親を自然葬(海洋葬)で見送った体験を、私自身の心情を交えて書き残しておこうと思います。
一人っ子である私にとって「お墓をどうするか」という問題は避けて通れないものでした。
お墓を建てれば自分の代で途切れてしまう。けれど骨壺を抱えて暮らし続けるのも心の整理がつかない。
そんな葛藤の中で出会ったのが「自然葬」でした。
この記録は、役立ち情報というより、迷い・戸惑い・そして選択を経て感じたことを中心に綴ったものです。
同じように悩む方の心に、少しでも寄り添えたらうれしいです。
「お墓」を持たなかった両親と、一人っ子の私
父は東京の世田谷、母は高輪の生まれ。
それぞれ5人兄弟でしたが、二人とも長兄でも長女でもなかったため、継ぐべきお墓がありませんでした。
さらに、高度成長期に血縁関係のない土地に移住し、親戚との交流もほとんどなく、特に父は歳の離れた末っ子だったため、連絡を取り合う親戚はほとんどいませんでした。
そして、私も一人っ子長女。
お墓という「カタチ」を作ることは簡単でも、その後の管理を誰が担うのか。
いずれ私が死んだ後、誰も継ぐ人がいないお墓が、どこかの山間に捨てられるかもしれない…そう考えただけで、心が痛みました。
幸いなことに、我が家には仏壇も神棚もありませんでした。
これも、後に続く私への両親からの配慮だったのかもしれません。
そんなこんなで「お墓」の問題を棚上げしたまま、母は旅立ちました。
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何故 墓問題に時間がかかったか
1年以上、家に骨があった理由
母が亡くなってから1年以上、そのお骨は母が使っていた日本間に静かに鎮座していました。
もちろん、生前にお墓を作っていなかったのが第一の理由です。
でも、それだけではありませんでした。
「両親の不仲」と複雑な娘の思い
夫婦仲があまり良くなかった両親。
もしかしたら、母は父と同じお墓に入ることを望んでいなかったのかもしれない。
(夫婦がコミュニケーション不全で家庭内別居だったので「墓」の問題を正面切って話せる環境でもなかった、、というのが「お墓」問題が長い事避けて通られて来た要因の一つでもあったかも、今更ながら気付きました。)
そう考えると、「お墓を作る」という選択肢はますます遠のいていきました。
生前から母の親戚に「お墓はどうするんだ」とやんわり聞かれるたびに、私は悩みました。
社会問題となりつつあった無縁墓問題
しかし、母が亡くなった当時は、ちょうど後継の無い墓の撤去、無縁墓の不法投棄問題といった「無縁墓問題」が社会問題になり始めた頃です。
無責任な選択だけはしたくありませんでした。
そんなこんなが有り、生前実母からの申し送りもあって渋りがちな実父の尻をはたいて
実母お望みの海洋葬と進んでいきました。
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生前から実母が希望していた「海洋葬」
「私は海に撒いてもらえればそれでいい」
母の生前の言葉は、私の背中を押してくれました。
私はインターネットで自然葬の業者を探し、家からそう遠くない、アクセスの良い業者を見つけました。
当時のパンフレットには、法務省の見解として、
「葬送のための祭祀で節度を持って行われる限り、散骨は問題ない」と明記されており、少し安心したのを覚えています。
当時の散骨のルールとマナー
当時の業者のパンフをみると
”刑法190条の規定では、社会的習俗としての宗教的感情などを保護するのが目的であり、葬送のための祭祀りで節度を持って行われる限り散骨は問題ない”との法務省が見解を示しました。とありました。

(※これは平成3年に市民団体が神奈川沖にて行った散骨について法務省が見解を示したものがその後の海洋葬の大きなガイドラインのベースとなった経緯が在ります。)
当時の散骨のパターンが以下のもの。↓
- 船による海洋葬
- ヘリコプターによる自然葬
- 山への自然葬
が紹介されています。
(ちなみに今はアメリカやロシアからロケットを打ち上げて宇宙葬なんていうものもアリ)
散骨のお約束は
- 遺骨をパウダー状にする:2ミリ以下の粉末に。
- 湾を6海里以上離れる:漁場を風評被害等から守る
- 私有地に勝手に撒かない:山への散骨の場合も同様。
高倉健さん主演の映画『あなたへ…』で、骨壺から直接遺骨を撒くシーンがありますが、、
あれは実際にはあり得ません。
遺骨をパウダー状にするのが鉄則です。
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海洋葬の費用と手順
個人葬として
我が家4人+親戚6人 総勢10人。
クルーザーをチャーターして予算は241、500円也。(※2005年の相場です)
当日の手順としては
・まず集合場所で遺骨を業者に渡して遺骨をパウダー化
・港へバスで移動
・港からクルーザーに乗る
予め業者からは
“当日は船が滑りやすいのでゴム底などの滑りにくい靴で&ラフな格好で”
等の諸注意の紙をもらっていたので、参加希望の従姉妹達にはその紙をファックス送信しました。
【実録】海洋葬 予想外の結末!船酔い大騒動
私たちがクルーザーをチャーターしたと聞いた親戚の従姉妹たちが、物見遊山で参加したいと言い出しました。
「えっ、来るの…?い、いいけど…」
まさか、この「物見遊山」が大変な事態を引き起こすことになるとは、このときの私は知る由もありませんでした。
海洋葬の日は風がやや強いものの、まずまずの天気でした。
クルーザーは沖へ向かい、陸がどんどん遠ざかっていきます。沖に出ると波がやや荒れ始め、ドンブラコと揺れました。
海洋葬のため沖に出る
すると…船酔いに弱い従姉妹たちの顔がみるみるうちに青ざめていきました。
主催者である私たち家族は事前に酔い止めを飲んでいたのでセーフ。
しかし、丸腰で乗り込んできた従姉妹たちは、もはや故人を偲ぶどころではありません。
エチケット袋を握りしめ、「撒き餌」寸前の状態でした。
”あの、なんか船酔いギリギリみたいなんでここら辺で駄目ですか?”
と船長に懇願するものの
”6海里離れないとちょっと、、、”とルール厳守。
ようやくギリギリのラインに到達し、船が停まりました。
船長が鳴らす鐘の音とともに、厳かに散骨が始まりました。
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散骨の様子

パウダー状になった骨が大きなロートから海に撒かれます。
環境保護のため、献花は花の部分だけ。あと形だけ、お茶を少し。

外海は深い蒼で2〜3mは透けて見えます。
その中を粉になった骨が立体的に散りながら拡がっていく。
水の立体感を感じたし、なにより「自然に還る」、ということを肌で感じ取れたわたしでした。
「さよなら、お母さん…またどこかで会えるかもね」
母なる海は、いつかまた私たちを巡り合わせてくれるかもしれない。
そんなことを思いながら、私は母の最後の姿を見送りました。
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そして、帰港後の一言
陸に戻って会食が始まり、温かいスープを飲み始めると、ようやく従姉妹たちの顔に血の気が戻ってきました。
そして、放たれた一言。
ロマンチックな加山雄三のようなイメージで来たのだろうか…
まさか、船酔いするとは想像していなかったんだな、と私は苦笑いしました。
この経験から得た教訓は、海洋葬をするなら参加者への事前の説明と、酔い止めが必須だということです。
そして
市の条例で許可が下りていないところもあるので下調べも必要!
後から業者さんから海洋葬の証明書がアルバムと一緒に届きました。↓


悔いはない、これは「打ち切り世帯」の一つの選択
石のお墓という形はないけれど、親を粗末にしているわけではありません。
お盆やお彼岸には、両親が好きだったものをお供えして思い出しています。
草ボーボーのお墓を放置する方が、私にとっては心が痛い。
死んだらお墓に入る、という従来の考え方を少し変えただけ。
どこかで誰かが新しい埋葬スタイルに舵を切らなければ、「墓守」という理不尽な役割を誰かが背負い続けなければなりません。
幸いなことに、私の娘も両親の自然葬を目の当たりにして、「自然の理にかなっている」と言ってくれました。
これは、「打ち切り世帯」が選んだ、ひとつの大胆な意識革命です。
もちろん、ちゃんとお墓を守っていく方々を否定するものではありません。
もしあなたが同じような悩みを抱えているなら、、

あなたにとっての『お墓』を一度考えてみてほしい
と思い、今回わたしの体験談を書いてみました。
私のように悩みを抱える誰かの参考になれば幸いです。
次回は、実父の樹木葬についてお話します。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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