敬老の日が近づいてきました。居住地の自治会では毎年敬老の日のお祝いを配ってくれるのですが、年々しょぼくなる傾向です。(笑)あてにしてないけれど超高齢化で今後敬老の日が無くなるのでは?と思ってしまうグリコール・グリコです。
自治会からの敬老の日のお祝い
引っ越してきてからずっと自治会から敬老の日のお祝いを頂いています。
もちろん義理母つうさんに、です。
最初はかなり立派な箱に入ったカステラでした。
それが小さめなカステラになり、お赤飯になったこともあったかな?
昨年はマスクが手に入りにくい時期だったので『マスク』だった記憶があります。
年々お祝いの品がしょぼくなる傾向です。
今年はなんと薄い封筒が一つ。
中身は『お茶一袋』でした。
そして敬老に該当する年齢が徐々にアップし、今は後期高齢と同じ75歳です。
それでも該当者はかなりいて、この敬老の日のお祝いだけでもかなりの出費と思われます。
ちなみに町内の人口のうち12.6%は75歳以上なんですよ〜。
ついでにいうと居住市は割と流入が多い方なのですが、それでも75歳以上の高齢者人口は14%を占めています。(R4・4月データ)
自治会からの敬老の日のお祝い、しょぼくなるのもうなずけます。
敬老の日、オレたちが年寄りになる頃はなくなるね
今年はお茶一袋だったよ、、と夫シンジさんに話をしたら
と言われました。
そ、そうかもしんない。。
わたしの昭和の感覚だと70歳はかなり年寄りで、80歳すぎると立派な長老、90歳など希少種で100歳はもののけ感覚でした。
何故ならわたしは自分の親戚でほとんど「年寄り枠」の人を見たことがなく、(皆既に他界していたので)自分の親が80代になった時はちょっと衝撃的でした。
だから義理母つうさんが95歳というのは全くイメージできない老人像です。
それが今では90~100歳以上が珍しくない、割と当たり前。
どひゃーんです。
我が家の周りにも年寄りを抱えるお家が何軒もあって90歳以上もかなりいらっしゃいます。(汗)
(スポンサーリンク)
高齢になり義理母つうさんは現在佐藤愛子先生の著書に感化されている
95歳という年齢に自分でも驚きながらも義理母つうさん最近は佐藤愛子先生の本に夢中。
今はディのお友達から借りたこの本を読んで↓そうだそうだ、その通りなのよ〜と言い回しまで感化され始めました。
自分が体感することや、もやっと思っていることを言葉で具体化してくれる佐藤愛子先生は自分の気持ちの代弁者のように感じているのかもしれません。
本を読んでからの義理母は”出来ないことはしれっと人任せにして生きていいんだ、、”みたいな開き直りを感じます。。
おいおい。。。(汗)
(スポンサーリンク)
自治会の敬老の日のお祝い、各家庭申請式なので回覧板で丸わかり
義理母つうさんも『敬老の日』のお祝いは”自分が年寄りであることを世間に触れ回っているようで正直恥ずかしい、、”と言っていました。
何故かというと現在の自治会のシステムだと毎年該当者は回覧板に生年月日と年齢を書かなければいけないからです。
ちょっと公開処刑みたいなんですよ。
あ〜あそこのおばあちゃん90歳超えてるの?みたいな。
義理母つうさんも自治会の『敬老の日』には戸惑いがあるようです。
まぁ、わたしが毎年回ってくる回覧板に書いちゃってるからなんですけどね(笑)。
わたしが後期高齢になる頃には敬老の日はなくしてくれてOK牧場♪
わたしも自分が後期高齢になったら自治会に『敬老の日』を祝ってもらいたくないなぁ、、と思います。
それまでにこの公開処刑方式がなくなることを祈るばかり。
今のままだと自己申告なので書きたくなければ書かなくても良さそうです。
今でさえ75歳以上の高齢者数が12.6%なのですからわたしの番に回ってくる頃は80歳以上となり、それでも20%をこえてしまうかもしれません。
そしてその頃には今まで以上に老化がゆっくりになりみんなまだまだお若いかも。
考え方も変わって”敬老”が差別偏見を助長する!この名称に反対!なんて国会で論議が起きる可能性もなきにしもあらずです。
その頃には祝日の呼び名も変化してくるかもですね。
素敵な別の呼び方の祝日になっていることを願いまーす。
その時まで生きてるかわからんけど(苦笑)。
敬老の日、皆さんはどんな名称だったらいいな〜って思いますか???
ゴールデンウイークならぬゴールデンエイジ?
勝手に名称募集します〜V
コメント