シニア旅、3日目はレンタカーを借りて山口県岩国へ。最終日にガクンと気温が下がり秋を通り越して初冬の寒さでしたが、錦帯橋と柳井の街並みを観て今回の旅は終わりになります。
錦帯橋 歴史の中で幾度も流失〜再建を繰り返して来た橋
錦川にかかる錦帯橋。
再建から約50年が経過した平成13年には「平成の架替」が行われました。
人の動きが川で分断される、そして洪水が起きては幾度も橋が流される、というむつかしい地形に歴代の藩主は苦労したそうです。
そんな土地での願いは一つ。
流れない橋の実現です。
それを成就させるため、研究を推進したのが岩国藩三代藩主吉川広嘉です。
明の杭州の景色を描いた『西湖志』からインスパイアした広嘉。
このアイディアが錦帯橋の元になったそうですよ。
人と人をつなぐ祈りが形になった場所、それが錦帯橋です。

歩いてみると、アーチの部分も高さの低い階段上になっていて、滑る心配はありませんでした。(シニアだけに足元が心配)
橋を渡るには往復のチケットが必要です。(大人往復310円)
橋を渡ると吉香公園や紅葉谷公園があります。
行った時は紅葉はこれからで、寒さが増して来たので11月には紅葉が見頃になると思います。
吉香公園の横には吉川家墓所があり、県指定の文化財になっています。
夭折した姫君(10歳未満)の墓も多く、昔は長生きするのは大変だったんだろうな〜と思いました。(姫君さえ若くして亡くなるのですから、庶民は長生きできなかったよね)
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石人形ってなに?
岩国石人形資料館にも足を運びました。
石人形はその昔、錦帯橋を洪水から守るために人柱になった乙女の生まれ変わり、、なんて話もありますが、、(こわい、、汗)
その正体は錦川に生息する「ニンギョウトビケラ」が、川の中の小石や砂を集めて作った巣です。
ミノムシの水中バージョンと思えばいいでしょう。
わたしも探してみたかったのですが、長靴を装備していないと無理そうなので諦めました。。
集まった小石の形を、人に見立てて物語を作っていくのは、想像力のある人間ならではです。(お土産も売ってました)
昼食は狙っていたお店が定休日だったので、別場所にて岩国寿司と瓦そばを頂きました。
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白壁の街 柳井はきんぎょちょうちん炸裂!
重要伝統的建造物群保存地区、略して重伝建巡りも半分ライフワークのようになってきました。
今回は柳井の街並みです。
街並みに入る前に街並み資料館に入りました。
ここの資料館のマダムが柳井アンバサダーのような方で、色々なお話を聞けました。
街並み資料館の建物の由来(元は銀行)や当時のこと、「お鐘きんぎょ」や「きんぎょ提灯」のことなど教えて下さいました。
「きんぎょ提灯」は江戸時代から伝わる柳井の郷土民芸品で、柳井の商人熊谷林三郎が、青森のねぶたをヒントに考案したそうです。
北前船で持って来たのだろうとおっしゃっていました。
柳井の町はこの「きんぎょ提灯」でまちおこしをしています。
この間はパリから引き合いがきて数百個送った、、というお話もしてくれました。

マダムが「私が写真撮影いたします!」と言ってくださりご厚意に甘えてパチリ。
ありがとうございましたV
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柳井の街並みはあまり人がいなくて穴場スポットかも
訪問した日は寒くて(汗)、観光客もほとんどいなく、閑散としておりました。
(丁度お店も定休日でほとんど閉まっていた)

これで空が晴れて青いときんぎょ提灯とのコントラストがバッチリなんですが。。

柳井のきんぎょ提灯は愛嬌があってかわいいですよね〜♡癒される〜
いまは過疎っているところでも、重要伝統的建造物群保存地区はこれから観光の目玉になっていくので、柳井もがんばってほしいです。
そして醤油を販売しているところがあるのでそこにも足を伸ばしました。
湯浅にいってから各地の醤油に興味が湧くわたし。


こちらではこの醤油を買いました。
二度仕込むという独特の製法で生まれる甘露醤油。
200年前に柳井で誕生したそうです。開けるのが楽しみです。
今後の旅のゆくえは
今回の広島方面の旅は当初、戦争をテーマにした戦争三部作(沖縄・長崎・広島)のコンプリートを目指していました。
が、行きたかった呉の大和ミュージアムが来年の3月までリニューアル工事中ということで、断念。
別枠で「すずさんの足跡を辿る旅」として改めて戦争遺構を巡ろうと思っています。
今回の旅で自然災害や戦争に遭いながらも、暮らしを再構築していく人間のパワーを感じると共に、過去に想いを寄せたり、こうべを垂れ、祈る大切さもこころの中に染み込んでいく旅でした。。
広島方面の旅はこれにて終了、次回は裏メニューの旅グルメのレポになる予定です。
本日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
旅に出る都度、自分の浅学を知るグリコでした〜。



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