こんにちは、もう一回くらい引越しをしても良いかな、、と自分の体力を棚に上げて妄想するグリコール・グリコです。婚家のモノの整理は引越ししてからも続きました。。。物持ちが良すぎるのも考えものです。今回は婚家でのモノの処分の話です。
ん〜とっておいて&ひょっとしたら居るかもしれない、要らないモノの判断が難しい老夫婦
婚家はいつも整理されており、一見するといつも片付いているように見えました。
が、、
実はある時点(夫が独立したあたり)からほぼ生活の中身が更新されていない状態でもありました。
家電の買え変えや全自動にしたトイレ、洗面台のリフォームなど家のマイナーチェンジはあったものの、、
「老夫婦を取り巻く環境」(二人の歴史のような、時間をかけて堆積していった様々なもの)は動いていませんでした。
本棚の本は古い情報だったし(人のことはあまり言えない、、)飾り棚の飾りは”それで?”というかんじだし、2Fの空きスペースは過去義理父が日曜大工で家具を作っていた名残がそのまま。
台所も同じで、義理母が長年パン教室に通っていたパン&お菓子作りの道具が所狭しと置かれていました。
そしてカオスの納戸、秘境と化した物置二つ。
(でも人を非難できない、我が家もそうだったから。)
特にええ〜??と思ったのはモノが入っていた空箱。
義理父は自分で色々工夫してアレコレ作るのが好きだったので、そうめんの木の箱など沢山取ってありました。
いつか使うかもしれない
小型家電を手放す時も箱がいるかもしれない、等の理由で大事にとってあったのです。戦争体験世代だけにガッチリもったいないお化けが取り憑いていました。。
最初のうちは本人の意志を尊重して一つ一つ聞きながら片付けていました。
けれど「ん〜とっておいて」「ひょっとしたら使うかもしれない」となかなかエンジンがかかりませんでした。(泣)
一番片付けやすかったのは夫本人の部屋。
結婚して出ていったママの状態で残っていた其の部屋は、本人の手で片付けられました。
婚家の整理はやはり
・毎週末に市のリサイクルセンターへ大型ゴミを運ぶ。
・アンティーク家具を扱うお店に売る。(最近はどの家も小さい家具しかおかない為、大型のものは引き取れれず。)
・毎度おなじみNPOショップに出向いてもらい、パン作りの道具一式などを引き取ってもらう。
・毎週ゴミ出し。。。
ここでも手放すために労力&出費が必要でした。(泣)
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現代の落とし穴、ゴミ分別が細かくなり老人には対応不可に
時代も変わり、行政もリサイクルを推進し始めます。
不要物を出すにも分別が煩雑になり、老人にはそれも負担になり、モノが溜まって行く一因にもなりました。
義理母は「いつか居るかもと思って取っていたものが、不要とわかっても今の出し方が判らない、、」という状態だったのです。
例えば、義理母結婚前所有の「スケートのマイシューズ」。
ボディは革、ブレードは金属。分解して出すの?不燃ゴミ?革は燃えるゴミ?なんかわからないし、めんどくさいわ、、いつか処分しよう、いつかね。
と今まで引っ張ってきてしまったのです。
そういった遺産がすこ〜しずつ静かに堆積していきました。。
居るかもしれない、と思っているうちに老々の二人は時代から取り残された、そんな感じでした。。(遠い目)
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更に現代の闇、「個人情報」の壁が紙ゴミを増やす
老々の二人が大量に所有していた紙類。
それは、、
今でこそ義理母は紙類が来るとその場でシュレッターする習慣がついきたが、処分する際に大変な労力がいったのが紙類です。
通帳は10年は持っておかないと、、とその根拠もさることながら、、
途中から個人情報云々が入ってきたので用心深い二人は「紙の資源ごみには出せない、だって個人情報が、、」と、ますますそれを処分することが出来なくなりました。
「そういうのはシュレッターでガーッとすれば良いんだよ」と説明してやっと我が家からの持ち込みシュレッターにかける日々。
婚家にシュレッターはあったものの初期のタイプだったので刻み幅は広く、全く役に立たなかったです。
こうやって引越しの日が迫る中、婚家の歴史の地層と格闘する日々が続きました。
親の家は片付けたシリーズまだ続きます。。。
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