MENU
記録の遡りはこちらから

シニア旅【熊野三山と補陀落寺】極楽浄土に君はいけるか

当ページのリンクには広告が含まれています。
シニア旅那智勝浦

わたしの旅行での大テーマは『死生観を巡る旅』。やっと自分の大テーマに触れる旅をすることが出来ました。今回は補陀落渡海が行われた寺に行くこと。ずっと行きたかった補陀落寺に足を運ぶことができて願いが叶いました。

(スポンサーリンク)

目次

旅のテーマは信仰と行動

紀伊半島は霊場が多く、昔から多くの人々が足を運んだ場所です。

平安〜鎌倉時代は「蟻の熊野詣」と言われるほど庶民にも熊野詣が広がりました。

近年ではユネスコ世界文化遺産にも登録され自然が演出する神々の場所として人気があります。

今回はその中でも『補陀落渡海』という観音浄土に向かって実際に船を出したお寺『補陀落寺』に行き本懐をとげた僧侶たちの足跡を辿る、、というのが旅の大きな目的でした。

(スポンサーリンク)

紀州の旅の日程はこんな感じ

1日目 小田原(新幹線)→名古屋→紀勢本線(特急南紀1号)→新宮(レンタカー)→補陀落寺→那智の浜→熊野那智大社→青岸渡寺→那智の滝→お宿

2日目 熊野速玉神社→神倉神社→熊野本宮大社→大斎原→熊野古道中辺道とがのお茶屋→南紀白浜→お宿

3日目 御坊市道成寺→重伝建・湯浅商家町→和歌山駅レンタカー返却→阪和線特急くろしお24号→新大阪(新幹線)→新横浜→帰路

特急南紀はまたもハイブリット車両、新宮まで約3時間の電車旅

紀勢本線特急南紀

名古屋から紀勢本線特急南紀に乗り換え、新宮まで約3時間の乗車。

特急南紀はこれ又ハイブリット車両でした。

名古屋でお弁当を買いお昼はお弁当を車内でパクパク♪

(スポンサーリンク)

補陀落渡海を知りたくて

補陀落渡海を知ったのはこちらの本がきっかけです。

補陀落渡海記

こちらのアニメでも渡海する僧侶の話が練りこまれています。

この話では”うつろ船”という形になって登場しますが、補陀落渡海の話が下敷きにあると感じています。

補陀落渡海とは?

補陀落渡海、補陀落渡海と念仏のように唱えていますが補陀落渡海とはなんでしょうか。

補陀落渡海とは

那智の浜から(僧侶)を生きたまま船に乗せ、僅かな食糧を積み、外へ出られないように釘付けをして沖に流し、観音の浄土すなわち補陀落山に往生しようとする宗教的儀式

補陀落寺パンフレットから抜粋引用※()内は補足

そんな宗教的儀式が行われた補陀落寺の現在の姿。

補陀落寺

もともとはもっと浜の方にあったらしく、1808年の台風で講堂塔が破壊され、その後しばらく借本堂のままだったといいます。

1990年に現在の場所に再建されました。

「熊野年代記」や「那智参詣曼荼羅」の絵を元に復元された補陀落渡海船がこちら。↓

補陀落渡海船
補陀落渡海船

屋形の四方に鳥居があってなんか禍々しい。。。(汗)

船の上の小屋は人1人が横になると丁度くらいのスペース。

窓は開いていたけれどこれも実際は塞がれていたんだろうな。

こんな薄っすい屋形船で外海に出ること自体自殺行為だとおもうんだけど、、、

浜へは線路をくぐって。

那智の浜への入り口

那智の浜自体すでに極楽浄土的な浜で

那智の浜

心が洗われるほど綺麗です。

実はこの浜には子供が小さい頃夏に来ていて、ここで泳いだ記憶があります。

たしか浜の保全のためにクローズする時間が決まっていたような。。

冬の海辺には我々しかいませんでした。

井上靖の「補陀落渡海記」で金光坊が漂着した島も見えました。

金光坊島

(スポンサーリンク)

井上靖が見つめる生と死

井上靖は「人間が生きて死ぬ」という命題をどう受け止めていったらいいのか、それを文学でどう表現したらいいのかずっと追求していった人なのかな?と思います。

井上靖が描いた「補陀落渡海記」は昭和36年の作でこの短編はわたしとさほど歳が変わらないというのもびっくりなところ。

そして「熊野年代記」という記録から渡海に失敗した「金光坊」にフォーカスし、渡海船に乗り込むまでの心境を想像し、小説に仕立てたところがさすが井上先生。

補陀落寺の僧侶としていつかは渡海するものと思っていたものの、その時が来るとどうにも覚悟が決まらず。

日が近づくにつれ今まで渡海した上人たちの顔が浮かんでは消え浮かんでは消え。。

そしてずるずると渡海船に乗せられて沖に出るものの船が難破して島に漂着するも、また船に入れられて沖に流される、、

という徹頭徹尾往生際の悪い「金光坊」の姿が人間臭い。

「死」に直面した人間の心の内を等身大に描いた作品だと思います。

これほどまでにこの作品に惹かれるのは、わたしの実父の死に際が「金光坊」のそれに近かったからなのかもしれません。

「死」は恐れないとうそぶいていた実父は、意識がなくなる手前、あきらかに「死」を恐れ、目に動揺の翳りが映っていたのをわたしは見ました。

「死」を受容するのではなく「恐る」。

その姿を見たことで『ああ、実父も変わり者だったけれど生身の人間だったな』と逆にほっとしたのを覚えています。。。

まぁそんな身内のエピソードも絡み、この小説のネタになった現地に恋焦がれていたわけです。

補陀落寺の裏山には今も歴代の渡海上人の供養塔がいくつも苔むして存在します。

そして渡海も「金光坊」以降はなくなり、補陀落寺の住職が死亡した場合にかつての補陀落渡海の方法で水葬するという儀式に変わっていったとパンフに書かれていました。

「生」のとなりにはいつでも「死」がある。

天国とか極楽浄土と安心材料を人間は作り出すけれど誰も見たことがない。

誰も見たことがない補陀落にいこうとするその純粋で一直線の気持ち、の裏側にはやっぱり葛藤があって然るべきなんだろうな、、と感じた補陀落寺でした。

熊野那智大社・青岸渡寺・那智の滝

那智の滝は2度目になりますが、熊野那智大社と青岸渡寺は初めて。

私の中で補陀落寺で紀州旅はほぼ終わった感じなのでトレッキング名目で階段を登りました。

熊野那智大社階段

やすやすと辿り着けないところが霊場のしかけなんだなぁ〜と感じ入ります。。。

ここでの目的は八咫烏。

サッカーをやっている遠縁の親戚にサッカーのお守りをゲットしました♪

おみくじを引いたら大凶がデフォルトのわたしに大吉が。

熊野那智大社

この”良い人”というのはこの歳になって出来た「友人Kさん」のことだ、と勝手に思い込みました。

知識の引き出しの数が多くてクレバーなKさん(わたしにはそう見える)。

不思議な事にここに辿り着く前に「Kさんから電話くれた?」とメッセージが。

どうやら歩いている時にスマホが誤作動して発信しちゃったらしいんだけれど、不信心のわたしにもこういう旅ではつながりの妙を感じさせてくれました。

素敵な熊野の地の第一日目は補陀落寺に始まって補陀落寺で終わった感がある旅になりました。

お宿は海に面していて流れ星を7つも見ることが出来ましたよ♡

二日目に続きます。

なかなかまとまった時間が取れず更新が遅れがちですが、最後まで読んでくださってありがとうございます。

観音信仰をもそっと勉強してみようと思うグリコでした〜。あはは。

さ、参加してたりします。。

PVアクセスランキング にほんブログ村 50からのコンパクトな暮らし - にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

目次