昔はスティーブ・ジョブスのような服の『制服化』って信じられなかったのですが、最近は悪くないと感じ始めています。今日はこれまでの衣類選びを振り返りながら現在までを辿ろうと思います。
今までの服選び
昔は買い物でストレスを発散していたというか、、「なんとなく買い」が多かったわたし。
お出かけしてなんとなく入ったお店で服を買う。
せっかく出かけたのだから買い物しないと勿体無い気がしてつい買う。
そこには服の全体像とか全体量もなし。
あ、コレ!と目についたモノを買っていたので、家にあるものと合わせると残念な結果になることも多かったです。
結果服の量だけが増えて
という現象が。。。
どれを着ようか悩むのがオサレと思っていた
以前は色々量がある中で
あれこれ引っ張り出してはどれを着ようか悩むのがオサレ
と思っていたので、スティーブ・ジョブス的な服選びは
つまんないじゃん!
と思っておりました。。。
シニアになり変化する気持ち
しかしモノとの対話を続けていくと、やはり「量」を御せない自分が見えてきました。
「量が多すぎるとモノにアスセスしにくい。」
それがストレスになってくるんだというコトがわかってきたのです。
どれを着ようか悩むのが楽しみではなく、ストレスになるシニア脳。
あ、持っているコトが「悪」という考えではないです。
沢山の中からでも選べる人はそれが出来るのだからそれで良いと思うのです。
ただわたしはそれが出来辛くなってきた。。
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悩むのがつらいので減らしてみた・決めてみた
あれこれ悩むのが辛くなってきました。
これ本当にそうなんです。
実際、季節が変わって好んで着る服ってパターン化され、しかも数もそういらないことにも気付きました。
数の縛りではなく、自分が使うスペースの中で量を決めた
〇〇は〇〇だけ。
という数の縛りをすると窮屈だったので、スペースありきに切り替えました。
このスペースにかけられるだけ、この引き出しに入るだけ。
ざっくりと緩い制限を設けると、そこからはみ出るものは処分対象(譲る、寄付に出す等)となり自然とモノも循環するように。
それを繰り返していくと買い物場面でも
あ〜今これを買うとどれか出すようだな〜
とか
まだアレとアレは使えそうだから今日は買わなくてもいいか
など
買い物に対してあたまがヒートアップしなくなってきました。
以前だと買わない→我慢→不満→ストレスだったのですが
考える→納得→なぜか満足&不満なしに変化していきました。
おかげで以前はバーゲン絶対参戦派だったのに
今は”え?今ってバーゲンやってるの?”くらいトーンが下がっています(笑)。
家で着る服は完全制服化に成功
ボトムス3・トップス3あれば十分まわるので今では家事服は完全制服化しています。
それに鉄板の推しエプロンが2枚あれば全然困らなくなりました。
フィットネスも曜日で着るモノを決めているので出かける時もすぐ用意ができて楽です。
お茶のお稽古もお稽古着を決めています。
ただ、こうなってくると少ない衣類でやりくりするので、当然傷みも早くなりがちです。
そして買い換えるタイミングも早くなります。
以前は1シーズン終わった服は手放す、、という人の話を聞いて『それ、贅沢だな〜』と思っていましたが今は現実的にそれもありだよね、、と感じる自分がいます。
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モノが増えるとなんか気持ち悪い、、とまで感じるように
モノが増えてもそれらをうまく使えれば多分ストレスってそうないと思うのです。
一時着物関係がわたしの中でブレイクしてやや増えたことがあります。
決めた場所に納まりきらなくなると、途端探しにくくなるし、すごく気持ちが悪い状態になりました。
過剰在庫から無言の圧を受けているようでどうも落ち着かない。
あ〜キャパオーバーってこういう状態なんだとわかり、更に不要な着物を選んで抜いたりして調節しました。
今、持ち物が増えそうになると
旅の荷造りをするつもりで持ち物を見直すようにしています。
現在活動範囲がえらく狭いので、本当に少ない衣類で回っています。
夏ということもあるかもしれません。
けれど今わたし史上で一番衣類が少ない量を経験していて、尚且つ不満がないので、、
すごいなぁ、、と自分で感心しています。
ヨガの先生が「なんでも(カラダから)出すことは良いコトです」って仰っていました。
汗・便・お小水・涙、、、生理的に手放すことがからだのデトックスになっていく。
そういった生理的手放しがひいては暮らしにもつながっていくのかなぁ、、なんて思いましたよ。
本日は服との関係を振り返りながら今の状態を整理し書いてみました。
今ならわかるスティーブ・ジョブズ。(笑)
「入れたら出す」をこれからも意識していこうと思います。
今日も最後までお読みくださりありがとうございました。
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