玄関掃除と靴箱内整理で片付けの感覚が蘇ってきました。そして蘇ってきたのが神社の静謐なあの空間。神聖な場所に行くのも好きですが、コロナの今はなかなか難しいですよね。ならいっそのこと家を神社にしちゃえ!くらいな気持ちがむくむくと湧き上がってきましたぜ。
片付け、今までの経緯
両親が亡くなってからの片付け、が第1期。
・トイレ掃除がきっかけになり、吹き溜まっていた実家の諸々を手放し、結果的に実家を売却するまでに至ったのが第1期です。
今思うと、あの頃は停滞していた流れを動かしだした「はじめの一歩」でもありました。
流れができたのも束の間、今度は天災が流れを変えます。
・東日本大震災が起こり、震災後義理両親と同居を決意、引越しに伴う片付け、が第2期。
ここで同時に家を新築し『新しい容れ物』を手にします。
・そして新居に入ってからの片付け、が第3期。
まだモノを精査する力が弱かったので持ち込んだ荷物が多く、手放すのにこれまた労力・時間がかかりました。
そして第4期の今のきっかけがこちら。↓
ポイントは
そんなところからの見直しでした。
そして人生の後半生のステージに立った時『終活』視点でさらに持ち物を絞り込むことも始めました。
私には時間薬が必要で実親の思い出の品を少しずつ手放せていったのも4期あたりからになります。
4期は過去のガラクタを手放して行った後なのでアクションも割と小さくなっています。
ブログを始めた頃はわかったように『今が大切』なんて書いてますがあの頃は本当にわかっていたのかと言うとちょっと疑わしいかもしれません。
アラ還になってゴールが見え始め、又、お片付け番組や色々なノウハウを目にするようになりこの頃やっと『あ、そういうことか』と気づくことも多くなりました(笑)。
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靴箱内の整理で空間に対する適量が改めてわかる
長雨やコロナの閉塞感でしばらく片付けの道が見えなくなっていました。
しかし玄関掃除と靴箱内の整理でモヤがかかった景色がスッキリする瞬間を手にする事が出来ました。
↑上の記事は掃除とかたづけ&収納がごっちゃになってしまいましたけど。。
この時やっと『今にフォーカス』、やましたさんの言う『空間に対しての適量』『最適化』と言う言葉が自分の中でカチリとハマッタのです。
靴箱の整理でやっとわかりました!
今日8/3日は幸にして晴れ、梅も引き続き干せました。
『家を神社のような静謐な空間に』と志高くハードルを上げたので(汗)、まずは外掃除をして家の周りをキレイにしました。
家の外を掃くだけでこのスッキリ感はなに?
長雨で外掃除ができなかった時間が多かっただけに、照りつける日差しの中での掃除は暑かったもののやって良かったです。
こころを掃き清めているようでした(おおげさ、、)
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本日のターゲットはキッチン下収納。停滞している場所を蘇らせる
キッチンの下の収納には沢山の梅酢が入っていました。その数500ml×14本。
毎年梅を漬けるのでどうしても増えてしまいます。
以前も2014年以前の梅酢は捨てた経緯があるのですが、今回もあっという間に溜まってしまいました。
梅酢は料理でも使用するものの現在持っている量はあまりに多く、消費が追いつきません。
本来なら梅酢を廃棄するなんてバカ者のすることです。
しかしモノを停滞させる方がバカだ!と自分に言い聞かせて2018年以前の梅酢5リットル分を盛大に廃棄しました。
「今」に着目するのであれば「自分が今使う分だけで良い」。
実母が生きていたら”なんてもったいないことを!”と言われたと思います。
けれど『今』キッチンを使うのは亡くなった母でもなく、義理母でもなくわ・た・し。
使いもしないモノを多く抱えていたところで自分に負担になるだけです。
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
何事もほどほどが肝心。
で、改めてわかったのです。
あー自分を知って今を最適化するってこう言うことか。
スカスカになったキッチン下収納をアルコールで拭き上げて、湿気取りをいれて完了。
空間のゆとり=こころのゆとり
なんか今頃片付けをやり直している感じひしひしですが、ぼんくら、やっと気がつきました。
やましたさんがいう『空間をクリエイトする』ってこう言うことかってだんだん分かってきましたよ。
適量は自分に与えられた空間に対してなので、もちろん人によって違って当然です。
だから『〇〇だったら○個』って数から入らなくてもいいんだなっていうこともわかりました。(今更ながら、、)
これからしばらく我が家が『静謐な空間』になるよう淀みチェックをしながら再び整え直したいと思います。
目指せ!グリコ神社!!
せっかくお片付け番組を視聴しているのだから自分に活かさなきゃ、のグリコール・グリコでしたV
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