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シニア秋旅【広島ゆるり旅】祈りが受け継がれる場所へ1原爆ドーム・広島平和記念資料館・縮景園

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広島ゆるり旅

広島に旅行に行って来ました。広島は、戦争の記憶とともに「平和を祈る街」というイメージがあります。今回は『祈り』の姿を追う形で広島とその周辺を巡りました。1日の日程もぎゅうぎゅうに詰め込まずゆとりを持っての行動を心がけました。

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目次

旅のテーマは「祈りが受け継がれる場所」

一本筋の通った「テーマ」を持つと、旅の見方が変わるし、旅の印象も変わります。

今回の旅のテーマは広義の意味で「祈りが受け継がれる場所」を選びました。

  • 平和記念公園 → 現代の祈り
  • 縮景園 → 焼け跡から復元された庭園=再生の象徴として
  • 厳島神社 → 古代から続く祈り
  • 弥山の「消えずの火」 → 永遠の祈り
  • 錦帯橋→ 人と人をつなぐ祈り

美味しいも見つけてみる

そして裏メニューは「旅グルメ」でございます。今回は私には珍しく、あれこれ食べてみましたよ。

目指すはベタですが、「お好み焼き」「穴子寿司」「岩国寿司」「瓦そば」です。

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広島の旅の日程はこんな感じ

1日目 小田原(新幹線)→広島駅 路面電車→紙屋町西アクア広島センター(コインロッカー)→原爆ドーム・平和記念公園・平和記念資料館→昼食(お好み焼き)→広島城→縮景園→繁華街ぶらぶら→コインロッカー荷物引き上げ→ホテル(近場で夕食)

二日目 ホテル〜紙屋町西 路面電車→広電宮島口駅→宮島口フェリー→厳島神社→昼食(穴子飯)→弥山→厳島神社→門前町(重伝建)→千畳閣→宮島港フェリー→宮島口駅(山陽本線)→広島駅→路面電車→紙屋町西→ホテル(近場で夕食)

三日目 ホテル→レンタカー→山陽道→岩国→錦帯橋・吉川墓所→昼食(岩国寿司・かわらそば)→山陽道→柳井白壁町(重伝建)→山陽道→広島でレンタカー返却→新横浜(新幹線)→帰宅

広島市内はどこにいっても訪日外国人ばかりで驚いた

まず広島にいって驚いたのが「訪日外国人」の多さです。

それもアジア系ではなく、オーストラリア・ニュージー・中南米系・中東と続き、ヨーロッパでもポルトガルやスペインといった国の人が多い印象でした。

路面電車に乗っていても半分は訪日外国人。(そしてみなさんお行儀が宜しい。)

ファミリーやシニア夫婦も多かったです。

ツアーバスも訪日外国人向けか修学旅行用でした。

地元にいるとスラダン目当てのアジア系旅行者の話題ばかりなので、訪日外国人の違いにひたすらビックリしました。

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原爆ドーム・平和公園・資料館 祈りの原点をいく

原爆ドーム
原爆死没者慰霊碑
原爆死没者慰霊碑から平和の灯火、原爆ドームと一直線に見えるよう設計

この慰霊碑の前に立った時、一瞬息を飲みました。

なぜなら、慰霊碑から一直線に平和の灯火・原爆ドームが見えたから。

このデザインにううむ、、となりました。

原爆死没者慰霊碑の設計は丹下健三氏。

慰霊碑の石碑前面には、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」。

犠牲者への冥福と不戦の誓いの言葉は、全人類が胸に刻むべき言葉でもあります。

この平和公園の中には被曝遺構展示館もあり、地面から60~90センチほど掘り下げると公園の下には被曝当時の建物の基礎が今も残っているのを見ることができます。

今は公園ですが、元々はここに「暮らし」があったということを再確認しました。

平和資料館に「この世界の片隅に」を感じる。そこには市井の暮らしがあった

資料館に入ってすぐの、原爆が落ちる前の広島の街の写真が、あまりにも映画「この世界の片隅に」だったので、”すずさんがいたところだ!”と心の中で叫んでしまいました。

市井の人々の暮らしが一瞬で奪われたことを示す展示に、誰もがみな押し黙って凝視。。

また、被爆した人の衣類なども多数展示されていました。

今ならダンシャリブームで「捨て」一択だろうと思うのですが、、

『記録』として残す、あるいは残った、

そこまでに至る心情を考えると、モノを残していく差配の難しさも感じました。

わたしだったら残すことができたかな、遺しても辛くて見れないな、

でも悔しくて手放せないかも、

けれど前を向いて生きていかなければならないから処分したかな、、等々

自分が遺品をもっている当事者だったらと、ぐるぐる考えてしまいました。

入館料大人200円(65歳以上はマイナンバーカード提示で100円)

貞子の折り鶴

禎子と折り鶴の像も祈りの場所です。

折り鶴は「原爆の子の像」にだれでも自由に捧げることができるようになっています。

再生と復興のシンボル、縮景園

もとは広島藩主浅野家の大名庭園です。

昭和14年に浅野家から広島県に縮景園と懐古園の寄贈があり、その後県民に広く解放された経緯があります。

ここも原爆で壊滅的な被害を受けます。

しかし長い時間をかけながら復元し、現在は美しい庭園になっています。

縮景園
小舟の上から池の小島の木々の手入れ

後ろには京橋川が流れていて、そこにもひっそりと慰霊碑が建っていました。

なんと1枚の写真から埋葬場所を特定し、64人の遺骨を発掘したそうです。

市民の憩いの場でもありますが、ここも祈りの場です。

入園料350円 65歳以上は無料です。(マイナンバーカードの提示の必要あり)

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初日は広島の今の姿に圧倒された

路面電車のアクセスの良さに感動したり、政令指定都市だけに規模の大きさに圧倒された初日でした。

そしてそこ此処に、後世の人間が忘れないよう、戒めと、と、同時に鎮魂のための祈りの場所があり、過去が今も生きている不思議空間でもありました。

夜の原爆ドーム

繁華街近くのホテル(リーガロイヤルホテル)に連泊することになっていたので、夜は小洒落た飲み屋で夕食。

人の「祈り」を捧げる力というのは偉大で大きなものなんだなぁ、と感じずにはおれませんでした。

シニアの旅、二日目は古代からの祈りの場所「宮島」です。続く。

本日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

全く普段着の格好で行ったグリコでした。(滝汗)

さ、参加してたりします。。

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