トイレ掃除をすると運気がアップする、有名人もやっている、あの人もこの人もトイレ掃除で金運アップした!とよく聞きますが本当なんでしょうか?
過去の自分の黒歴史を紐解きながら、トイレ掃除をすると何故運気があがるのか、何故いいのかを考えてみました。そして最後に現在の私の掃除方法を披露します。
トイレに神様はいるのか?
トイレ、、厠(かわや)には烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)という、トイレの神がいると言われています。
ググってみたら
明王の一尊であり、天台宗に伝承される密教(台密)においては、明王の中でも特に中心的役割を果たす五大明王の一尊に数えられる。
Wikipedia 烏枢沙摩明王より一部引用抜粋
その神様、烈火で不浄を浄化してくれるんだそうです。
強烈!
そんな神様のお住まいだから綺麗にしようね、的に始まったのかな?と思います。
近年では更に風水的解釈も加わりました。
なんでもお家には7人の神様が来るとか。
先に来た6人の神様は既に場所取り済み(笑)。7人目の神様はトイレしか空いてないからそこが居場所になった。
この話にはオチがあって最後に到着した神様は多くの財宝を持った方で、遅れたのは沢山の財宝が重たくて到着に時間がかかったから、、というものです。
だからトイレをキレイにするとその神様が喜んでくれて金運がアップするんだというお話です。
もともと八百万の神の土壌がある日本だからこそこのような話が広まりやすいのではないかと思います。
トイレの神様 不浄なものを不浄にさせないためのお話では?
いまでこそトイレはトイレという名前ですがちょっと昔は便所(便をする所)、厠(かわや・はばかり)ご不浄なんて言われていました。
厠も川の上に設けた川屋や家の外側に設けた側屋の意(デジタル大辞泉より引用)だったと言います。
(東福寺の東司(トイレ)などやたらでかいですが、お坊様が一斉にことをいたしていたのでしょうか??妄想は尽きない。。)
そういった言葉からもやはり『不浄』な世界を区切っていたことがわかります。
排泄場所を区切る意味はもちろん衛生面の配慮からで、やはり流行病の予防のためというのが大きいと思います。
ただ区切るだけでは「不浄」が「不浄」のままになるので、衛生維持を図るために神様などを登場させ、御褒美のモチベーションをあげていったのかなとひとり分析しています。
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トイレ掃除に目が向かなかった頃を振り返る
お恥ずかしいはなしですが旧実家は家族関係も不穏で一時経済的にもピンチだったことがあります。
キレイ好きだった実母にも健康に翳りが見え始め、母任せだった家事全般もなおざりになっていきました。
そんな状況下、当時テコ入れで同居した私たちは外で働くことに気が向いていました。
ガチャガチャしていた家の中を整えるためにまず気持ちが向かったのは、掃除ではなく収納グッツでした。(汗)
不要なモノは収納グッツに”とりあえず”入れればOK。
モノは溜まるばかりで出口がなく、今思えば家全体が『不浄』な感じだったんだなと思います。(滝汗)
トイレ掃除は家の詰まりをとるひとつの手立て
トイレ掃除に取り掛かる前のわたしは無駄にプライドが高く高慢な人間だったと思います。
(いまでもその全てが直ったとは思っていません)
白状すると”トイレは汚い、そんなトイレをなんでわたしが掃除をしなきゃいけないの?”と不満タラタラで備え付けのブラシで適当に掃除をしていました。
そんなわたしでしたが、両親が亡くなって遺品を片付けながら気になったのが1Fの尿石がこびりついたトイレでした。
ブラシでいくら擦っても全然取れない尿石。
トイレを見るたびにガッカリし、この時は運気どうこうより『この尿石を取り除きたい』に取り憑かれていました。
そんな時偶然ネットでトイレ掃除の達人に出会い、『素手でサンポールと金属ヘラ、耐水ペーパーで尿石が取れますよ』と教わったのです。
その人は主に公衆トイレをキレイにするボランティア活動をしている人でした。
トイレ掃除で自分の気持ち自体が変わる
トイレ掃除はまず目線を下にしないと掃除がしにくいです。
膝をついて床を拭く、便器に素手で手を突っ込んでこびりついた尿石を取る。
ブラシを突っ込んで”やだな〜”と思いながらやっていた時とは目線の位置が違います。
一番「不浄」といわれているところをからだを低くして素手で掃除する。
そうすることで自然と平らで低い気持ちになっていきました。
そして”あ〜今までお母さんに何もかも任せていたな、申し訳なかったな、ありがとうだったな”とそんな気持ちが湧いてきたのです。
尿石がゴロリと取れると築35年の家に設置された便器でもピカピカになって毎日便器を眺めてはうっとり、ウキウキさえしていました。
こころが穏やかになり、感謝のこころまで芽生え始めた時、転機が訪れました。
東日本大震災です。
トイレ掃除でこころの掃除をし、、震災で死んだら何一つ持っていけないことをまざまざと思い知った後だったのでそこからは実家を売却、婚家と同居からの、、新しい土地に家を建て転居とすごい勢いで物事が進んでいきました。
トイレの神様を祀っていたわけでもお願いしたわけでもないのですが結果的にトイレ掃除がトリガーとなったのは事実です。
そこから『物事が循環する大切さ』を知り、掃除&片付けはわたしのライフワークのようになりました。
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掃除で改めて知識が増える
掃除を見直すことでわたしが知らなかったことがたくさんわかりました。
例えば膝をついて床を拭くことで初めて分かった巾木の意味。
ホコリが溜まりやすいからなくてもいいのに〜と思いましたが、巾木は壁の補強や保護にもなると後からわかりました。
そのほかにも
- 静電気で壁・天井にほこりが集まりやすいこと
- ナチュラルクリーニング(重曹・クエン酸・セスキ)で大抵の汚れは落ちること
- 酸素系漂白剤もいい仕事をすること
- 水うろこは水のミネラルだったこと
- 家電製品の細かな扱い方がわかったこと
- 掃除で分解するのでさまざまなパーツの名称を知ることができたこと
- 割れ窓の理論を知ったこと、、、などなど
四角い部屋を丸く掃いて義務で掃除をしていた頃とは全く違う景色が広がりました。
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掃除が楽しいに変化
以前はめんどくさいな〜掃除をしなくても人間死なない、なんて豪語していたときもありましたが今は掃除自体が楽しいです。
そもそも掃除は「はじまったことを終わらせる」リセット儀式。
掃除はおウチの神様を喜ばせるためのものというより、「おウチ自体にありがとう」を具体的に示す行為だと感じています。
だからはじめに書いた『トイレの神様の存在』って実はあまり意識していないです。
毎日トイレ掃除が良い流れを生む
現代のように「個室で(それも無防備状態で)排泄物を出す場所が確保させている」ということは逆に誠にありがたい状態なのですよね。
そこに気がついた先人が不浄とされている場所こそが逆に神聖な場所である、と意味合いを変換するのも分かる気がします。
今の世はひたすら排泄物が汚いと言いますが、(ま、汚いんですけど)元を正せば自分から出たもの。
使った後を元の状態にすればいいだけですから、実は簡単なのです。
そう考えればトイレ掃除も嫌なものではなくなります。
わたしの今現在のトイレ掃除方法
引越し当時はもちろんトイレブラシを置いていました。けれど、、、
ブラシを洗わないとブラシ自体に黒カビが生える。
当然ブラシを洗わなくてはならない。
トイレブラシはずんぐりしていて細かいところには行き届かない。
更に、トイレの床を拭くときにブラシBOXをいちいち退けるのがちょっと面倒。
とマイナス要因の方が多くなって来ました。
実家のトイレを綺麗にしてからはトイレも小まめに掃除をするようになったので、『あって当たり前』のブラシは『無くてもいけそう』というモノに変わってきました。
トイレブラシの代わりに用意した”トイレセット”
トイレの棚の中に、簡単なトイレ用の道具入れを作りました。”トイレセット”です。
入っているものは
メラミンスポンジ※数年は使っていたものの毎日掃除をするので汚れないため抜きました- トイレ用のアルコールスプレー
- 流せるトイレクリーナー(99%除菌)(2020年より追加:素材パルプ)
これだけです。
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私のトイレ掃除のやり方
いつも用を足すときに床をジッと見て埃があったら即、トイレットペーパーにトイレ用アルコールをスプレーして床を拭き拭き。
便座や便器の汚れも入ったときに掃除をします。
ついでのよしやるぞ!って感じ。
トイレ掃除のやり方は、まずは上から攻めていきます。
壁・窓・そして便器周り・床、ウオッシュレットの細い配管周り、コンセント部分などを流せるトイレクリーナー(99%除菌)(2020年追加:素材パルプ)で拭きます。
便器一式も”流せるトイレクリーナー(パルプ素材)”を変えて手洗い水受けのところから下に降りていきます。
(余談ですが、婚家トイレは全自動にしたため停電時全く使えなくなった苦い経験からあえて上に水受けがついているタイプにしています。)
それらが終わると、トイレクリーナーの面を裏返しにして便器の内側や水が溜まっているところをゴシゴシ。
言葉で書くと大変そうですが毎日のことなので動線も無駄なく5分かかっていないと思います。
全部手で行います。
以前は素手で掃除をしていましたが2020年以降は使い捨てのゴム手袋をして作業をしています。
トイレ掃除を学んだときに素手でトイレと向き合う楽しさを知ったので、全然抵抗がないものの、コロナ禍以降変更しました。
手で便器を触ると、水受けの水ウロコのミネラルのつき方がわかるし、便器の中の水にチャポンと手を入れると、気持ちが引き締まってやる気が出るのですがご時世なので致し方無し。
(あくまでも私の場合)
素手での取り組みは、トイレに向き合う自分の気持ちが具体化したもの、、と思ってくれたら嬉しいです。
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トイレブラシ無し、この方式のいいところは全部捨てられること
掃除が終わったらトイレに流せる。
トイレセット(と言っても小さいポリプロピレンのもの)も箱ごと出すのでしまうのも楽です。
使い捨てはトイレ掃除道具のメンテナンスもいらないので楽チンです。
そして、トイレセットは棚の中なので床には何もなく、超すがすがしい。
トイレ掃除がなぜ運気アップになるのか?
風水などに傾倒しているわけではありませんが、水や空気の流れがあるところを意識的に整えると、体験的にいえば物事の動きが速くなるように思います。
だから人によってはキッチンだったり浴室だったり微妙に違うかもしれません。
何故なら『自分を取り巻く環境』と『頭の中』はフラクタル(自己相似)な関係だからです。
環境を整えると頭の中も自然とシャッキリします。
膠着していた色々な関係性がほぐれていく、、そんな感じです。
トイレ掃除は自分のからだに染みついたルーチンとなりました。
尿石が溜まっていたあの頃のトイレとは段違いな暮らしっぷりに自分でも驚いています。
逆に素手でトイレ掃除をして尿石を取りきったあの感動があるからこそ、続けられているのかもしれません。
(このことはプロフィールと重複するところなので宜しかったら読んでくださいね。)
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トイレの神様が居るかどうかは知らんけど
トイレの神様が居る居ないはあえて横において。
暮らしのなかで『流れがあるところ』を意識してキレイを保つよう掃除&片付けを続けていけば、なによりこころが平穏になります。
それだけのことなんです。
そう考えると実にシンプル!
本日はトイレの神様のことから掃除全般について熱く語ってしまいました。
我が家に神様がいるかどうかは『知らんけど』機嫌良く掃除をしている自分が好きなんです。
今年の目標は”清めるつもりで掃除をする”のが大目標なのでこれからもトイレに限らず掃除に励んでいきたいと思うグリコでした。
本日は長い話にも関わらず最後までお読みくださりありがとうございました♡
コメント
コメント一覧 (2件)
私もトイレだけはグリコさんと同じく綺麗にしていないと気が済まない派です。
(他は整理整頓苦手!)
若い頃、京都のひっそりとした門跡寺院を訪れた時に簡素ながら清潔なトイレに張り紙がしてありました。
正確な文言は忘れましたが、トイレの汚れは心の汚れと言う風な。
それがとても印象に残っていて、常に心にあったのに、それを実践し始めたのはここ10年くらいです。
その後、永平寺に行ってあれだけの観光客を受け入れながら何と整然とシンプルに美しいトイレ・・・と衝撃を受けました。
私はトイレって決してご不浄とは思っていません。
ここは神様もしくはパワースポットでもあると思っています。
(我が家で一番綺麗なところかも)
きっと他も綺麗にしていたらもっと運が運び込まれるのだろうなぁと思うのでした。
でも足るを知るで、私は分相応に他も綺麗に出来るよう努力してみます。
グリコさんの片付けと整理整頓はまさに心の鏡そのものとリスペクトしています。
こんばんわ、ブラン様。
素敵なお言葉ありがとうございます♡
そそ、そうじは結局こころの掃除だとおもうし、環境や空間を整えるって頭の中を整える事と連動しているんですよね。
ブラン様とのお付き合いも長くなり、ブラン様の身の上に起きた善きこと&哀しいこともネットの隅でこっそり共有してきたつもりになっているワタクシです。
そんな山坂を乗り越えながら再スタートした今のアップデートされた暮らしの源は、、
みんなトイレ掃除から繋がっていると思うとううむ!と感慨ひとしおでございます。
ブラン邸は玄関からパワースポットのオーラが出ていて、もうね、ほんと足を運びたい場所です!
そしてお宅にお邪魔したらおトイレを拝もうと思っております!!(笑)
これからもお互いおトイレ様とは良き付き合いをしていきましょう♪ふふふ。