気持ちに余裕がない時って、わたしは出てくる事象に対してつい「戦う姿勢」で臨みがちでした。今日は穏やか第一で過ごすとコミュニケーションも変わってくると感じた話です。
気持ちに余裕がないと事象をマイナスに捉えがち
以前は介護に気を取られていたのでキャパの小さいわたしはピリピリしどうしでした。
一言で言えば『余裕がない』状態。
自分しか見えていないので自己憐憫のかたまりでしかなかったです。
人の言葉が自分を責めているように感じ、どちらかといえば絶えずファイティングポーズで応戦していました。
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自分語りをやめて受け身に徹するとなぜかこころにゆとりが
義理母が亡くなって1年と5ヶ月が経ちますが、振り返るとこの時間はゆっくりこころを修正する時間だったかも、、と思います。
それまではコミュニケーションの在り方も、”どうしたらわたしの言い分を聞いてくれるか?”でした。
この本の
というフレーズはすごく印象に残っています。
この本で”そうか、人ってわたしのトークには全く興味がないんだ”と思ったら自己憐憫の塊がすっ飛んで、なんだか一気に脱力しました。(笑)
自分語りで前のめりになるのではなく、
だけで相手のテンションもさがるし、話を聞いている間(上の空の間、笑)気持ちに余白すら生まれます。
この気持ちのゆとり・余白があると全ての事柄に対しマイルドに接することが出来るようになりました。
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気持ちのゆとり・余白が増えるといちいち腹が立たない
気持ちに余裕がなかった頃は色々なことに腹が立っていましたが、相手の気持ちを受け取るゆとりが出てくると、腹が立つことも激減。
更に
- 笑顔が増える
- 動じなくなる
- イライラすることが減る
と良いことづくめになりました。
すると周りに良い感じの人が集まり良い流れが出来つつあります。
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老婆よ、りきむことなかれ
人間が丸くなったのではなく、ますますおバカキャラになったのですが、でもその抜け具合が力が入っていなくて良いようです。
夫婦間も自分史上超マイルドです♪
って書いていたら、そうかわたしは今まで「りきみすぎていたのかも?」と思えて来ました。
穏やかな時間が流れるので、更に相手に対する「慈しみ」「思いやり」も芽生えるようになって来ました。
もちろん、夫だけではなく幅広く。
2~3日前も宗教の勧誘が来ました。
「宗派が違うので、、お暑いところご苦労様です。おからだお大事に」
といったら相手も
「わざわざ応対に出てくださってありがとうございました」
ですって。
自分の対応一つでお互い嫌な気持ちにならないで済むんだなぁ〜と改めて思いました。
還暦過ぎての人間仕切り直しですが、相手の立場も慮れるようになってきてやっと大人の階段を一段昇ること出来そうなグリコです。
まぁなんにせよ、りきまずしなやかなこころ持ちでこれから暮らしていきたいです。
本日はシニアの感じたことを最後までお読みくださりありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (2件)
グリコさん
宗教の人への断り方 秀逸ですね。
余白がもたらした こころの余裕。
さすが~。
「夫婦間も自分史上超マイルド」って それが一番。
何よりのことでございます^_^
こんにちは、おりーぶ様。
たまたま上手に断れたんです。いつも出来ると良いんですけど(笑)。
すごく暑い昼過ぎだったので思わず相手のからだのほうが心配になってしまいました。(汗)
最近毒気が抜けて来たなぁ〜と思います。
争うエネルギーも枯渇するシニア街道ですね(笑)。