家族から離れて一人の時間が欲しい、そう思う時はありませんか?私はそういう時間が欲しいタイプです。先日秋晴れの中、思い切って一人で出掛けてこころの毒を出してきたグリコール・グリコです。
9月は頭の中がすごく疲れた月だった
9月は急遽いくつか新しいショートステイ 先を選定したり、契約を締結したり、はたまた利用したりで交渉ごとが多かったです。
そんな中でブログのエラーに見舞われました。
元々ブログ関係のHTMLやらなんやらを理解してブログを書いているわけではないので一旦エラーが出ると心臓バクバクです。
今でも全て解決しているわけではないのですが一応アップは出来るようにまでにはなりました。
それと並行して『終活』関連のちょっと棚上げ保留していた小さな事を少しずつ進めていたのでかなり頭の中が疲れました。
一時でも家族から離れたい衝動に駆られる
基本引きこもりなので家にいるのは好きな方です。
でもいつも義理母つうさんと一つの箱の中に居ると義理母のTVの音や独り言、行動する時にかける掛け声などが耳について、どうにも我慢できない時が出てきます。
そんな時は自分のペースでそれなりにガス抜きはしていました。
ひとりでお茶をしにいったり、映画を観に行ったり。
しかしコロナ以降そのガス抜きが出来なったのと、9月の交渉ごとやブログエラーでかなーりこころがトゲトゲで一杯になりました。
とにかく物理的に人から離れたい、ひとりになりたい。
10月に入ってまでこの状態を持ち越したくないので”明日は秋晴れ”という天気予報を聞いて思い切って出かける予定を考えました。
ギリギリまで東に行くか西に行くか迷ったのですが、どちらも人が多いところだったので北のほうに行く事にしました。
頭に浮かんだのが神社の杜でした。
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寒川神社の神嶽山神苑 で静かにお茶をしたい
寒川神社、全国で唯一八方除の神社です。
その中でもっとも静謐な空間が神殿とそのうしろの神嶽山神苑。
神嶽山神苑でゆっくり静かにお茶をしたい
もうひとつは人形供養とお札納めです。
良い機会なのでずっと残しておいたmyぬいぐるみをココで手放して、前回頂いたお札もお納めする事にしました。
もろもろリセットです。
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withコロナで色々対策をしていた神社
コロナ以降不特定多数が集まる社寺仏閣も色々対策を講じていました。
手水場の柄杓が撤去
手水場の柄杓が撤去され、斜めに設置された細い木材から水が伝わって落ちる仕組みに変更されていました。
御朱印はマイご朱印帳は中止
私は今回は頂きませんでしたが、現在マイご朱印帳を受け取って直書き、、は中止になっています。
コロナの感染も考え、紙の御朱印のみという事でした。
御祈祷申し込み〜待機までコロナ対策色々
御祈祷して戴いた人しか神嶽山神苑に入ることができないのでご祈祷をして頂く事にしました。
御祈祷申し込みの筆記用具も消毒済みと使用済みに別れる徹底ぶり。
御祈祷の申請場所ももちろんシェードがしてありました。
自分の番が来るまで地下の待機室みたいなところで待つわけですが、以前は湯茶接待があったのですがそれも撤去。
いくつもの空気清浄機が置かれていました。
御祈祷をうける際の格衣も中止、神殿内も一列間をあけてのソーシャルディスタンス
御祈祷を受ける際略式の格衣(かくえ)を瞬間芸で被るのですが、これもコロナで中止。
神殿内も一列ずつ間を開けてのソーシャルディスタンスでした。
もちろん待機場所でアルコール消毒、マスク着用は基本中の基本。
御祈祷して頂く全員の住所氏名を神主さんが読み上げるのですが、GOTOが始まったのと早めの七五三をする為に遠くは大阪や北関東から足を運ばれている方々がありました。
社寺仏閣もコロナに備えて出来うる対策はとっていました。
GOTOもこわごわ足を運ぶ、、といったところでしょうか。
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神嶽山神苑でお茶をする、贅沢ひとり時間
こころの刺刺を払っていただき本日一番の目的の神嶽山神苑へレッツゴーです。
受付で神殿で頂いた神嶽山神苑入苑チケットを渡し、イザ中へ。
神殿の裏に富士を源流とする難波の小池があります。
ぱらぱら人が居ましたが、先に資料館に入って時間をずらしたら茶屋は私一人の貸切になりました。
お庭を眺めながらのお茶はもちろんお薄です。
ここで暫くボーとして疲れた脳味噌をリセット。
贅沢なひとり時間を満喫V
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人形供養も済ませる
第二の目的でもある、私とともに50年近く一緒にいたぬいぐるみを御供養に出しました。
当初雛人形を人形供養に出す時に出す予定だったものですが、娘チョコが棺桶に入れるから〜といっていたので持っていたのです。
しかしいざとなると絶対入れそびれるな、、と思ったのでここで潔く出しました。
丁度10月15日に人形供養をするらしく、ジャストなタイミングです。
第一駐車場の人形奉斎殿にて1,000円以上の初穂料にてお納めすることができます。
長い間いっしょにいてくれてありがとう。さらば。
もちろん、古いお札も納札殿にお返しすることができました。
疫病と信仰という特別展が興味深かった
御祈祷申し込み場所の奥で『疫病と信仰』の特別展がひっそり開催されていたのですが(10/18まで)与謝野晶子がスペイン風邪が日本に蔓延した際横浜貿易新聞に寄稿していたエッセイが興味深かったです。
ざっくり私の中に入れた与謝野晶子のエッセイの内容は
”生と死は相対的なもの、どちらも同じバランスで存在するのだけど、、でも私は今子供を置いて死ぬわけにはいかない、生きたい、だから貧しい食糧の中でも自分たちが今できる疫病対策をしています。それでも疫病にかかってしまったら天命と思って受け入れる、にしても世の中の人は何も対策をしていない人が多くてなんなのー!”
てな感じです。
今のコロナの状況と酷似していて心境お察しいたします、、って思いました。
その他、疫病に対して氏子が神様に奉納した祝詞なども当時の様子がわかります。
超訳してちらっと紹介すると
”いつも神様に守って戴いているこの土地、そのお力に守られて恙無くくらしている我々氏子衆ですが、恐れながらぶっちゃけ申し上げるとですね、なんか疫病がこの地区にも忍び寄っていて超困っちゃってます、あ、いえ、神様が守ってくださってるのはわかってるんですが、あの、疫病も何とかして欲しいのですが”
的な祝詞があって必死だったんだなーと思います。。
正体のわからないものを恐れる、そして大きな力にすがる、そのような気持ちは昔も今もかわらないな、と思いましたぜ。
すみません、余談です。
古いお札を納めたがお祓いして戴いたのでまたお札が、、ぐるぐるワープにハマる私
本当はお札とかお守りとか必要ないのですが(罰当たり発言)お祓いして頂くともれなくついてきます。
そしてもず様も困っていた『箸』も。また新たに八方除けの箸を、、、
戴いてしまいました。(滝汗)
神社のぐるぐるワープにまんまとハマってしまいました。
まぁ、社寺仏閣は好きなのでこのように煮詰まった時に訪問しリフレッシュするには年に一回お札を納めに行くのもありかな、とも思いましたぜ。
金木犀がふわりと香る日差しが滲むようになった秋の午後、心晴れやかに帰宅することができました。
めでたしめでたし。
コメント
コメント一覧 (4件)
グリコさん
まさかの箸(笑)!
でもリフレッシュできて良かったですね。今日のニュースで三島スカイウオークが出ていて
グリコさんが行かれたのだーと興味深く見てました。
新聞の掃苔記というコラムがあって、今回大学の先生にお勧めされて記者が訪ねたのが与謝野晶子のお墓でした。先生が「疫病と言えば与謝野晶子。」と教えて下さったそうです。
グリコさんがお書きになってる内容とか、男女平等に関する理性的な意見などを書かれていて、コラムは「一世紀の間、何をしていたの?」と与謝野晶子が怒って呆れてると結ばれていました。
グリコさんが書いてらっしゃる祝詞、なんか必至だけど、神様を怒らせないように気を使ってる感じが、人間臭くて好きです。名訳!
こんにちは、もず様。そう、、まさかの箸がまたやってきました。。。。
祝詞、冒頭は”恐れ多くも申し上げます、、”から始まってマジ神様のおかげで安寧に暮らさせてもらってありがたいことだってわかってるんすよ、
でも近頃の疫病(スペイン風邪)にはちょっと参ってて、お力は信じて入りますが、そこんとこもうちょっと力入れてくれるとホント嬉しいっす、4649!”
みたいな内容でした(笑)
与謝野晶子=疫病なんですね、あの時代にブログやSNSがあったらガンガンアップしてたでしょうね。
『あきこの今日も髪を乱しております』みたいなタイトルで。(笑)
なんと、わたしは寒川さんに先々週人形供養に行ってきました。
100歳になるというおばあちゃん(お目にかかったことはない)が義母にくれたという手作りの人形です。
義母が自分がいらないからと強制的に(笑)くれました。
それも2体。
正直、人形というのはお雛様でお腹いっぱいで。
しかし人さまが思いを込めて作ってくださったものをゴミに出すわけにもいかず。。。
これは寒川さんだ、と思い立ち、行ってきました。
しかし、グリコさんがお気づきになったもろもろのものは全く気付かず。爆
例のごとくそばを食べて帰ってきました。
ダメじゃん!!笑
返信がおそくなってごめんなさい、こんばんわkaorun様。
なんと!kaorun様も行ってらしてたんですね、寒川神社。
そうですよね、人形(私はワニなんだけど、汗)って厄介ですよね。
蕎麦はあの神社横にある二八蕎麦屋さんかな???
もう、モノにこころを尽くしてお引き取り願うのはやめにして、さっさと捨てオンリーに切り替えたいです。
でーもかなり保留案件なくなりました!(絵もなくなったし、実母のものもほぼ片付いたし)
今、私のものは要らなくなったら誰がどうしようともう全然大丈夫death。(半澤の香川照之風に読んで〜)