ずっとかかるのを楽しみにしていたアニメーション映画『犬王』を観に行きました。感覚重視のアニメですが野木さんの脚本が土台を上手に支えている映画でしたよ。
感覚派の湯浅監督、土台を下支えする野木亜紀子の脚本、キャラデザ松本大洋と好きすぎるタッグメンバー「犬王」
これは好みの差が出る作品です。
自分の心のひだを震わせてデトックスがわりの涙を流したい人には向かないし、そもそもこの時代にこんなこと無理っしょ、、と決めてかかる人にも向きません。
ただ最近フェス行ってな〜い、なんか度肝抜かれる映像やパフォーマンスが観たい、という人にはオススメです。
映画の作りとしては長さも97分とちょうど良いです。
個人的には今回脚本に野木亜紀子さん(あのアンナチュラルやMIU404の脚本家)に白羽の矢が当たったこと、キャラクターデザインが松本大洋ということでもう観たくて観たくてうずうずしていました。
湯浅監督は、、実はアウトオブ眼中でした。(ゴメンナサイ、、)
造られた歴史の外側を想像で膨らませる
主人公のひとり「犬王」は父が猿楽の芸事を極めるため、ヤバイお面との取引のために異形の子として産まれます。
もう一人の主人公は「友魚」(ともな)。
友魚はもともと琵琶法師では無く壇ノ浦の漁師の子でした。
都から来た武士の依頼で壇ノ浦の合戦で失った神器(草薙の剣)を引き上げ、その時「友魚」の父は神の天罰?で絶命、友魚も視力を失います。
時代は足利義満の時代です。
この草薙の剣はのちに足利義満が南北朝統一を果たすのにも「犬王」の話の大きな背景として、政治的利用にも一役買ったかもしれないふうな匂わせもあります。
「犬王」と「友魚」のバディはある意味イタコの口寄せ
異形と盲目の二人には「他の人には聞こえない魂の語りかけ」が分かります。
そこが二人を結びつける大きな共通項でもあり唯一無二バディとなるのです。
このセリフが次々と生み出される二人のロックオペラミュージカルの核になります。
これはある意味「イタコの口寄せ」音楽版だなって思いました。
野木亜紀子さんは必ず体制の中で潰される何かを拾う人
「犬王」と「友魚」(のち友有と改名)の友有座のブラッシュアップし続けるネオ平家物語ロックオペラは民衆を魅了するのですが、足利義満は「平家物語の定本」が出来たからそろそろ上演中止!と裁定を下します。
彼らが上演する内容は「他の人には聞こえない魂の語りかけ」であり、もしかしたら足利幕府には都合の悪い内容だったのかもしれません。
とにかく「定本」が出来たからもうおまえたちの平家物語は上演しないようにと圧をかける様は、歴史は政治によって書き換えられることも暗喩しているようにも感じました。
このようにうっすらと問題定義をしながらも現代から始まって現代の背景で終わる作り方はスゲーハッピィエンドじゃないんだけど、救いがある作りにもなっています。
あと野木さんとは関係ないかもしれないけれど、友魚が橋の上で演奏するシーン。
流行病で風態が後天的に変化してしまっている人たちが警備員として手を繋いでガードしているところなど、それぞれが「座の一員」として置かれた状況下で自分のできることをしているのが良かったです。
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映画『犬王』の音楽パフォーマンスシーンは色々想起されるエッセンスが散りばめられている
演者と観客のやりとりとかはまるで映画ボヘミアンラプソディーを彷彿させるシーンだったし、足利公の前でのパフォーマンスはモーリスベジャールのダンス、またはシルクドソレイユのようでした。
パラリンピックの開会式や閉会式を思わせるパフォーマンスも随所にあって、昔にもしプロジェクションマッピングをするとしたらこういうカラクリを使ってやることも可能なんかいなぁ、、と観る側におもわせる演出の仕方も見事でした。
この音楽パフォーマンスシーンは湯浅監督が一番やりたかったところですね、きっと。
アヴちゃんの声のバリエーションがすごくて「七色の声の持ち主」って森山未來に言わしめるのも納得でございます。
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『犬王』原作があった古川日出男「平家物語 犬王の巻」
このアニメには原作がありました。
読んでいないのですがアニメとはラストが違うということなので読んでみたいな、と思います。
まだ始まったばかりなので映画館に行くとこんなおまけももらえます。
久しぶりの映画レビュー、ストーリーを語らずに説明をする難しさよ。。(汗)
映画レビューはほそぼそですがこちらにいくつか↓
コロナになってから映画館での映画鑑賞から遠のいていましたが、またボチボチ映画が見れたら良いなと思っているグリコール・グリコです。
本日はひっさしぶりの映画の話、『犬王』興味が出たら是非映画館に足を運んでくださいね。
今日も最後までお読みくださりありがとうございましたV
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