『ウチ、断捨離しました!』すっ飛ばして気になったタイトルの録画から観ているグリコール・グリコです。今回の選んだのが10/12放送分のもの。やましたさんの言葉は結構グッと来るものが多かったです。感想です。
相談者さんは現役看護師さん、忙しそう
今回の相談者さんは3階建戸建てに住む、現役看護師さんです。コロナのこともあっていつも以上に気を遣っているんでしょう、、お疲れな感じでした。
ぐちゃぐちゃの家を片付ける時間もなく、家族との折り合いも悪いそうです。
部屋はあるのにリビングの隅に一人娘の勉強机がありました。
娘さん曰く、
コロナ禍でオンライン授業になり娘さんもリビングで勉強する時間が増え、ますます相談者さんとぶつかる機会が多くなったようです。
なんか分かるぅ〜緊急事態宣言後の家の中の「密」は結構ストレス溜まりますよね。
私は休日家族が揃うのがちょっとストレス感じます。。
最初相談者さんの普段の様子がかいつまんで放映されました。
夫は家事はほとんどしませんね、、と仕事に追われながら家のことをやっている場面は”相談者さんがなんでも一人でやっててしんどそうだな、孤独だな、、”と感じました。
以前放送されたワーママの回とちょっと似ているかな?
相談者さんの希望は
お互いにストレスになっているから良い関係でいい時間を過ごしたい
というものでした。
片付けで、家族間の亀裂が修復できるのでしょうか?
(スポンサーリンク)
やましたひでこさんは言う、部屋はモノのためにあるんじゃない!人のためにある!
やましたさんが訪問すると娘さんがこのチャンスを逃してなるものかと『自分の部屋が欲しい』と訴えます。
使用していない部屋があるにもかかわらず、相談者さんはその部屋を片付けて娘に譲る、と言う発想はなかったようです。
”今でもなんでもやりっぱなし、置きっぱなしだから一部屋与えたら管理ができないに違いない。”
そんな先入観があった様子。
しかしやましたさんが
そして家を一通り観たあとでこの家の課題を三人に示します。
家ってなんのためにあるのか、改めて考えさせられる言葉でした。
そう、家は住人(家族)の健康・安全のため『身を守るため』にあるんですよね。
しかし人間はそれを忘れがち。
いつのまにかステータスの象徴に変換したり『モノをおく場所』に変わってしまうのはどうしてなんでしょう。
(スポンサーリンク)
やましたひでこさんの檄が飛ぶ!相談者さんの不安に発想の転換の一言
1Fの相談者さんの部屋の片付けを始めます。
順調にいきますが大きなキャリーバックを引っ張り出してきた時にやましたチェックが入ります。
キャリーバックに入っていたのは大量の着替えやパジャマでした。
いざ、と言う時のために、入院する時用。
と相談者さん。
看護師さんだけあって非常時の備えを考えているんだな〜さすがだ、、と思っていたらやましたさんは訝しげに
”誰が入院するの?”と聞きます。
”コロナで運ばれた時に”
”誰が?”
”私なり娘なりコロナで入院した時に、、、”
”コロナで入院したいの?”
”したくないんですけど〜””いつ呼ばれてるかわからないし”
た、確かに。。
冷静に考えれば今時の入院は大抵がほぼレンタルで事足ります。(パジャマやタオルその他細かなものも)
足りないものがあれば院内ショップでも買えるし。
入院セットを作っておかなくても身ひとつでなんとかなるもんですよね。
義理母つうさんもコロナ禍最中、心臓で入院をしましたが全くの面会謝絶の中でもすべてレンタルで不自由はなかったです。
『不安』って過度な溜め込みを生むんですね。
(そういえば高齢者アルアルの買い物難民だった義理両親も食品を過度に溜め込んでいたのは、、買いに行けなかったらどうしよう、、という不安からくるものだったのか。納得!)
(スポンサーリンク)
片付け、家族は着々と。かたや相談者さんは考えがまとまらないよう、、
娘さんは自分の持ち物を見直し、手放すものは感謝して手放していました。
えらい!
そして念願の自分の部屋を手に入れご満悦。
夫さんも
と、感動さえしていました。
あとは相談者さんの持ち物だけなのですがなんか決断が着かず、夫さんとも些細なことで意見が食い違い喧嘩が始まってしまうのでした。。。(泣)
諍いが始めると娘さんが何度も”喧嘩しない!喧嘩しない!”と仲裁に入る姿が痛々しかったです。
子供って引き受けちゃうんですよね。
娘さんがボソッと”めんどくさい人たち。。。”と呆れ顔で言っていました。
ご、ごめんね。代わりに謝りたくなりましたぜ。(汗)
(スポンサーリンク)
相談者さんは自分で自分を律する分、人にも厳しい
夫さんからも”今は仲が悪いと思う。がっちり話合いをすればいいとは思うけれど、意見が平行線になるともういいや、と思ってそのままにしちゃう”そうです。
相談者さんはどうも自分の物差しで全てを決めてしまうので、それが夫さんには『自分が提案しても跳ね返されるので話すのが嫌になってしまう』感じでした。
私と夫もお互いの物差しが違うので気をつけていないと『互いを否定しがちなタイプ』です。
ここの場面は観ていてこの感じでどこかで観たような?、、あ、我が家だ、、滝汗となってしまいました。
意見を聞くのと意見を押し付けるとでは全然受け取る側も違ってきますよね。
相談者さんはベテラン看護師のポジションというのもあり、日頃からどちらかというと後輩を指導する側なんじゃないかな?
その癖が抜けず家庭でもそれは違う、これはこうあるべき、と指導目線になっちゃうんじゃないでしょうか。
場面によって立ち位置や目線が変われると良いですよね。
なかなか難しいけれど。。。
(スポンサーリンク)
片付けているけれどスッキリしない、なんかもやもやその基にあるのは?
結構片付けているのに納得しない。何故?
私が一生懸命やっていることに対して言わないんです、なにも。ずーっと(自室に)ひきこもってるし。私一人じゃここは(19畳リビング)広すぎる!
そっか、もしかして一人の空間が寂しいからモノでガチャガチャさせていたの?
やましたさんからも”違う言葉で言い換えて”と促され、”私寂しいんだけど。。”
そして『さびしいもんだって認めていかなきゃ、人が人がこうしてくれない、ああしてくれないって言ったらもっと辛いだけ。新たな気付きがあって良かったです』といって去っていきます。
モノに埋もれていた自分の本音を掘り起こし、見つめ、正直に受け止める。
そこからどうすればいいのかを新たに考え行動に移していく。
今回はそんな回でした。
今回のやましたさんの言葉は要所要所でグサグサ刺さりましたが、結構納得できるところも多かったです。
最後のまとめでやましたさんが、やました流お片付けは”行動は引き算していくけれど空間や考え方の評価は全て加点法”とおっしゃっていたのがなるほどね〜のお言葉でした。
そして今回は相談者さんの思考の癖が減点法だったのでそれが家族のコミュニケーションを阻害していたんじゃないかとも言及していて『思考の癖、アルアル』そこをうまく御していきたいのよ〜と自分の身に引き寄せて考えたりしました。(汗)
この頃私も本当の胸の内をじっと見つめる時があります。
どちらかと言うと”ダメじゃん!”と言うダメ出しが多いですが、自分の胸の内を味わい尽くし、それを否定しない事も大切なんだな、やましたさんの言葉でハッとしました。
なんにしても自分の人生です、答えを出すのも見つけるのも自分。
人生の節目で何か決着をつけたいと思う時が変われる時。
その手段の一つ・行動が山下流お片付けなんだな、と思っています。
コメント