年齢を重ねるにつれ、人との縁は自然に減っていきます。それにも増して私はむしろ、意識して“減らして”きたほうかもしれません。その残ったご縁の中で気付けたことがありました。
親戚も友人も自分の違和感を尊重して付き合いを減らした
若い頃は『みんな仲良く』という昭和的教えが染み付いて結構無理して人との関わりをもっていました。
それはある意味「我慢」や「自己犠牲」がついて回っていたように思います。
また、「よく思われたいと言う欲」もありました。
それは親戚付き合いも同様です。
けれど実母が亡くなった時に関わりに疑問を感じる出来事があり、それをきっかけに「我慢」のお付き合いをやめた親戚がありました。
そう頭の中で「我慢」の抑えがぶっ飛んだ時、「縁を切る」開き直りが出来たのです。
(スポンサーリンク)
どれも大切だったかというとそうでもなかった
切ったら悪いかな、よく思われないかな、と中途半端に拡げたままだったご縁の数々。
けれど自分の中に芽生えた違和感を拾っていくと
関係が薄まっても特に困らない人(に、いつまでもしがみつかなくてもいい)
無理に気を遣わなければならない相手(に、気を使う必要もない)
気持ちがすれ違っていることに気づきながらも何となく続けていた付き合い(も、切ることをおそれてなくてもいい)
ということがわかってきたのです。
関係が薄くなった人はまずは年賀状じまいから、
無理に気を遣わなければいけない相手や、気持ちがすれ違っている相手からは転居を機に離れ、
自分が感じた違和感のある縁を、ひとつずつ手放してきました。
でも、不思議なもので、減らしたぶんだけ、「本当に大切な人たち」が見えるようになった気がしています。
こころが届いた瞬間 丁寧につきあおうと肝に銘じた
「今、本当に大切な人たち」が見えてくると、わたし自身の、人に対しての対応も変化していきました。
そんな中、長年闘病していた従姉妹が亡くなりました。

以前のわたしなら葬儀に参列して終わり、、だったのですがこの時はDちゃんの四十九日にも花を送りたくなりました。
葬儀が終わって四十九日頃はお花も少なくなり、人の往来もひと段落してなんとなく寂しくなるものです。。
そして長いDちゃんの闘病を支えていたdおじさんも気になりました。
dおじさんもDちゃん同様いつも気にかけてくれた親戚の一人です。
わたしには珍しいことでしたが、手紙も一緒に送りました。
手紙には、昔の思い出や感謝の気持ちを静かに綴りました。
するとすぐにDちゃん連れ合いdおじさんから電話がありました。
”あ、グリちゃん、、、”と言うなり電話口で泣するdおじさん。
そして声を震わせてこう言ってくれたのです。
”Dを偲んでくれてありがとう。気持ちのこもった手紙、本当にありがとう、Dも本当に喜んでいると思う。忘れないでくれてありがとう。。”
こころが届いた瞬間を感じました。

丁寧に寄り添えて良かった。。
付き合いの頻度じゃない。長さでもない。
もう無理に付き合わなくていい人とは、ちゃんと距離を取っていい。
でも、自分が「この人と生きていたい」と思える人には、できるだけの想いを返していきたい。
今はそんな気持ちで、人との関係を見つめています。
無限に関われないからこそ、選び抜いたご縁に、心を込めて。
これからも、そんな生き方をしていきたいと思っています。
本日も最後までお読みくださりありがとうございました。
今日は「ご縁」の話、今の自分にとっての“人間関係”は、もう増やすものではなく、育てていくものなのかもしれません。
その小さな積み重ねが、これからの人生を、静かに、でも豊かにしてくれる気がするグリコです。
コメント