親の家を2軒片付け、自分の持ち物を精査し、時間をかけてシンプルライフを実践してきました。他人のモノ(親の遺品)の重さに苦しんだからこそ、自分は軽くなりたかった。でも、この頃思うのです。軽くなりすぎて浮き上がってしまったような寂しさがあると。
こころの門番がいる
「それは本当に必要?」
買い物をしようとする時、いつも自分の中の門番が問いかけます。
シンプルな暮らしを志してから、私の心には「正しさのフィルター」が備わりました。
確かに、モノが少なければ部屋は整い、管理に追われることもありません。
けれど最近、ふと気づいたのです。
「あ、いいな」と心が動いた瞬間を、私は「シンプルライフの正論門番」の言葉で、毎回なだめて、なかったことにしてしまっていないだろうか、と。
せっかく芽生えた「あ、素敵だな」という心の揺らぎを、自分自身で摘み取る。
それは、人生の余白やあそびまで削ぎ落としてしまうような、どこか寂しい感覚でもありました。
浪費はしたくない。
でも、効率や必要性だけで割り切れない「ときめき」も、 私たちの人生には、大切な栄養だったはず。
たぶん「ときめかなくなった」こころの裏には、この門番との攻防でどこか少し、こころが乾いてしまったのかもしれません。。
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要・不要では測れないじぶんのこころが動く美への感覚
必要だから持つ。使わなくなったから処分する。
わかりやすい「暮らしの正義」ではありますが、役に立つから持つのではなく、眺めているだけで救われる。
そんな「心のサプリメント」のようなモノを(たとえ増えたとしても)あえて選んだっていいのではないかな、と、この頃思い始めています。
「美しい」「かわいい」と思う気持ちも大切にしたい。
また、精査する胆力もついたから、「許可を与える自分にもなりたい」とも思い始めました。
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大人のための「贅沢」を模索する
贅沢というと高価なものを考えがちですが、自分の感性を肯定するために使う時間やお金の価値を含めて、「こころの贅沢」です。
私ごとでいえば、子育ても終わった、親の介護も終わった、親の家の片付けも終わった、ローンなし、夫婦二人暮らし。
65歳になり、今が一番縛られるコトもなく本当にいい時間なのです。
この天からのギフトタイムを有意義に使いたい。
これまでは、失わないための『守りのシンプル』でした。
これからは、自分を満たすための『攻めのシンプル』へ。
正しさのその先にある、私だけの『美しい』を探す旅。
こころの門番に卒業証書を渡すつもりで、ゆっくりと、始めてみようと思います。
本日は短いですが、ガチガチに固まったこころをほぐし、これからゆるく自分に許可を与えて行こうと思ったグリコです。
今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。



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