これからの暮らしをもっと楽に、使わなくなった古い情報は潔く脱ぎ捨てていく年になりそうな今年。暮らしを循環させてブラッシュアップさせていきます。夫シンジさんの本が一部出て本棚が空いて来ました。
本部屋の本を循環させる
今まで夫シンジさんの本はこう着状態でしたが定年を控えて徐々に本を減らしていく予定らしいです。
わたしはもう売るとか気力がないので、もっぱら寄付・ゴミの日に出すの2択ですが夫シンジさんは労を惜しまないタイプ。
そして少しでも元を取りたいタイプです。(苦笑い)
今回は神保町の本屋さんに段ボール6箱分本を送りました。
査定は2万ちょっと。
専門書は本屋さんでも得意不得意がハッキリしているのでネットで色々調べていました。
本人の野望は縦一段に自分の本が収まるくらい絞る、、とのことでした。
さながらPCの空き容量が増えた、そんな感じです。
実際棚が空いてスッキリしてくると”これからの暮らしに適した新しい情報や知恵はなんだろう?”と、ちょっぴりワクワクもします。
義理母の部屋の義理父の本も出すことに
1Fの義理母の部屋に義理父の本棚と本がまだ残っているのでそれも出す予定です。
図録を捨てたといったら、”え〜図録や美術書の専門買取があるのにぃ〜”と言われました。
ちなみにどういう図録が売れるかというと
特定の画家、作家に焦点を当てた内容の展覧会図録はお値段が付きやすいです。
セシルライブラリより引用抜粋
過去に開催されたことのない(少ない)画家・作家の展覧会図録は高評価になる場合は多いです。
ただし展覧会の図録は2000年以降に開催されたものが買取の中心となるらしく(たしかに昔の図録は印刷技術が今と比べるとやや、、というところあり)そこは注意したほうがよさそうです。
ってかもう出し尽くした感もあり、そういうことを調べる労力がもうないんだよ。。
まとめて出すからと言われてさらに自分の本もいくつか抜きました。
まぁあとはよろしくやってくれ。そして迅速に。
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自分達の老後を考える歳になりつつある
この暮らしがずっと続くと考えるのは『あまい』と思っています。
実際義理母をみてもそう思います。
今、一部屋が彼女の空間ですがそれでも手一杯な感がヒシヒシ伝わります。
食事は上げ膳据え膳、入浴も一人では無理。
今持っているモノの管理もふうふう言っています。
お金の管理にしてもそうです。
時代は通帳レスの時代になりつつあるのですが、現金主義の年寄りにとってそれは受け入れ難い流れで口をひらけば”もうなにがなんだかわからない”と丸投げです。
自分で出来ることが減る前に自分が責任を持てる範囲のモノだけにしておくことは大切だなとマジで思います。
そこに『快適さ』が少しでもあるならそれでいい、、今からそのくらいの覚悟でいます。
その助走として『暮らしをたえず循環させつつコンパクトにしていく練習』が今。
その手始が夫シンジさんにとっても『本』でした。
本部屋の主が代替わりして新しい本が並ぶ、、のかどうかはわかりませんがここに風穴をあけていくことは暮らしの見直しには良い刺激になったと思います。
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自分の意思や決断で暮らしを小さくしていく心地よさ
老いてから人に言われて、第三者に指摘されて暮らしを変更していくのは辛いです。
自分は大丈夫なんてことはほぼほぼ無いので、今から少しずつでも自分で判断して自分の意思や決断で暮らしを小さくしていく意識を持つことは大切だと『おやかた』を経験した身で感じます。
とうとう自分の番になったか、、と思うとまだまだふるいにかけなければならないモノ・コトがあります。
しかし意識は『循環』に紐づいてはいるので、でくわす場面場面、節目節目で自分の身の丈を感じながらこれからも暮らしのタイト化を目指していこうと思っています。
本日は本部屋の棚がすこし空いた話から自分の老後の暮らしまで想いを馳せてみました。
なかなか更新が安定しない中、今日も訪問&最後までお読み下さりありがとうございます。
グリコール・グリコでしたー。
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