じいじが遺した膨大な写真の屍について、時に夫婦で意見が違って波風が立ったりしました。短期決戦はやめて諦観と見守りの時間に入ったグリコール・グリコです。暫くの間あえてそのことには触れず黙っていた結果。。
義理母の部屋に遺された家具と膨大な数の写真類
当初、夫シンジさんは本棚を抜くことは承知したものの、他の家具(チェスト、机、椅子など)は残すと言い張っていました。
じいじの遺した写真は昭和の写真はそれでもかなり捨てたものの、段ボール3つ分の『アルバム』と古〜い明治から昭和初期のご先祖の写真は処分できない、、と。
ここでかなり意見の対立があり一時不穏な空気も流れました。
この時娘から
と釘を刺されました。
古い写真やアルバムのことは私の課題ではないと一旦完全に離れる
そう言われるとちょっと冷静にもなれ、自分のものさしを振り回していたなぁ〜と反省もしました。
またこのようなものが残されたら娘も辛かろうと、先々のことを案じていたのですが”そのときは臨機応変に対応するから案ずることなかれ”とも言われ、先のことを過剰に心配することはやめようとも思いました。
義理母の部屋の一角が『魔窟』となろうと
わたしの問題(課題)ではないから知らん!
と割り切ることにしました。
全てが自分中心にまわる訳ではなく、それぞれがそれぞれのテリトリーを大切にするのが我が家ルール。
そう認識を新たにすると、”共有スペース・共同エリアをこれからもっと快適にコンパクトにする”ことだけににスポットをあてればいいのだ、と気持ちも変化していきました。
そして改めて、『じいじの遺した膨大な写真を今頃見返して整理をしている夫シンジさんの気持ち』にも寄り添えるようになっていきました。
生母の写真を人生な大きな節目の前に見返すことになり、今になってこころの奥底に閉じ込めていた幼少期のことが蘇っているのではないか、この作業は辛いものだよなぁ、、とも思えるようになりました。
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昔の写真は整理をするのが辛いと思うからもうやらなくていいと提案
ちょっとお茶を飲みに出かけた時に
”残っているアルバムはもう整理とか処分とかしなくていいよ。辛いでしょ。”
と自然と口をついてこの言葉が出ました。
わたしもシンジさんの生みのおかあさんの写真をみるとグッと胸が詰まる思いがします。
(夫シンジさんの生みの親は大腸癌で30代後半の若さで亡くなっています。)
若くして幼子二人残してこの世を去ることになるって本当に辛いことだと思います。。
そのような夫シンジさんの影の歴史も詰まっている段ボールのアルバムは無理をしなくていい、処分が出来ないならそのままでいいことを伝えました。
すると夫シンジさんも
”なるだけより抜く形にするつもり”
と言い出しました。
そして”実は古い写真のほうは全部スキャンしたんだ”と言います。
(知ってたけど〜、全部したんだ。。。。汗)
箱の上の方にある写真を適当に抜いて写メ撮ってみました。
東條写真館ってまだあるのかな〜ってちょっと調べてみたら東條会館になっていました。
これは昭和初期だと思うけど明治の写真まであるのでじいじ物持ち良すぎ。。
それを夜な夜な自炊(自分でスキャン)していた夫の執着も凄い。。
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逸話北風と太陽そのもののやりとり
無理しなくていいから、ってか出来ないと思う。遺して良いよ。
と言われると人間は不思議なものです。
”捨てろ、処分せよ”といわれると余計意固地になりますが、いいよいいよと言われると、”いや、やるよ”と風向きが変わります。
スキャンすると、もうなくても良いかなという気分になった。ただご先祖の写真は兄貴に一回見せて引き取ってくれるなら渡したいし、鎌倉の近代資料館が引き取ってくれるなら渡しても良いかなとも思う。
まぁ、無理のない範囲で良いよ〜味わい尽くすまで待つよ〜
と伝えると更に
”机・椅子・チェスト・本棚ももう処分して良いや”
と心持ちも軟化。
一回わたしが引いて相手の課題に踏み込むことをやめたことが功を奏しました。
課題の分離は本当に大切ですね。
そして相手を肯定することの大切さ。(って今頃気づいてるの、遅っ!)
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夫婦は所詮他人、だからこそ穏やかで健全な関係を構築したい
ここに至るまでの過程でLEE様のブログの記事も大変参考になりました。
良いこと沢山書いてあるので皆さんも訪問してみてくださいな。
色々考えるに、つい家族に口出しして指図しがちなのは、『結局のところ相手を信じていない自分』が問題の根っこなんだな、と思います。
と自警しました。(滝汗)
今回はモノを通して間接的に夫婦の付き合い方も学んだ気がします。
暮らしの中に学びってあるなぁ、、とつくづく思います。
スクスクと成長できない私ですが、今からでも少しでもいいから人間の質を高めていけたら良いなと切望します。
今回は写真の片付けから気づいた他へのアプローチの仕方や自分の修正箇所がわかった話でした。
意外なところに落とし所が用意されていた片付け。
今日も最後までお読みくださりありがとうございました〜。
コメント
コメント一覧 (2件)
おはようございます、グリコ様
例の拙文にリンクしていただいたのですね、ありがとうございました。昨日はやけにあのエントリーが読まれていて不思議に思っていたの。
自分の課題ではない、と切り離すのはなかなか難しいけど「誰の課題?」と自覚するだけでも良い方向に進む感じがして、私も意識するように鋭意努力中です。
捨てられない上に片付けられないオットについては遠い昔に諦めたのですが、子ども達のこととなるともう反省ばかりです(泣)。
彼女たちが高校生になってからはかなり意識して踏み込むのやめたつもりでいたのですが、つい先日「もっと前から今みたいに接してくれてたらよかったのに」的なことを言われてズキンとしました。
シンジさんの「おやかた その後」、ちょっとホロリとしながら読ませていただいています。
こんにちは、LEE様。
お声掛けなく無断でリンク貼りました、すみません。
このトピックはかなりわたしに刺さったので、布教したいなって思いました。(笑)
>「もっと前から今みたいに接してくれてたらよかったのに」的なことを言われてズキンとしました。
今は意識して軌道修正しているのだから凹まないでくださいな〜
親子間って距離感が難しいですよね〜わたしも結構失敗してます。。。
はじめから絵に描いたような完璧な人間関係は親子でも夫婦でもほとんどの人が出来ないと思います。
(まれになぜか100%クリアする出来杉君もいるにはいるんだけれど。。きっと人生何回目?という偉人の魂なんでしょう。。。)
認知の歪みも含めて自分のマズイところに気がついて軌道修正出来れば御の字かと。
お互いちょっとずつ意識して自分のズレを修正していけたらいいっすよね。
人生は修行じゃ〜。