、
冷蔵庫です。冷蔵庫の中身を全部出す。
電気・ガスの問題が控えているので傷んでしまうであろう生モノから片付けを始めます。
これは現実的で最初に取り掛からなければいけない課題だと思うからです。
それから片付けやすい自分の部屋に移ってウオーミングアップ、、という手順でしょうか。
この辺は実体験があるもず様やブラン様に語っていただきたいところです。(すいません、指名してしまって。。汗。読んでいたら是非ご連絡ください。)
頂いたコメントから私の体験を元にもう一度整理して書かせていただきました。
これで少しまともな回答になったでしょうか?ビタミン・タウリン様。
これを読んで、ビタミン・タウリン様の『これからは私の人生を生きるんだ』という気持ちが上がる場所がフォーカス出来たら嬉しいです。
コメント
コメント一覧 (2件)
グリコさん
おはようございます。ご指名ありがとうございます(爆)。
別居おやかた、思い出すと、これも二つありまして、片方が残っている場合と、両方いなくなった場合で違うと思います。
この第一次おやかたは、私の場合かつての寝室、つまり洋服から手を付けました。
なんせうちも夫婦の仲が悪く、母のストレス発散は洋服を買うことだったので膨大でした。それをまず形見分けで、もらっていただけるものはもらっていただくところから始まりました。ちょうどグリコさんが同居を開始された時と似てると思います。父は暮らしていたわけで、生活空間は後でした。私も実家で泊ってました。
そして近居の第二次おやかたは、冷蔵庫は私がいたので片づける必要はなかったので、この時は父の部屋で、仏壇、アルバム、色々書類関係に着手しました。一番最初に処分したのは父が実家から持ってきていた仏間用の大きな先祖の写真です。この時はグリコさんのブログにずいぶん後押しされました。本当にありがとうございました。
こうして考えると、グリコさんのおっしゃるように、その人が一番色濃く残っているものを最初に処分した気がします。台所は8年以上遠距離介護をしていたら、もう母の場所ではない感じでした。でも私の場所でもなかったです。
同級生に一人だけおやかたをしたのがいますが、こちらは入所によるおやかたでした。ので完全とはいいがたいのですが、ゴミ屋敷だったのでグリコさんのご推察通り、冷蔵庫からと言ってました。(自分は泊まるけど完全に外食。)グランドピアノが見えなくなるほどの洋服があったそうで、ここまでくると、順次片付けていくというより、冷蔵庫が終わると、パラで片づけていたようです。その気持ちわかるなーと思いました。ある程度少なくなってから、順次片付けていったようです。
あの日々を思い出すと、本当に物を買うのに慎重になります。
わぁ、お忙しいところ丁寧なコメントありがとうございます、嬉しい、もず様♡
これはもう一回トピックを立ててこのコメントを前面に上げた方がよさそうですね。
本当に「おやかた」は大イベントですよね〜。
うちもラスト義理母つうさんの『おやかた』が残っているのでおよよでございますよ。。。
でもベットはリースにしてあるし、棺桶に入れる衣類も決まっているし、以前の『おやかた 』に比べたらかわいいものかな(甘いか、考えが、、)。
写真、お互いにすっきりさせましたよね、同志〜♡
これも跡継ぎ有無で処分が分かれるところですよね。きっと。