アラ還になると、漠然とした不安を持つようになります。老ゆく先の経済面、健康面。そして死ぬ時のこと。人生のゴールが気になります。『ボクはやっと認知症のことがわかった』を読んだグリコール・グリコです。
認知症、知らないで恐れるより知って理解したい
今まで両親や義理両親をみて終わりに向かう過程の経験値は多少あるものの、『老いとはこういうものだ』『死とはこういうものだ』と胸を張って言えるほどのモノではありません。
特に認知症は症状の幅も広く、「自分がなったらどうなるのだろう?」と漠然とではありますが心の隅っこに不安があります。
私の住む街でもほぼ毎日老人が行方不明になっている、、という防災無線からのアナウンスがあります。
あ〜認知症の徘徊?と思うものの、『認知症がなんたるか』を理解しているかというと実はあまりよくわかっていないのが現状です。
義理母つうさんに至っては『痴呆』という言葉がしばらくアップデートされず、それは侮蔑的な意味合いも含ませながら使用していたきらいがあります。(後半は認知症という言葉が上書きされました。)
ぶっちゃけ、認知症ってどんなものなのでしょう?
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見逃したもののNHKスペシャルの前振りで長谷川和夫先生を知る
以前NHKスペシャルで”認知症の第一人者が認知症になった”という特集がありました。
放映される数日前に”あ、これは観なければ、、”と思いつつ予約録画をうっかり忘れ(認知の始まりだ、、汗)観れなかったものの『Dr.長谷川和夫』の名前はかろうじて私の脳に記銘されました。
あの100から7を引く、、と言う認知症の検査です。
そして時を置かず長谷川先生と読売新聞編集委員の猪熊さんとの共著『ボクはやっと認知症のことがわかった』が書店に並びました。
この本が出てもう2年が経過しています。
認知症になることは不便だけれど、不幸じゃない
結局この番組は視聴出来ませんでしたが、長谷川先生の「認知症になることは不便だけれど、不幸では無い」という言葉にかなり心を揺さぶられ、本を手に取りました。
そう言えるってすごいな。
見ての通り、たくさん付箋をつけて時間のある時に読み返しています。活字も比較的大きめなので読みやすいです。
また、補足資料がついているのでわからないこともその補足資料で補える、大変丁寧な本です。
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認知症の権威長谷川先生は認知症の本質は『暮らしの障害』『生活障害』だと言う。
私も老いの入り口に差し掛かり、からだが硬くなってきて自分のボディイメージと自分のからだの差にギクッとすることがあります。
からだのなんか変だぞ?ということが脳にも起こってくるわけですから殊更老いて「今まで通りの暮らしをすること」は当たり前のようで当たり前には出来にくいものなのかもしれません。
長谷川和夫先生は言う、人間は生まれた時から連続して生きている
この言葉の続きがあるのですが、
そもそも認知症になったからといって、突然人が変わるわけではない。昨日まで生きた自分の続きがそこにいます。
ボクはやっと認知症のことがわかった(本文P5より引用抜粋)
この視線は認知症になっても「向こう側(認知症)にいってしまった人」ではなく、「確かさの揺らぎ」はあるものの、人として在るのだよ、と言うメッセージでもあります。
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認知症は固定したものでは無い。その時々の身体や心の具合によって日々変動する
長谷川先生自身自分の調子を書いているのですが、認知症になったら症状が固定されて、はい、終わった人、、では無いといっています。
日々変動する調子の波、、海を潜るイメージかな、、とこんな映像が浮かびました。
認知症も調子の波がある。
「一度なってしまったらおしまい」とか「何もわからない人になってしまった」などとと思わないでほしい、特別扱いしないでいただきたいと思います。
ボクはやっと認知症のことがわかった はじめに p6より抜粋引用
特別扱いしない、と言うのは人として尊重する、と言うことですね。
そして自分が認知症になったことをオープンにするのも、認知症を「怖いもの」と恐れるのではなく、まずは理解することを社会に広めたいからなんだ、とわかりました。
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ボクはやっと認知症のことがわかったとは?
そういえば昔(中略)先輩から「あなた自身が同じ病気にならないかぎり、あなたの研究は本物じゃない、認めない」と言われたことがありました。その先輩に向かって、いまなら「ボクも本物になりました」といえますね。
ボクはやっと認知症のことがわかった 第一章認知症になったボクP 29より抜粋引用
そうですね。経験すること、それを伝えることはとても重要なことだと思います。
介護者も介護従事者も医療従事者も是非読んでほしい本
自分の行く末が気になる人はもちろん、介護者や介護従事者、医療従事者にもぜひ読んでもらいたい一冊です。
認知症は「暮らしの障害」であること、認知症になったからといって「あちら側にいってしまった人」とラベリングや壁を作ってしまうことは本人からしたらかなり理不尽なことなんだ、ということが改めてわかりました。
「ボクはやっと認知症のことがわかった」は認知症になった当人が語る貴重かつ、今後に活かせる本です。
おわりに、、に書いてある2行が実に心に染みていきます。
認知症と関わる家族の気付きも含めて続編とも言える娘さんの視点で書かれた本も出ました。
今回は「介護」のカテゴリーに入れるか否か、悩みましたが、自分の終活の延長線上に「認知症を知る」ことも重要だろうと、あえて「終活」のカテゴリーに入れました。
今、認知症の家族を抱えて悩んでいる方に、あなたはキレイ事をいってまとめているけれど、症状は人それぞれだから、知らない人があれこれ言わないでほしい、追い詰められている気持ちを逆撫でしないで!と怒られそうで、、リライトを悩みました。
けれど当事者が語る認知症についてのこの本は広く知ってほしいのでリライトすることにしました。
最後に娘さんの言葉を引用させていただきます。
認知症は特別な状態ではなく、誰もが通る道であることを、父は日々私たちに伝えてくれている
父と娘の認知症日記 ―認知症専門医の父・長谷川和夫が教えてくれたこと はじめにより一部いんよう抜粋
知らないより知った方が良い、そんな気持ちでリライトさせていただきました。
それでも取り上げたことで不愉快な気持ちを感じたらごめんなさい。
本日も最後までお読みくださりありがとうございました。
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