春のお彼岸が近づいてきました。前回の「エア仏壇」にコメントを頂いたので、そのコメントをここで取り上げながら「家督制度」を振り返りつつ今の時代はいろいろな選択があって良いよね、ということを語っていきたいと思います。
そもそも家督相続が廃止されている
旧民法(明治31年7月16日~昭和22年5月2日)では戸主から特定の相続人が1人で全財産をもらい受ける家督相続制度がありました。
この家督制度は簡単に言えば家の代表者を次の代表者へと単独相続させる制度と言えます。
昔で言えば『長男』が家・財産・家族をまるっと引き継ぐといったことです。
その時代は個人の主張より『お家の存続が一番』。
昭和22年、第二次世界大戦後に日本国憲法に沿って民法も大きく改正されました。
そして相続は死亡時のみ起こるものに、一定の血縁関係にある人なら誰でも遺産分割を求められるという形に大きく変化したのです。
そうやって家督制度は崩壊しても現状はどうでしょう。
これから世代女史は嫁いだらその家の「しきたり」や、たとえ葬式仏教であっても「嫁ぎ先の宗派」を受け入れる事が多いように感じます。
暗黙の了解?
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都市部では檀家制度は希薄
檀家制度はそもそも転びキリシタンに寺請証文(寺手形)を書かせたのが始まりです。
檀家制度はその土地にもれなくついているお寺のメンバーさんになるということで、今で言えば住民票やマイナンバーカードみたいなもの、と考えても良いかも。
その檀家制度が壊れてきたのが家督制度の廃止とともに戦後高度成長期に出てきた家族形態の変化です。
いわゆる「核家族」というやつです。
「これから世代」はこの核家族2~3世時代です。
こうなると都市部はほぼ菩提寺もないし、完全に「葬儀」の時だけのお付き合い「葬式仏教」になっていきました。
さて葬儀後はどうなっているのでしょう?
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読者さんのコメントから見える仏壇事情の多様性
準引き継ぎなものの「祈りの場」としての仏壇
ブラン様はご夫婦二人のやはり打ち切り世帯。
宗教色ゼロなものの、『父が生前母のために用意した仏壇に手を合わせる』というコメントでした。
我が家は私には宗教色ゼロですが、父が生前母のために用意した仏壇に手を合わせる毎日です。
おりんはグリコさんが危うく買いそうになったもので、とっても可愛い音色です。
私は子供もいないので、この仏壇も誰かが受け継ぐとは考えにくく・・・。
そう思うと形式に拘らず自分が命あるうちは心込めて守るけど、その後でどう処分されようともそれはそれで良しと思っています。
形あるものはいずれ無くなると思う現実派。
エア祭壇でも仏壇でも、そこにいると思って手を合わせたり言葉を掛けたりすることに意味があると思っています。
ここは案外ロマンティック。
わたしもこの宗教色ゼロに近い派です。
思いを届けるスペースというものはあっても良いし、そこに居るのかと言えばたぶんいないのだけど、やっぱり話しかけます。(笑)
ただ我が家がお彼岸やお盆をするのは、どちらかというと『季節の風物詩』的なエキゾチックジャパンを感じるためのもの。
そう、フェスに近いイベントなのです。
自分にフィットした仏教との出会いで納得の着地
kaorun様は偶然の縁と自分がここ良い!という場所・仏教が一致して自己選択自己決定で納得の仏壇お迎えになったようです。
グリコさんの教えを受けてきた(笑)私としてはお位牌もお仏壇も絶対なしにしようと思っていたのですが、主人の実家は曹洞宗の檀家でして。
義母が亡くなった時相談したらお坊さん驚いてて。。。
偶然ですが去年の夏に曹洞宗の総本山、永平寺に行って至極感動しまして…。
(あと、実家の仏壇に義母の両親とおじいちゃんのお位牌もあって(驚)それも一緒にご供養しようということになり)
結局仏壇とお位牌を用意しました。お墓もあることですし、墓じまいの時一緒にお位牌とかもおしまいにしてもらおうと思っています。
なかなか思うようにいかないものですが、ここは意地を通してもなんだ、ってことで。笑
こんな感じもグリコさんから教わった気もします。いいよね? これで。笑
家督制度をそのまま飲み込むのではなく、いろいろなご縁と自分が納得する材料を経て自己決定からの諸々の仏具のお迎え。
ご自分の意思決定が反映されているというところが、『今』の時代だなって読ませていただきました。
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現在どうしようかとモヤモヤ中の方も
まるたけ様のコメント。
もう一周忌になるのですね。今回の記事、夢中で読みました。
ズバリ、仏壇をどうするか問題、が気になりまして。
我が家は長男ですが、そのあたりの微妙な問題はまだうやむや。
お花と写真、私の一番好きなスタイルです。
個人を偲ぶ場所は仏壇じゃなくてもいいじゃないか、
まさにまさに!
夫様がご長男、お子さんも男子が二人、たしか婚家側は菩提寺もお持ちだったまるたけ様。
まるたけ様の個人的な意志はコメントに答えとして出ていますよね。
個人を偲ぶ場所は仏壇じゃなくてもいいじゃないか
それが全体の総意になるかどうかが鍵ですね。
”わたしはこう考えている、あなたはどう?息子1・息子2はどう思っている?”という家族会議のようなものを開いて今後の方向性を決めるのはいかがでしょうか。
やっぱり人は祈りの場所は欲しいのだな、と思う
私たち家族は「仏壇」という『形』は用意しなかったものの、義理母のチェストの上は準仏壇スペースになっています。
なんとなく祈りの場が欲しくなるのは人間の性なのかな?とも思います。
民法上の家督制度は無くなったものの実際は後継ぎとか長男といったものにまだまだ縛られるこれから世代。
ただ理屈で言えば国家からの宗教の押し付けはもうないし、何に対して祈ろうとまた祈らまいとそれは自由です。
(実際夫シンジさんの実母はカソリック信者でキリスト教会で葬儀をしています。写真ではお墓にキリスト教の祭祀さんの姿があり、婚家のカロートにはマリア像が安置されていました。びっくり仰天)
いろいろな形があってそれが許される時代になりました。
日頃から自分の思い、家族の思いを伝え合って新しい時代の祈りの場を模索しても良いのではないでしょうか。
雨の中「花キューピット」さんからお供え用の花が届きました。
葬儀の時と同じ、義理母が好きな色のブルーとイエローです。
今日は皆様からのコメントを中心にこれから世代の「祈りのかたち」を書いてみました。
コメントを下さった方々、ありがとうございます。
まぁ、色々悩みながら「今の時代、今の自分」にフィットするかたちを模索していきましょう。
なんでもアリだよ!
コメント
コメント一覧 (2件)
グリコさん
こんにちは。うちもエア仏壇なので興味深く拝見しました。墓も仏壇も処分したくちなので。
先日少し遠くの友人と会った際、仏壇屋さんの前を通りました。大きな道路に面していたためのぼりがはためいてました。そののぼりは2種類、「墓じまい」「樹木葬」でした。つくづくと時代を感じました。
前日新聞の投書で85歳の男性がこども3人いるけれど孫はいないので手元供養をのぞまれているけど、奥様が絶対に墓が必要とおっしゃって、対立時間がもったいなくなったので墓を建てることにしたと書かれてました。九州で坂道で有名な町です。墓地は住宅地より高台にあり、私も何度か著名人の墓を見に行ったことがあるので、思わず投書を読んでうなりました。建てるってことは納骨堂ではないのよね?と思いながら下見に行ってせめて納骨堂に切り替えられますようにと同年代であろう子供たちのために祈りました(笑)。
心の問題なので色んな人が納得する落としどころって難しいなあと思ってます。
おはようございます、もず様。
色々考えさせられますよね。。。
心の問題、気持ちの問題。
こころの拠り所をどこに求めるのか、落とし所をどうするか。
自分の持つ死生観をあらためて振り返ることも必要になってくるのかもしれないな、と思います。
死んだらどうなるのか、死後がある、ない、速攻仏になる、天国と地獄に分けられる、輪廻転生を信じる、信じないなんてデータをいれると
あなたの考えに近い葬式宗教はこれですというものがでるマッチングアプリあるといいな(笑)。