通っているジムの人事異動があるようで、とっても好きなインストラクターさんたちとお別れになるかも知れなくて、ちょっと、いやかなり落ち込んでいました。こんなに気分が↓のは久しぶりでした。
自分の中にまだ「執着」があったことに気付く
死別も含めたくさんのお別れをして来て、人との別れは「そういうものだ」とわかっていたつもりでした。
そして自分は人や物・事への執着は卒業できたと不遜にも思っていたのです。
しかーし!
今回ジムの人事異動は想像以上にわたしのメンタルを削ぎました。
ずっと指導を受けられると思っていた先生方が居なくなる。
こんなに自分のこころがダメージを受けるとは。。。
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K先輩のことばが響く
仏教に精通しているK先輩に落ち込んでいる旨を話したら。。。
それに一生その先生といられるわけではないでしょ?
そうなのでした。
ずっと続くと勝手に思っていた。
それなのに急なお別れ。
とっても好きだったのに。
いやだ、離れたくない。
これはまさに執着。。。!
これも愛別離苦の一つと知る
このK先輩の言葉はわたしのこころにイカズチが落ちたくらい衝撃的でした。
今のわたしの気持ちは仏教用語でいう愛別離苦状態
愛別離苦(あいべつりく)とは、大切な人や大好きな人であっても、いつかは離れなければならない苦しみをさします。
人間は「生老病死」の流れの中にいて、それは逃れることが出来ない。
そしてどんなに良いことでも、どんなに悪いことでずっとは続かない。
いつだって状況は変わるのに、変わらないことにいつまでも気持ちをアンカーしていたわたし。
K先輩はこうもアドバイスしてくださいました。
変化することでまた新しい出会いもあるのでは?
歳をとると変化に弱くなっていくのでK先輩のアドバイスは身に染みました。。
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こころを刷新する為にも片付け!
ありがたいお言葉を頂いたので帰宅後さっそく片付けをしながらこころの整理に取り掛かりました。
なぜなら
環境を整えればこころも恢復する。
出番が遠のいた服を出しながら
・こころがモノに引っ張られているのは愛別離苦でもがき苦しんでいる今の状態と同じことなのでは?
・まだ着れる・もったいないという執着や、買えなくなるという不安で引き留めておくの?着なくなったのに?
そうひとり問答をしながら着なくなった衣類をまとめました。
2020年購入のマンパも入れました。
たくさんありがとうね。さらば。
そして出渋っていたモノたちを自転車に積み速攻WEショップに寄付しにいきました。
ついでに羽織っていた上着もその場で脱いで寄付。
”着てきた服をその場で寄付する人は初めて〜”と驚かれましたが、今の自分にはこのくらいの荒療治が必要かも。
自転車での往復でいつのまにかこころもスッキリ。
そうか、変化を受容するわかりやすい手立てとしても片付けって必要なんだな
何回も片付けをしているのに、片付けの本質に到達していなかった自分も発見できました。
片付けは自分のこころの整理だー
本日は片付けをすることで自分の中の執着を剥ぎ取ったお話、そうだよね、もっと素敵な出会いもあるかもしれない、そう思えたグリコでした。
(K先輩ありがとう〜♡)
今日も最後までお読みくださりありがとうございました〜
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