今日は義理母つうさんの服の手放しのお話。引越しの際かなりの服を手放したはず、、ですが私たち家族3人分以上の服を未だ所有している義理母つうさん。しかし少しずつ気持ちも『今の自分の状態』に目が向くようになり、服の整理がちょっとだけ進みました。
口に出して多くは語らないけれど思い出の服が多い義理母つうさん
義理母のクローゼットやチェストには今でもかなりの服が仕舞い込まれています。
基本不介入ですが引き出しの整理は手伝った事があります。
人はモノに思いを寄せる、モノが思い出の具現化みたいなところがあると思います。
義理母つうさんにとってそれは30~40代の頃作った服、50〜60代の頃買った服、70〜80代の頃買った服、それ以降、、に大胆分類されます。
クローゼットの一番いい場所を占めているのがなぜか30〜40代の頃姉妹が作った服&50~60代の頃百貨店で買った服です。
たぶんこの時代が義理母にとってのゴールデンタイムだったのでしょう。
この場所勿体無いなぁ、、と思いつつ口に出さずに早10年。
ずっと思い出の服は手放せなかったのですが今回は確認作業をしながら手放すことができました。
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手放せなかった古い服との訣別方法3つ
訣別方法1 実際に昔の服を着て確認した体型の変化
最初はまず姉妹が作ったという思い出深いワンピースを自分で着てもらいました。
95歳にもなると身長は15センチほど縮み、体重はさほど重くないものの内臓が全部下に下がるのでウエストがやはり15センチ以上増えていました。
共布ベルトでウエストマークする形のワンピースでしたがベルトが、、パッツパツ。
ギューっとベルトを絞めても以前留まる位置にベルト布が全然いかない!
自分の体型の変化に今更ながらびっくりしていました。
そして自分から”コレはもういいわ”と同じような形のものは手放すことができました。
手作り品の服はワンピースやツーピースが多かったです。
今はスカートも着ないからと出す事が出来ました。
訣別方法2 活躍シーンを検証する
義理父が生きていた頃は二人お揃いでお出かけ用のスーツを誂え、外出時に着ていたようです。
そういったスーツも何着も残していました。
お出かけ、外食がフォーマルだった頃はそれが当たり前だったのですが今はカジュアルになりましたよね。
リハ友さんとの外出もオサレには気を遣いながらも現在は動きやすい服で出かけます(といってもコロナでそれも無くなりましたが、、)
90を超えるとさすがにドレスコードがある場所に出かけることもなくなり、これらも自分で納得して手放していました。
訣別方法3 仕舞われた服の実情をチェックする
義理母は『高かったから』とかはあまり言わない方です。
ただ『あ、これは〇〇百貨店で買ったモノ、、』という言い方はします。
大人の遊び場として存在していた百貨店。
その良き時代を経験しているので義理母のセレクトした服はいわゆる”百貨店ブランドの服”です。
袖を通すたびクリーニングに出して保管していました。
でもビニールをかけたまま長い間そのままにしていた結果。。。
生地にしまいじみ、襟袖が変色&退色。布や糸の経年劣化が起きていました。
これはビニールを外さなければわからなかったもの。
意外とやりがちですよね、ビニールがかかったまま衣類を保管するやり方。
(クリーニング屋さんからもクリーニングした衣類を移動させる際汚れがつかないようにカバーしているだけであって蒸れるからすぐ外してね、とも言われています。)
しかし義理母つうさん、ビニールがかかっているのがクリーニングした証みたいなこだわりがあって、今でもビニールから出して保管するやり方を好みません。
今回出した服はクリーニングを出してかなり時間が経っている服も多数あり、ビニール自体が薄っすら茶色く変色していました。(泣)
どれも自分で服の賞味期限を『着て・目視して・納得』出来たのでさよならする事が出来ました。
50着以上出ましたね。
また一方で『使われない服の末路』の哀しさも実感しました。
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使われないまま朽ちていく服の末路の哀しさよ
たくさん持っていても仕舞われたままウン十年で劣化していく服。
素敵だけれどよく見るとシミが出ている、夏服は脇が劣化している、ファスナーが錆び付いて開かない、縫製の糸自体が弱っている、生地自体が弱っている。。。
そんな服たちを見てわたしも娘も思い出以前に『使わないってこういうことか、、!』と服の末路に哀しさを覚えました。
ホント、箪笥の肥やしってやめよう!と思いましたよ。
使ってこそのモノ、だけど永遠もない
長く使うのはいいけれど、それでもモノに永遠はないと思っています。
よく”一生モノ”と言うけれどどんなに良いモノでも一生使えるものはないと思っていた方がいいです。
”一生モノ”はお手入れと修理が前提です。
そのどれかが抜ければ永遠を手に入れることは難しいと思います。
一生モノへの執着があるなら死ぬまでお手入れと修理し続けて〜と言いたいです。
お手入れと修理はモノへの責任を持つことにも繋がりますね。。
高齢になりモノへの責任を負えないのなら過剰にモノを持つことは意識的に抑制していった方が良いな、とこれまた今回の服整理で感じました。
人任せにせず自分で決める癖をつけてもらいたい、今更だけど、、
高齢者になると自分で決めるというプロセスが面倒&億劫になりがちです。
生き方や過ごしてきた時代がそうさせるのか、からだが動かなくなると同時にもうどうでもよくなるのか、その両方なのか、わたしもある程度の年齢を重ねてなんとなくそうなんだろうなぁ〜と想像できる部分もあります。
特に義理母つうさんは決定権を人任せにする傾向があるので今回はあえて目の前の事実を自分で確認し考えて「要る・要らない」の判断をしてもらいました。
何故なら人任せにする割に、発言が『〇〇させられた』『〇〇にいかされた』といった『使役&被害者的言い回し』を多用するからです。
その言葉の裏側には『本意ではないことをやっている』アピールが無意識に出ています。
なので『片付け』もあくまでも自分の意思で考え、結論を出したことを実感してもらいたいです。
要らない服抜きをしてスッキリしたかどうかは謎です。
今更なんでどこまで『自己決定』が身につくか(もともとのパーソナリテイが割とおまかせで生きているので)わかりませんが、なるべく自分の落としまえは自分でつけてほしいと希求します。
じいじのジャケットは未だにひとつ残してあります。
これは義理母つうさんの棺桶に入れる服。
忘れていませんから、安心して旅立ってください。
ってまだまだ先そうだけど(苦笑)。
ひさしぶりの『お・や・か・た』を手伝ったグリコール・グリコでした。
人の振り見て我が振り直せだなぁ〜。。
ううむ、なにごとも反面教師!
コメント
コメント一覧 (6件)
グリコさん
お疲れさまでした。ともあれおつうさまが納得して自分でいらないとおっしゃったのが良かったですよね。お出かけ、よそ行きの多かった時代、よそ行き服の量って半端なかったですよね。母の片づけをした時を思い出しました・・・。
以前沢村貞子さんが、縞の着物を作って3年くらい着てなかったら、3年の間にその縞の大きさが自分に合わなくなっていたと書かれていました。縞に負けたそうです。すぐに縞の幅を狭くして染め直しをされたそうです。20代の私には書かれていることが理解できませんでした。今、ひしひしと実感する日々です。女優さんクラスの着物の場合は、譲ることも出来ましょうが、普通の人のお出かけの洋服は、迷わず処分ですよね。
こんばんわ、もず様。
もず様ならたぶん義理母の服のアルアル、画像がリアルに浮かび上がると思います。(汗)
そうなんですよね、それが30年以上前となると、もう全然。
からだの変化も著しい。わたしも今自分のからだで感じています。
逆に先に見本を見せてもらえると思えば、自分の身に引き寄せて考えられます。
おやかたも学びですね。
今回は自分のことのように耳が痛かった・・・ので、大いに反省すべき点を再認識致しました。
それにしても義理母上はお幸せな方とつくづく思いました。
誰かにお世話して頂いて守ってもらえる星の下に運命づけられているのですね。
グリコさんのご苦労、正直想像するだけで唸りたくなってしまいますが・・・。
引っ越しで大きな本棚の引き出しを開けたら夫のものが何一つ入っていなくて、夫が常々口にしている『終活』の実践を目で見てちょっと寂しく感傷的な気持ちになってしまいました。
残るであろう私に全部明け渡してくれた引き出しと言うことが分かったからです。
今モノの収まりをつけなくてどうやって楽しい老後を迎えられると言うのか!?
・・・と思い始めた私です。
モノから開放されて身軽になることのメリットにも気づき始めました。
コロナ禍が明けるまで貴重な時間を与えられたと思って心の入れ替えもします。
こんばんわ、ブラン様。そっかー!義理母はそう言う星の下の運命なんですね。
そう思うと関わるわたしもそういう星の下の運命なんだなぁ、、となぜか納得しました、ガッテン♪
ブラン様の夫様は本当に大きな愛でブラン様を包んでいる、包容力のある、素敵な夫様です。
新しい扉をあけたブラン様、楽しい老後コレからも作っていきましょう、お互いに、ふふ。
きっと開けた引き出しにはこれからの『チームsora』の為の余白なんだと思う!!
新しい場所でのチームsoraの素敵な希望と夢を入れていきましょう!!
いやぁ、ほんとだ。
最後の一言につきる。
ブログ読みながら自分のクローゼットの中身が目に浮かび。。。汗
仕事に着て行ってたカチッとしたシャツなんて、もう着ないと分かっているのになぁ。
うむむむむ。。。
こんにちは、kaorun様。
分かっちゃいるのに動けない〜♪、きっとまた仕事に復活する自分がいるからなのかもしれませんね。
新しい扉をあけるとまた違う景色が見える、でもそれぞれ人にはタイミングってものがあるので、色々自分に問いかけてみたら良いのでは無いかと。。。
わたしも何回も段階を踏み、今ここって感じです。