死んだ人のものをいつまでも残しておいてもなんも先に進まないので当たり障りのないところを抜くことにしました。改めて故人がどういう人だったか理解できた気がします。
遺品整理からわかる 何が好きでどんなことをしてたのか
じいじは理系だったのでカメラ・8ミリ・工具といった道具そのものも好きでした。
今の家に移る時に全て手放しましたが、『記録』系のものはそのまま連れてきた経緯があります。
義理父が好きだったものは?
遺されたモノをみればじいじの趣味は俳句と旅と写真だったんだなぁ、と分かります。
しかし句会の資料・旅の記録・写真の全ての根本は『記録』なんだな、と感じます。
根っからまじめな性分なのか、本当に記録魔です。(人のことは全く言えない)
もう少し早くブログなどわかっていれば、きっとブログをつけていたと思います。
記録を残す作業自体に意味があるのなら残った記録は逆に残骸ですよね。
そう思うと作業も進むのです。
今回こっそり抜くのは句会の記録。
自作の句をワープロで打ち込んだもの、毎回句会のために同人の句を一枚の紙にまとめたもの、分厚いノートにひたすら書き溜めたものなどです。
10年たっても家族はぺらりとも見ないので、もう良いでしょう。(と勝手に判断する)
表紙を取って処分です。
じいじ楽しかったんだよね、もういいよね。
義理母の好きだったものは?
義理母は結婚前は友達と旅行やお茶のお稽古で遊び歩いていたの、とよく話してくれました。
スキーやスケートにもよく行っていたので引っ越し前スケートのマイシューズが出てきたりして地味に驚きました。
結婚後はホームベーキング教室でお料理、書道に通ったり家で編み物にいそしんでいました。
今回抜くのは編み物関係の品。
わたしは全く編み物が出来ないのでこれは潔く抜くことができます。
実母は刺繍の本を持っていましたね〜。懐かしいです。
(スポンサーリンク)
遺品整理で今回感じられた不思議な感覚 それぞれ楽しい時間を過ごせたんだ
今までの「おやかた」はどちらかというと「処分するのが大変」そればかりに気持ちが囚われていましたが、今回残った遺品を整理していくと全く違う感覚に出会うことができました。
それは”それぞれが楽しい時間を持っていたんだ、良かったね。”という感覚です。
義理父や義理母が自分の枠の中で楽しみを見つけ取り組んでいたことが分かるだけでも嬉しい。
だから声を大にして言いたい
ってことを。
それがわかって幸せな気分になってきました。
これは今までの『おやかた』では感じ取れなかった部分です。
(スポンサーリンク)
遺品整理、人柄を偲びながら選び抜いていく
自分の親のものではないので私がガチで選別していくのは気が引けます。
だから夫にも故人はどういう人だったか偲びながら残されたものを選び抜いていこうよ、って話をしようと思います。
夫は偲びすぎて手が止まるかもなんですけど、、(笑)
義理両親の人生には色々山谷あったかもしれないけれど概ねハッピーだったんだな、と遺品整理で夫が思えるとわたしも嬉しいです。
あ、なんかわたしもおとなの感覚になってきた感じ???(笑)
今日は「おやかた」をしながら感じ取れた義理両親の人柄や来し方の話でした。
それなりに楽しい時間を過ごせていたことを確認出来たのが一番の収穫です。
本来の「おやかた」ってそういうものなのかもしれません。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
わたしも”グリちゃんこの時これにハマっていたよね”って笑ってもらえるような過ごし方をしたいなと思ったグリコール・グリコでした。
前回の記事はこちら↓
コメント